ティーハウスにて
ヒメナは私服に着替えて、レティシアと街にくり出す。今日は、レティシアがすでにピックアップしていた、行きたい場所とやらを順番に回ることになった。
一軒目に訪れたのは、ティーハウスだ。ティーハウスとは、紅茶やコーヒーとともに、クッキーやケーキのような菓子をイートインで提供する店である。
「は~!」
彫刻が施された、温かみがある木を素材としたパネルを壁や天井に用いた内装に、レティシアは輝かせた目を向けていた。
「ティーハウス、超憧れてたんだよね~。グレゴリオは一緒に行ってくんなかったし、一人で行くのもなんかヤでさ~」
「そうか。わたしはアバロスに訪れた際、一度だけ行ったことがあるが……」
「えっ、アバロス⁉」
驚きからか、レティシアがテーブルをがたっと震わせる。
「ティーハウス発祥の街じゃん! え、うそ! どの店行ったの⁉」
「すまない、分からない。というのも、行ったのは五歳のときでな。ティーハウスも含め、アバロスに訪れた際すべての記憶がまったく残ってないんだよ。ティーハウスに赴いたというのも、大きくなってから後で聞いたんだ」
「あー、なるほど。んま、それなら分かんなくても仕方ないね」
「だろう? あぁ、でも……」
ヒメナは頬杖を突きながら、窓の外を見る。
「どしたの?」
「いや、アバロスに行った際の記憶で一つだけ残ってるものがあった。とある女性に会ったんだ」
「ジョセー?」
「あぁ。とは言え、その女性についてもしっかり憶えてるわけじゃないんだ。はっきりしてるのは、髪が長く白かったこと、着てるワンピースも白かったこと、男性くらいに背が高かったことで……」
ヒメナは眉を寄せる。
「これが不思議なんだが、当時のわたしは幼かったから、常に大人が誰かしらそばにいたらしい。にもかかわらず、誰もわたしにそんな女性を会わせた憶えはないと言ってるんだよ」
はたして、あの女性は何者だったのか。それは、ヒメナの頭にずっとある謎だった。
ヒメナが思案顔をしていると、レティシアがふいに険しい顔を作る。
「ヒメナちゃん、もしかして……」
「どうした……?」
「それ、幽霊だったんじゃないの?」
「へ……?」
瞬間、ヒメナは顔から表情を消した。
「いや、そんなっ…まさか……」
とっさに笑い飛ばそうとする。だが、できない。彼女が幽霊だったとすれば、納得できることは多かったからだ。顔を青くするヒメナに、レティシアは訊く。
「ヒメナちゃん、もしかして幽霊苦手?」
「ち、違うっ!」
声が裏返りながらも、ヒメナは続けた。
「そもそも、幽霊なんていない! いないものに怯えるなんて時間の無駄だ。もっと建設的なことに時間を割くべきで──」
頑として否定するが、その様子をレティシアは面白そうに眺めてくる。
「何がおかしいっ!」
「別にー?」
レティシアは、むふ、とにやけていた。それが、ヒメナはひどく腹立たしかった。
「てか、一度だけ? 王都にもティーハウスはたくさんあるっしょ? 行ったことなかったの?」
レティシアは話題を変え、訊いてくる。ヒメナは即答した。
「なかったな」
「なんで?」
「たくさんあっても、行く必要がなかったら行かないだろう。髭剃り屋がたくさんあっても、君が足を運ぶことはないだろう?」
「それはそうだけど、髭剃り屋とティーハウスじゃ違くない? 友達と休みに遊ぶってなったら、ティーハウスは行き先候補に挙がりそうじゃん」
「挙がらなかったな。そもそも、友達と休日に遊ぼうといったような話にならなかった」
「え、休日に遊ばない友達? それもう友達って呼べなくない……?」
「うっ……」
レティシアの言葉は棘となり、胸に突き刺さった。
ヒメナは首席で卒業できたというところで、学校生活におよそ悔いはなかった。しかし強いて悔いを挙げるとするなら、友達作りが上手くいかなかったことだ。すれ違ったら挨拶する程度の、関係性の浅い友達しか作ることができなかった。
「あっ…」
レティシアが口を半開きにさせる。
さすがに失言を自覚したらしい。フォローの言葉を探すようにして、視線をあちこちに遣る。そして、ほどなく顔を明るくさせた。フォローが思いついたようだが、口から出てきたそれは最悪だった。
「じゃあ、カレシは? カレシと行ったことないの⁉」
「君は……」
本気で言っているのか。友達もまともに作れない女が、恋人など作れるわけがないだろう。
「恋人もいたことはない」
「えー、学校といえば青春でしょ? 青春って言ったら恋愛じゃないの?」
「わたしは恋愛をするため、騎士学校に通っていたんじゃない。騎士になるための知識や技術を学ぶために通っていたんだ」
「そーかもしれないけどさー、カッコイイって思った人ぐらいはいたでしょ?」
「それは……」
憧れという感情なら持ったことがあると思う。下級生のころ、当時のヒメナは剣技に長けた何人かの先輩に、おそらくその憧れを向けていた。
あの憧れは、恋心に昇華することができたかもしれない。
だがヒメナは、できたとしてどうなった、と思ってしまう。
「いようがいまいが、恋人を作るなんてありえなかった。なぜなら、いずれ行き止まりに突き当たることが分かっていたからだ」
「どゆこと?」
「わたしは、ガルメンディア家に生まれた女だ。ガルメンディアの女は、お見合い結婚をすることが決まっている。だから、恋人ができたとしてもいずれ別れることになっていたんだ」
「マジ……?」
レティシアは不憫そうな眼差しを向けてくる。
「それ、どうにかなんないの?」
「そもそも、どうにかしようと思わない。わたしの結婚は、ガルメンディア家をより強くするための結婚となるだろう。ガルメンディア家のためになるなら、何も不本意なことはないからだ」
「うーん、そっか……まぁ、ヒメナちゃんがいいならいいけど……」
良いとは言いつつも、レティシアはどこか寂しげだ。後ろめたさを抱きながらも、それにヒメナはあえて気付いていないふりをした。
そのとき、こちらに近づいてくる店員の姿が目に入る。
「お待たせしました」
店員は、テーブルに注文した品を並べていった。
まず、ロイヤルミルクティーが注がれたカップが二つ置かれる。
続けて、二等辺三角形に整えられたゴールデンブラウンの生地に、カラメル化した蜂蜜がたっぷりと塗られたケーキも二つ置かれた。ハニーケーキというらしい。ここの定番かつ人気メニューだそうだ。
二人の注文が同じだったのは、ヒメナが合わせたからである。こだわりはなく、とにかく考えることが面倒だった。
だが、ここで後悔する。もっと検討すべきだった。それは、ハニーケーキのビジュアルを見た瞬間に思った。
まさか、こんなにも蜂蜜がかかっているとは思わなかったのである。さすがに甘くなりすぎてしまっているのではないだろうか。食べることに抵抗がある。フォークを握ろうとする手は動かない。
だが、レティシアはそのヒメナと対照的だった。フォークをすいすいと動かし、ハニーケーキをぱくぱくと食べている。
「あー、んまーっ!」
「本当か……?」
ヒメナは疑念を抱きながらも、フォークを持つ。そして、切ったケーキをゆっくり口に運んでいった。次の瞬間、身体に電流のような衝撃が駆け巡る。
ビジュアルほどではない、ハチミツ特有の優しい甘さが生地によく染み込んでいた。食感は、焼き上げられた表面はカリッとしていて、逆に中はふわっとしている。それが絶妙なコントラストを生んでいた。
美味い。美味すぎる。ヒメナは思わず頬を緩ませるが、そのさまをレティシアがまたしてもにやけた顔で見つめてきた。
「おいち?」
「なっ……」
ヒメナは身を引き、目を逸らす。そんなにも堪能感が出ていたというのか。今度は腹立たしさより、恥ずかしさがあった。
「ちっ、違う! そういうわけじゃない! いや、不味かったわけでもないが……」
ヒメナは誤魔化そうとする。そんななか、レティシアは唐突に席を立った。
「じゃ、次行くよ!」
「は?」
ヒメナは呆気に取られながら、テーブルのレティシア側を見る。紅茶のカップは空になり、ケーキは消えていた。どうやら、もう食べ終えたようだ。手品か?
「今日は行きたいとこたーっくさんあるから、長居できないの。とゆことで!」
レティシアはすたすたと歩き、店を出ようとする。
「ちょ、まだ食べ終わってない! おいっ、待てこら!」
ヒメナは慌てて、口に詰め込んだケーキを紅茶で流し込もうとした。だが、流し込みきれずにケーキを喉に詰まらせる。その状態で、レティシアを追っていったのだった。
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