第4話 新たな出会い

 千歳ちとせひじりちゃんの有り様を見て驚く。何があったのか気付くまで少し掛かった。ふと同席の男性の後ろ姿を見ると、その手にはチェイサーのタンブラーがあった。


 聖ちゃんは仕込み水を掛けられたのだ。ドラマか! 千歳は思わず頭の中で突っ込んでしまう。いやいや、それどころでは無い。何とかしなければ。だが千歳は完全な部外者。ゆずちゃんは聖ちゃんとお仕事場で関わっただけで、立場は千歳と同様である。


 店内はこのできごとで、しん、と静まり返ってしまっている。聖ちゃんの声はやはり店内に響き渡ってしまっていた様で、お客さんたちの視線は聖ちゃんと男性に注がれていた。


 店内の照明は薄暗いので、遠目では聖ちゃんとは分かりづらいだろうが、少なくともゆずちゃんからは視認できたし、気付いている人もいるだろう。聖ちゃんにとって面倒なことにならなければ良いが。


 すると男性は乱暴に立ち上がる。使っていない椅子に置いてあった黒いビジネスバッグを取ると、中から黒いブランドもののポーチを出してテーブルに置き、聖ちゃんを放ってカウンタに向かった。それと入れ違う様に、白いタオルを持った女性店員さんが小走りに聖ちゃんに向かった。


「こちら、お使いください」


 丁寧に言う店員さんから奪い取る様にタオルを受け取った聖ちゃんは、広げて顔を拭く。押さえる様にしているのは、お化粧が崩れない様にするためだろう。だが濡れた髪の毛は、うさを晴らす様に乱暴にわしわしと拭う。


 ああ、せっかくの綺麗な髪が乱れてしまう。聖ちゃんはロングヘアで、染めているのだろう、金髪に近いベージュだった。


「あああ、そんな風に拭くから、頭めちゃくちゃやん」


 ゆずちゃんが見かねたのか、スツールから降りて聖ちゃんのところに行き、タオルを取り上げた。


「ブラシとかは?」


「……そこのポーチの中」


 ゆずちゃんの問いに応える聖ちゃんの声は、完全にぶすくれてしまっている。ゆずちゃんは男性が置いていったポーチを開け、中から小振りなブラシを取り出して、聖ちゃんの髪を梳かしながらタオルで拭っていった。


「あんた、この前の撮影のときにスタジオにおった人やんな」


「あ、覚えててくれた? 代理店の営業や」


「あたし、記憶力ええからね」


 そうして、ゆずちゃんの手で聖ちゃんの容姿が整えられていく。お洋服もとんとんと押さえながら水分を吸い取らせる。髪は濡れてしっとりとしているが、お化粧はほとんど剥げておらず、美麗を保っている。


「はい、できた。せっかく綺麗やねんから、あんな乱暴にしたらあかんで」


「ふん、あたしが綺麗なんは当たり前やん」


 ほほう、自分でも言い切ってしまえるか。その潔さに、千歳は感心してしまう。


「それにしても、何があったん? 私で良かったら、また聞くけど」


「あんた、隣のテーブルやったっけ」


「うん。同僚と来てる」


 聖ちゃんの目が千歳に向いた。千歳はぺこりと小さく頭を下げる。聖ちゃんは「ふん」と、声に出すわけでは無いが、鼻を鳴らす様な素振りを見せた。


「やけ酒や。今から付き合って。あのしょうもない男、ほんまに腹立つわ」


 聖ちゃんの機嫌はなかなか直らない様だ。


「ごめん、ちぃ、この子、混ぜたげてええ?」


「ええよ」


 今日は日本酒と豚汁を楽しむために来たのだ。込み入った話などがあったわけでは無い。聖ちゃんをこのまま帰すのはどうにも忍びないし、話を聞くことで少しでも気が晴れてくれるのなら。


 ゆずちゃんは店員さんを呼ぶと、聖ちゃんたちがいた席に移動したいと申し出た。拭きはしたが壁は少し濡れてしまっているし、床にもわずかに落ちてしまっている。幸い聖ちゃんたちの席はいちばん奥だったので他に被害は出ずに済んでいた。


 店員さんがてきぱきと動いてくれて、聖ちゃんの席はそのまま、向かいの席にゆずちゃん、お誕生日席に千歳が座った。バッグはテーブルに設えられているフックに掛けた。聖ちゃんはブラシが入っていたポーチを自分の傍らに引き寄せる。


「つか、ひじりん、あなた、化粧ポーチ、男性に持ってもらってたん?」


「当たり前やん。彼氏やねんから。あ、もう、やったから、やな」


 さも当然という様に言う聖ちゃん。千歳の感覚では「無し」なのだが、そういう女性もいるのだろう。


「てか、ひじりんて、何?」


「あなたのこと。可愛く無い? 聖やからひじりん」


「可愛く無いわ。まぁ、何でもええけど」


 千歳のちぃにしてもそうだが、ゆずちゃんは独自のあだ名を付ける癖があるのかも知れない。聖ちゃんもそれを受け入れるあたり、実は器が大きいのかも知れない。


 聖ちゃんが頼んでいた日本酒には仕込み水が入ってしまっていたし、千歳とゆずちゃんのグラスも空いていたので、あらためて注文をする。やがて揃うと。


「ほな、あらためて乾杯しよか」


 ゆずちゃんが陽気に言うと。


「あたし、そんな気分や無いんやけど」


 聖ちゃんが不機嫌で言う。


「まぁ、私らの出会いにってことで」


 千歳が言うと、ゆずちゃんは「うんうん」と笑顔で頷く。聖ちゃんは不承不承ながらも「まぁ、それなら」とグラスを軽く掲げた。

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