第25話 願いが叶う世界

 食事を済ますといよいよ授業開始だ。昨日と同様に生まれる前の雛鳥のように筐体内に漂う。「視界が切り替わるのを待て」という言葉は昨日と同じだが、そのあとは昨日と違った。一瞬、視界がホワイトアウトしたのち、視界いっぱいの蒼──空が広がっていた。

「わ!? え!? わ!?」

 デュノアは何故か、空に逆さに立っていた。青空を踏みつけて、下界に広がる灰色の街を『見上げて』いるのだ。

「なるほど、貴方の根源は蒼なんだな。花である必然性はなかったわけだ」

 オーレは何かぶつぶつ言いながら頷いているが、デュノアはそれどころではない。落下しているわけではないが、空中に浮いているのは生きた心地がしない。夢の世界なら念じれば足場くらい作れるはずだ。目をつぶって思い描くと、足元に固い感触が芽生えたのがわかった。

 出現したのはオール付き木製ボートだった。腰を下ろしてみると、まるで湖に漕ぎ出したかのようで、寄る辺なく空中に立っているより数千倍マシだった。人心地ついていると、オーレの「驚いたな……」という言葉が耳に入る。

「これではヴェリタスの暴挙にもうなずけるところがあるな……。マニュアルが全く役に立たん。何を教えればいいやら」

「あの……何かダメだったでしょうか?」

 デュノアが不安げに尋ねると、オーレは少し慌てた様子で答える。

「逆だ。優秀過ぎて教えることがないんだ。貴方が今やった思念による物体生成も本来は3か月は練習してようやく使えるような技術なんだが……どうも当然のようにやってしまえるようだしな。マニュアルに合わせた教鞭をふるっても仕方がない。だからヴェリタスは初日からあんな無茶を……と、納得した次第だ」

「は、はぁ……なるほど」

 ストレートな絶賛をどう受け止めるべきか迷って曖昧にうなずく。とはいえ、教えられる側としては教師役に明確な基準がないのは不安で仕方がない。

「本格的な潜入は明日からと言われているしな。やはり今日は順当に昨日の続きで戦闘訓練と行こう」

 一人納得した様子のオーレに尋ねる。

「あの、昨日から気になっていたんですが、『戦闘』ということは敵がいるんですか……?」

 オーレは深いため息で答えた。音声のみだが、頭を抱えている様子が目に浮かぶようだ。

「そこを説明していないのか、ヴェリタスめ……。いや、いい。俺が説明する。待っててくれ、デュノア。見せた方が早い」

 その言葉の直後。一瞬、世界が『ブレた』。接続の際に起きたホワイトアウトともまた違う。言うなれば、視界にノイズが走ったような、強烈な違和感。

「あの……?」

 返事はない。代わりに異変が起こった。

 青空に墨をこぼしたように、世界が汚れていく。灰色の街はヘドロで作った塔のようにぐにゃりと原型をなくし、雲が触手のように伸び、デュノアが乗ったボートに絡みついてくる。これは間違いなく、訓練では、ない。

「オーレさん! オーレさん!?」

 やはり呼びかけに答える者はいないようだった。こうしている間にも世界は変異を続けている。灰色の街から崩れてきたヘドロが渦を巻き、塊を成し、異形の怪物と化している。

「そうだ! 昨日みたいに意識を切れば……!」

 意識の連続性という細い糸を切るイメージで、昨日の同じように意識を途絶させようと念じる。だが、1秒、2秒と無為に時間がすぎるばかりだった。デュノアの焦りからか、機材的なトラブルなのか、もしくは敵によって妨害されているのか。判然としないが、もはや猶予は残されていないようだった。灰色の怪物はできそこないの粘土細工のようで、どろどろと不定形にうねっている。かと思えば、全身からハサミのような形状のかぎづめらしきパーツが複数ぶらさがっており、名伏しがたい恐怖と不快感を抱かせるには十分すぎた。

「た、戦わないと……! でも、どうやって……」

 この25年の生涯で人を殴ったこともろくろくない自分がヒーローのように怪物と戦う?──考えるだけで心の奥から「無謀だ」と咎める声が聞こえてくるようだ。この世界で敗れたところで命は拾えるが、心に残る傷は本物だ。骨の髄までねぶられる経験はもうしたくない。

 しかし、昨日は真っ先に逃げ出して失敗したのも事実だ。退路が確保できていない、敵の追跡能力もわからないうちに背を向けるのは浅慮というものだろう。威力偵察の必要はある。

「……っ」

 デュノアは覚悟を決め、怪物に向き直った。デュノアの敵意に呼応するように、怪物の体表にねばりつくように点在している瞳が一斉にこちらを見た。刃がこすれあうショキリショキリという音が怪物のせせら笑う声の聞こえる。それだけで心がくじけそうだ。

「落ち着いて、まずは観察を……」

 自分をなだめている言葉の最中、ハサミの触腕がまっすぐに飛んできた。慌ててボートの底を蹴って飛びあがった瞬間、怪物の目が笑い、自分の浅はかさを呪う。空中では次の攻撃をかわせず、いい的でしかない。事実、2本目、3本目の触腕が既に目前と迫っていた。このままなら1秒後に脳幹と右脚を貫かれて終わりだ。

「……いや、違う!」

 ここでは理論上なんでも出来る。それを言い当てたのは他でもないデュノア自身である。現実では不可能な空中機動だって出来るはずだ。足の裏は常に地面だ。自分は常に地面に立っているのだ、と強く念じる。願えば、叶う。

 デュノアは空を踏みしめて、身体をひねる。耳元で鳴る風切り音が臓腑まで凍り付かせるようだ。

 まだ安堵するには早い。次の攻撃は幾重にも迫っているし、空中機動ですべてを避けるのは無理だろう。どんな回避にせよ、攻撃にせよ、やろうと思えば出来る。だが、逆に言えば「出来ること」しか出来ないのだ。デュノアが「出来ない」と感じたことは現実に可能なことでも不可能になる。それがこの世界の特異性である。

 そして、願いには限度がある。思考速度を超えた願いを発することは出来ない。所詮、願いはシナプスをかけるパルスの一種に過ぎない。想像の限界と、思考の限界。今やデュノアが戦っているのは敵よりも自分自身なのかもしれなかった。あやふやでもいい、限界までやれ──そう、自分に願った。

 世界は願いを聞き入れる。それがいかに支離滅裂でも、叶えられる願いはすべからく叶うべしと言わんばかりに無遠慮に叶う。

 結果として、デュノアはすべての攻撃をかわしきった。腹を貫く巨大な針も、腕をそぎ落とそうとする刃も、全身を潰すプレスも、デュノアの命に到ることはなかった。

 「自分を消す」という単純明快な願いによって、それは確かに叶えられたのだ。

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