その7 雨の日

 よく降るな、と思う。

 梅雨だから、と言えばそれまでだけど毎日毎日飽きずに降るものだ。飽きるのは人間だけか。

 ばたばたと大きな雨粒が窓に当たる。どんどん雨足が強くなってる。

 ……康介はまだ帰って来ない。

 そのうち傘が役に立たなくなるんじゃなかろうか。

 と。

 ピカッと一瞬外が明るくなった。稲妻だ。

「うへぇ、くそ濡れた!」

 ドアが開いて康介が部屋へ入ってきた。

 振り返るとその言葉通り、傘を差したかわからないほどにずぶ濡れだった。

「おかえり」

「おう。風が吹かなきゃここまで濡れなかったのによー」

 康介は通学鞄を乱暴に机の上に投げ置くと、備え付けのクローゼットからフェイスタオルを取り出した。

「災難だったね」

「まったくだよ、数学の近藤がプリントなんか運ばせるから遅くなっちまった」

 頭をがしがし拭きながら愚痴る。あの先生は何かと生徒を使うのだ。最後の授業が数学なら運が悪かったとしか。

「お前は濡れなかったのか?」

「少しは」

 濡れたことは濡れたのだが、終礼後すぐに学校を出たその時はまだここまで強く降ってはいなかった。

 康介は手早く部屋着に着替えると、鞄の中から小瓶を取り出した。

「戦利品! 飲もうぜ」

 近藤先生が働いたお礼にとインスタントコーヒーをくれたらしい。

「暖まるね」

「千尋くん、体冷えた?」

 そう言うと、康介は部屋を出ていった。廊下に設置してあるミニキッチンにコーヒーを作りに行ったのだろう。

 ……確かに僕は少し寒さを感じていたのかもしれない。だからあんな言葉が無意識に出たのだ。

「お待たせ。あと三杯ずつぐらいは飲めそうだな」

 康介はマグカップ二つと小瓶をトレイに乗せて戻ってくると、僕の机の上に一つ置いてくれた。

「ありがと」

 僕は椅子に座って湯気の立つカップに口をつけた。なんてことない国内メーカーの庶民価格のものだったけど体は十分暖まった。

「俺、雨って苦手でさ」

 と、康介は自分のベッドに上がって壁にもたれた。

 康介にも苦手なものがあったのか。好奇心旺盛でなんでも手を出しそうな奴なのに。

「子供の頃雨が降ると、母ちゃんがこれからカミナリ様がへそを取りに来るぞって脅すんだよ。それが怖くていつの間にか苦手になってた」

 きっとどこの家庭も一緒で。風邪を引かないようにだとかお腹を壊さないようにってことだ。こういう迷信には人の知恵みたいなものがある。

「僕も好きじゃないかな」

 特に夜に降る雨は好きじゃない。さっきみたいに稲妻が光ると余計。康介に負けず劣らず子供染みてるけど、三つ子のっていうぐらいだから。僕の場合、三つ子ではないけど。

「そか……じゃ、ええとさ、こっち来ねぇ?」

 康介がぽんぽんと自分の横を叩いた。

「何もしない。ただ、体温欲しいなって」

 コーヒーも十分僕を暖めてくれたけど、人のぬくもりはまた少し違う。

 雨音はさらに激しくなって。

「カミナリ様、来るかもね」

 僕はカップを机に置くと康介のベッドに上がった。

 二人で無言で肩を寄せ合って。互いに違う時間に思いを馳せている。

 康介はお母さんのちょっぴり怖い顔。そして僕は雨の日の夜を。

「へそ取られたらどうしよう」

 沈黙の後、口を開いたのは康介だった。

「……仕方ないね」

「仕方ない!? 俺のへそ、取り返してくれねぇのかよ」

 その驚きが大袈裟すぎて、僕の小さな感傷が逃げて行ってしまった。

「なんで僕が。カミナリ様になんて勝てないだろ」

「ええええ、へそ取られたら俺どうなるんだ……」

 そんなことあるわけない、と言いたいところだが。

「すべてがなかったことになるとか」

 茶番に付き合うことにした。

「それどういうことだよ」

「へその緒がなくなるってことで康介は存在してなかったってことに、だ」

 なんて。

「なんで今日はそんなにSFなんだよ」

「そんな気分だから」

「お前、もしかして違うところから来た宇宙人?」

 もうこれくらいにしておこう。僕も康介も暖まった。多分。

「馬鹿」

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