第2話 初めてのおもちゃ
「何かお探しですかぁ?」
軽い調子で声をかけると、その子の肩がびくりと揺れた。警戒するように視線を泳がせ、返答に困っているのが伝わる。
数秒の沈黙。それから、小さく息を飲む気配がして意を決したように唇が動いた。
「あの……口コミ見て来ました」
「……なんて?」
「ネットのやつです」
その子はスマホを掲げ、まるで黄門様が紋所を見せるかの如くこちらに突きつける。
画面に表示されていたのは、見慣れたレビューサイトの口コミページだった。
――評価1 店員が話しかけてきてウザい
――評価1 何買うか悩んでたら店員がオススメ紹介するとか言って性癖めっちゃ聞いてきた。ドン引き
――評価1 客がいない。大丈夫かこの店
俺は数秒間、無言で画面を見つめた。
レビュー欄に並ぶのは、いかにもな低評価の数々。
ていうか知ってる。こんなん嫌でも見覚えあるわ。
「あー、うん……」
返答に詰まる俺をよそに、彼女は真剣な顔で続ける。
「すごく親切に対応してもらえるって評判だったので。店内もレビュー通り静かで落ち着いてますね」
マジか。一周回ってこれをポジティブに受け取るパターンがあるとは思わなかった。
「私、おもちゃが買いたいんですけど初めてで……」
「え!? ホンマに!? まかしといてや!」
その言葉に、レビューの低評価を秒で頭の隅へと追いやる。こんなかわいい子が来てくれるなら悪評なんてどうでもいい。むしろ、あのレビューを書いた奴らに感謝したいくらいだ。
「一応確認するけど、年齢は十八歳以上なんよな?」
「はい、今年二十歳になりました。大学二年生です」
なら問題なし。女子大生、尚よし。
俺は心の中でガッツポーズを決めながらカウンターを出て、彼女のほうへ歩み寄った。
「ほんなら、どんなの探してるん? 彼氏と使う用?」
「……えっと、彼氏とかそういうんじゃなくて……」
彼女は少し言いづらそうに口ごもったあと、ぽつりと言葉を零す。
「私、アロマンティックなんです」
「アロマンティック?」
聞き馴染みのない言葉に首をかしげると、彼女は視線を少し落とした。
「アロマンティックは、簡単に言うと恋愛感情を持たないセクシュアリティのことです。それなのに私は性欲が人より強いみたいで……うまく発散できなくて……」
ぽつぽつと語る彼女の指が、上着の裾を軽く握る。迷いや恥ずかしさが伝わってくる仕草だった。
「へぇ、そういう人もおるんやな」
初めて聞く言葉だったが、不思議とすんなり理解できた。俺は俺でちょっと特殊な事情を抱えているし、これ以上デリケートな領域に踏み込むつもりはない。
「ほんなら、一人で使えるやつ選ぼか」
「……お願いします」
彼女が小さく頷いたのを確認して、女性向け商品の棚へ向かった。
レビューでは散々な書かれ方をしているが、客のニーズに合わせて最適な商品を提案するのは、店長としての大事な役目だと自負している。
「どんな感じのがええかな?」
「どんな……?」
「中で使うやつか、外から当てるやつか。どこが気持ちええとか、試してみたい場所ある?」
「……え?」
彼女は目を見開いて、俺の顔を見つめたまま言葉に詰まっていた。
(やば……! こんなん、完全にセクハラ発言やん……!?)
つい、いつもの調子で踏み込みすぎたかもしれない。微妙な沈黙が流れた気がして、誤魔化すように軽く笑ってみせる。
「ま、最初は手軽なやつがええんちゃうかなぁ!」
明るいテンションで言い直しながら、棚から電池式のミニローターを取り出した。シンプルな設計で値段も手頃。初心者にはぴったりの商品だ。
「これは強さの調節もできるし、動かし方も簡単や。最初の一本にはちょうどええと思うで」
「……分かりました。じゃあそれにします」
少し戸惑いながらも、彼女は俺が勧めたローターをそっと手に取った。
「おっ、決まりやな」
レジへ向かおうとすると、彼女が小さな声でたずねてきた。
「あの……これって、使い方とか何かコツとかありますか?」
「ん?」
彼女の表情は真剣そのものだ。
「こういうの初めて使うので……上手く使えるか心配で……」
確かにラブグッズは使い方やシチュエーション次第で効果に差が出やすい。
彼女の不安も理解できるので、俺なりにできるアドバイスをしてみることにした。
「一人でするんやったら、自分が一番興奮するシチュエーションを想像しながらするんがええんちゃうかな?」
「シチュエーション……?」
彼女が一瞬、驚いたように俺を見る。
「だって、性癖に正解はないやん? 試しながら、自分に合うやり方を探せばええと思うで」
そう言うと、彼女は少し考えるように視線を落として静かに頷く。
「……分かりました」
「うん。ほな、今度感想聞かせてや?」
「え?」
冗談交じりに軽く笑ってみせると、彼女はきょとんとした表情で俺を見つめた。
一瞬の間を置くと、やっとその言葉の意味に気付いたのか、みるみる頬を赤らめていく。
慌てて商品をレジカウンターに出すと、そのまま視線を逸らして顔を背けた。
「そ、そんなの言えるわけないじゃないですか……!」
(あかん、ええリアクションすぎる……めっちゃかわいやんけ!)
ウブな可愛さに頬が緩みそうになるのを必死に堪え、カウンターの内側へと戻る。
ひとつ息を吐いて気持ちを落ち着けると、手早く商品をスキャンし、黒いビニール袋に収めた。
そっと彼女に手渡しながら、最後はお決まりのセリフで締めくくる。
「まいどおおきに。また来てや」
◇ ◇ ◇
翌日。昨晩と同じ時刻に、自動ドアの開く音が店内に響いた。
「……お?」
俺は動画編集の作業を止め、入り口に目を向ける。昨日の女子大生だ。
相変わらずサングラスとマスクという怪しい格好だったが、前回のような不審な動きは減った気がする。
(ホンマに感想伝えに来たんか……?)
そう思うと自然と期待が膨らんでしまう。
取り扱っている商品柄、購入者から感想を聞く機会はほとんどない。だからこそ、こうしてリピーターに実際に使った感想を聞けるのは貴重なタイミングだった。
「まいど! 昨日のあれ、どないやった?」
カウンター越しに身を乗り出しながらたずねると、彼女はサングラスとマスクを外して控えめにこちらを見る。そして、しばらくの沈黙の後、小さく呟くように言葉を零した。
「実は……あんまり気持ちいいと思いませんでした」
意外な言葉に俺は思わず瞬きをする。
「あらら? 不良品やった?」
「私じゃ分からなくて……一度チェックしてもらえませんか?」
そう言うと、彼女は鞄からミニローターを取り出してそっとカウンターに置いた。
(この子が使ったラブグッズ……!)
昨日まで棚に並んでいた手頃な値段の平凡なローターが、まるで別物のように輝いて見える。
不良品だったら申し訳ないと思いつつ、その貴重品を慎重に手に取ってスイッチを捻った。
すると、思った以上にしっかりとした振動音が店内に響いて首を傾げてしまう。
「ん〜動作に問題はなさそうやね」
「そうなんですか……?」
「ほな、どんな感じで使ったんか、ちょっとここで試して見せてや?」
「!?」
軽いノリで言ってみたが、俺の言葉に彼女の身体がびくりと反応した。
それから、戸惑い混じりの視線をこちらに向け、消え入りそうな声で呟く。
「そ、そんなこと……できません……」
伏し目がちにそっと俺の方を伺う視線は、どこか期待を滲ませていて――まるで、その羞恥を愉しんでいるようにも見えた。
(……あれ?)
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