18.思惑② レイル



「はぁ……今日もめちゃくちゃ疲れたな……」

「レイル様、お勤めお疲れ様でございました」

「マクベスも。毎度手伝わせて悪いな」

「いえ、お気になさらず。勉強になりますから」


 ジャケットだけはかろうじて脱ぎ、着替えもそこそこに、レイルはよろよろとベッドに身体を投げ出した。柔らかなシーツの上に横たわると、ずんと全身が重たくなった気がして、肺からめいっぱい息を吐き出す。

 日々剣の鍛錬で鍛えているし、ステラリアにふさわしくあるために、おまけで王太子の側近として立つべく教育されてきた身としては、このくらいの仕事は想定の範囲内ではあるが。


「精神的な疲労があまりにも凄い」


 ごろりと仰向けになったレイルの目は死んでいた。


「やはり、ステラは存在が癒し。今、俺は何の罰を受けているんだ……? ステラのためだけに生きているのに、このままステラに会えず、ステラを感じられずでは、俺の心が死ぬ。本当こんな仕事辞めて、ステラと2人で侯爵領に引きこもってのんびりしたい……」

「ご両親をすっ飛ばして、何引退の算段立てていらっしゃるんですか」

「ステラにいっぱい甘やかされたい……膝枕して、頭を撫でてもらいたい……つら……」

「いや、頑張っておられることは重々承知の上なんですが、できるんですか、そんなイチャイチャ、主に」

「うぐぐぐ……幸せな妄想にまで現実的な突っ込みを入れるなよ、マクベスめ、鬼!」


 いまだかつて、ステラリアとこんなにも触れ合わなかった日々があるだろうか。いや、ない。水を得られない心は、砂漠の如くカラカラに乾いている。

 そんな苦痛でしかない毎日の中、抱いたささやかな願望すらも、無粋にぶち壊す従者が少しだけ憎たらしい。実際にステラリアに膝枕をしてもらった日には、それだけで昇天してしまいそうではあるのだが、それはそれこれはこれ。

 むーと不機嫌気に唇を曲げるレイルを、マクベスはまあまあと窘めた。


「そんなお疲れのレイル様に、ご褒美があります」

「……ご褒美だと?」

「じゃーん! ステラリア様お手製の焼き菓子だそうです!」

「なっ……!?」


 腹筋を駆使し、がばりとレイルはベッドから起き上がる。

 にこにこと笑むマクベスの掌の上には、いつの間にやら可愛らしくラッピングされた包みがちょこんと載っていた。


「お前、俺に内緒でステラに会ったのか!?」

「えっ、そっち!? てか、主、近い近い、恐い恐い恐い!! ジャスミン! ジャスミン嬢から預かったんですって!! ほら、昼に用事があると少し外したでしょう!? その時ですよ!」

「……………………………………それならいいが。紛らわしい」

「ひぇ……」


 ステラリアの菓子は、あっという間にマクベスの手からレイルによって回収された。

 瞬間移動でもしたのかと見まごうほどの物凄い勢いと、どす黒いオーラを振りまきながらマクベスに忍び寄るレイルの顔は、あまりにも鬼気迫りすぎていた。

 よほど恐かったのだろう。普段顔色を変えず飄々としているマクベスが、いささか顔を青褪めさせ冷や汗をかきながら胸を撫で下ろしている。


「もう、主を喜ばせつつびっくりさせたかっただけなのに、酷い! どっちが鬼ですか! いたいけな従者の献身を返してください!」

「いや、悪かった……。というか、移動中に渡してくれればよかったのに」

「だって、絶対に主、腑抜けになるじゃないですか。クリストファー殿下たちに、そんな姿晒したくないでしょう?」

「ぐぬ……」


 確かに、王宮への移動のタイミングですぐ渡されていたら、正直ステラリアのことで頭がいっぱいになって、仕事など手に付かなかっただろう。

 マクベスの判断は正しい。正しいが、何か少し悔しい。

 マクベスはやれやれと肩を竦めると、仕方がない人だと言わんばかりに柔らかく瞳を細め笑った。


「それと、もう一つ。お嬢様は理解しておられますと、ジャスミン嬢からの伝言です」

「そうか……」


 何もかもが、その一言で報われたような気分になった。

 いそいそと包みを開くと、箱の中にはハート形に焼かれたクッキーがいっぱいに詰め込まれていた。プレーンに、カカオ、紅茶や砕いた木の実を練り込んだものなどなど、様々だ。

 刺繍は苦手だが、ステラリアは料理や菓子作りを得意としている。

 時折、プレゼントのお礼にと贈ってくれるお菓子は、口当たりがまろやかで美味しいと評判が良く、届くたびにレイルの家族一同で争奪戦になるほどだ。元々、ジャスミンがあれこれ手ほどきをしていたそうなのだが、今や侯爵家の料理長も唸るお墨付きの腕である。

 貴族女性が、と眉をひそめられる趣味ではあるものの、レイルには貴族の風習など関係ない。

 ステラリアが心を込めて手ずから振舞ってくれる料理や菓子の価値がどれだけのものか、わかろうとしないとは勿体ないにもほどがある。

 クッキーは書類仕事で疲れたときに摘まみやすく、レイルが好んでいるのをステラリアは良く知っていた。

 添えられたカードには、『お仕事お疲れ様です』と、直筆の労りのメッセージ。

 文字を指先でそっとなぞる。胸が不意にじんと熱くなった。

 事情も詳しく話せず距離を取らざるを得なくなった不義理なレイルに対して、この優しさ。もちろん、裏では常日頃欠かしていない花束を贈ってはいたものの、表向き急変したそっけない態度に、さぞかし困惑しただろうに。


 一つクッキーを摘まんで、大事に咀嚼する。バターの香る、素朴で優しい味が口腔内にさくさくほどけた。レイル好みの甘さの菓子は、疲れた身体に酷く染み渡る。

 もう二つほど口に入れて、レイルはゆっくりと噛み締める。

 目を閉じれば、眼裏にステラリアの暖かな笑顔が浮かんでくるようだった。


「あー……旨い。ああ、ステラ、愛している……! やはり、ステラは世界で一番素敵な女性だ。結婚しよ!」


 今すぐ全てを食べてしまいたくなる気持ちをぐっと堪え、レイルは残りのクッキーを丁寧に包み直して、サイドテーブルに丁寧に置く。

 そして、レイルは枕を胸に抱え、歓喜の赴くままゴロンゴロンとベッドの上を転がり始めた。

 先ほどまで重怠く感じていた身体と精神の疲労が、すっかり軽減された気がする。ステラリア手製のクッキーには、エリクサーでも練り込まれているのかと錯覚するほどに。気力が、内側から次々と漲ってくるかのようだ。


「ああ、菓子作りが上手くて、労わりの心があって、気遣いもできて、賢くて、慈愛に満ちたステラは、これ以上俺を虜にして一体どうしたいんだ! あの男爵令嬢などよりも、よほどステラの方が小悪魔ではないか、けしからん! いや、天使だった! はぁ、益々好きになってしまった……。ハート型というのがまたいい。ステラの真心をたくさんもらったみたいで、可愛すぎる。てか、ステラの、ハ、ハートをもらっちゃったと考えると……うわ、ヤバい……たまらない……! ふ、ふふ、ははは! 魅了魔法なんぞ、恐るるに足りん! 俺は未来永劫、ステラに心を捧げているのだからな。寂しがらせて、会えなくて死ぬほど辛いが、これで俺はステラのために戦える」

「おお、ベットローリングにキレが……! すっかり元気が出たようでようございました。レイル様、チョロすぎ……」

「ふふん、どうとでも言うがいい。今の俺は何でもできるぞ? さっさと事態を解決して、ステラの傍にいられる日々に戻らねば……!」


 テンションもあがり奮起したレイルは、久しぶりに過分なほどのステラリア愛を叫びながら、ごろごろとベッドローリングを繰り返した。

 やはり、欝々とした愚痴を吐いているだけでは駄目だと、改めて実感する。ステラリアへの賛美こそが、真髄であり至高であるのだ。

 その横で、主の興奮を抑えるために、マクベスは粛々とカモミールティーを淹れている。


 自分もステラリアからお菓子のおこぼれに預かったなどと言ったら殺されるなと、マクベスが笑顔の裏で口をつぐむことを決めていたことを、レイルは知らない。

 なお、マクベスのもらったクッキーは、丸型だったことをここに記しておく。




* * *




 そんなこんなで、レイルとステラリアが密やかに互いをわかりあいつつ、もどかしい距離感を保たざるを得ないうちに、すっかり季節は移ろい、社交シーズンの始まる花霞月に突入した。

 そうして、多くの生徒が参加し、例年学園で開催される園遊会の華やかな場で、事態は急遽動いた。



「ヴァーミル公爵令嬢、ガルシア伯爵令嬢! 君たちは、兄上とイングラム侯爵子息の婚約者にふさわしくない!」



「「……は?」」



 ――そう高らかに叫び、突如ステラリアとミルフィオーレを裁きの舞台に引き上げたのは、第二王子エドワードだった。


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