第21話 放課後の教室(立花ララ目線)
◇
放課後。誰もいない教室。窓から差し込む陽の光が優しくて、思わず眠ってしまいそうになる。
あたしはカバンからノートを一冊取り出し、机の上に開いた。ペンケースからお気に入りのシャーペンを取り出し、カチカチと芯を出す。
あたしはノートの1行目に、今日あった嫌なことを書いた。
『トイレに入っていたら、見知らぬ女子二人にパパ活していると言われた』
シャーペンを握る手に力が入る。
『ムカつく。ムカつく。ムカつく。パパ活なんか、勝手なこと言って!! 本当にムカつく。そんなことしていないのに!!それよりも、簡単に信じられてしまう、あたしの印象の悪さにもムカつく!』
勢いがつくほど、本音でスラスラ書けた。
『あー、もー、本当に嫌。誰か助けて! って、立花ララって名前もバカにされたし……。なんで、そんなこと言われなきゃいけないのよ。あー!!!』
イライラも頂点に達したところで、吐き出した気持ちの上から、シャーペンでぐるぐる書きにした。
まるでテストのマークシートの塗りつぶしをしているような爽快さがあった。瞬く間に、何を書いたのかわからなくなった。
ふー。少し気持ちが落ち着いた。
自分が思っている気持ちを文字にすると、客観的に今の状況を見ることができるから、冷静になれた。
あれ。まだ塗りつぶしが浅いところがあるわ。
ノートに続きを書いていたら、教室の後ろのドアが突然、開く音がした。驚いて振り返ってみると、そこにはクラスメートの矢橋真子奈が立っていた。
「あ……」
矢橋真子奈は、あたしの存在を認識すると、しまったというような気まずい顔をしていた。
「立花さん、まだ学校に残ってたんだね」
「……まあね」
「何か用事?」
「……ふんっ。べ、別に何だっていいでしょ。放っておいて」
ストレス発散でノートにいろいろ書いていたなんて知られたくなかった。背中を向けると、矢橋真子奈が、あたしに近づいてくる気配がした。
「立花さん!! それって……」
「……ちょ。な、なによ」
ノートを閉じるのが少し遅れたら、矢橋真子奈が目ざとく指摘してくる。
しまった。見られた。恥ずかしい。家に帰ってから書けば良かった。こんなこと、今まで誰にも見られたことなかったのに。
矢橋真子奈は私のノートを真っ直ぐ指さす。あたしの次の言葉を待つようにじっと見つめる。
「あ、ああ? これ……」
「うん。そのノートのこと……」
もう。逃げられない。だけど、最後に足掻きたかった。
「いいから放っておいて」
あたしは冷たい声で言い放つ。
「そんなことできないよ!!!!」
すると、矢橋真子奈が大きな声を出した。堂々としていて、オーラに圧倒された。驚いた。彼女は、こんな一面もあったのね。……何故か目が潤んでいた。まさか、泣いているの?
「交流もないクラスメートに、こんなこと言われても困るかもしれないけど……。そのノートに書いてある黒いの、私も一緒に消しても良いかな?」
「……へっ、どうして? 急に現れて何? びっくりする」
あたしは混乱した。
「うっ……。最近、新しい消しゴム買ったの! 初めて使うブランドのだから、使い心地を試したくて……、その、駄目かな?」
なにそれ。おかしいわ。
普通のあたしなら即、断るはずなのに、矢橋真子奈の真剣な目を見たら、咄嗟に言い返すことができなかった。
「はぁ? まぁ、いいけど……」
つい、そんなことを言ってしまった。
◇
それから矢橋真子奈は、あたしの『ストレス発散ノート』に書いてあることを、一人で丁寧に消してくれた。
あたしの真っ黒い心が白くきれいになっていくように、その光景は、なんだか特別なもののように思えた。
まさかこんなことになるなんて……。
あたしは自分の椅子に座ったまま、矢橋真子奈から目が離せなかった。
「……急にごめんね」
沈黙を破るように彼女が口を開く。おそらく勝手にノートを消す提案をしたことについて言っているのだろう。
「……うん。別に。けど、あなた変わってるわね」
「そうかな……」
「うん」
「……こういうことは初めて?」
矢橋真子奈が真剣な顔つきであたしに聞く。
「えっ?」
「……その、ノートに"書かれる"ことって」
「へっ? "書くこと"じゃなくて? ……もしかして、丁寧な言葉で言ってる? えっ?」
「んん?」
噛み合わない会話。何かがおかしい。
「あなたが教室に入ってきた時、"あたしが"一人で、ノートにぐるぐる書きをしてるところ見たでしょ?」
あたしは、とっくにバレていると思って、状況をわかりやすく整理するように言った。
「………えっ、ちょ、待って。もしかしてこの黒いの、立花さんが書いたの?」
「そうだけど?」
あれ? もしかして、あたしが一人で書いたものじゃないと思ったのかしら……。
矢橋真子奈が呆気に取られている様子を見ると、何か取り返しのつかないことを言ってしまったのではないかと不安になる。
ーーあたしのノートに、誰かが書いたと思ったということ?
きっとそれだ。あたしがいじめられていると思ったのね。
惨めな気持ちを隠すように矢橋真子奈をキッと見た。
「……ごめんなさい。てっきり誰かに書かれたものと思っちゃった。勝手にノートを消す係も立候補して、ごめんなさい」
察しの良い彼女は、深々とお辞儀をしながら、あたしに謝る。
勘違いされたのは癪に障るけど、そこまで罪悪感を感じる必要はないと思うわ。
「……そんなに謝らないでよ。そういうあたしも、誤解されるようなことをしていたから」
あたしにしては、素直な口が聞けた。憎まれ口を叩くこともできたのに、彼女を前にすると調子が狂う。
「……どうして一人で書いていたの?」
彼女がほんのちょっと距離を詰めてきた。まぁ、嫌な気はしなかったわ。
「笑わない?」
「うん……」
「本当に? 嘘ついたら許さないから」
「笑わないよ。約束する」
矢橋真子奈はじっと私を見つめる。なんて無垢な瞳をしているの。
あたしは意を決して口を開く。
「……ムカついたから。聞いたことない? あたしがパパ活してるって噂」
「あ……」
矢橋真子奈が気まずい顔をする。
あっ。これは噂を聞いたことがあるな。……ここまで広がっているのかと思ったら、腹が立った。
「それ嘘。あたしがおじさんとイチャイチャして歩いていた? はっ、笑っちゃう。……あたしは男の人と付き合った経験もないのに!!!!」
つい感情的になってしまった。あぁ、あたしの悪い癖ね。
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