第4話 最初のカット、動き出す未来



 夜が明け、朝の光が鍛冶場の窓から差し込んでいた。炉の火は消え、工房は静寂に包まれている。


 


 ユキは、昨夜のことを思い返していた。


 


 この世界には、美容師という職業がない。ハサミすら存在しない。


 


 それなら、自分の技術を活かす余地があるのではないか。そんな考えが、心の奥でわずかに灯った。


 


 もちろん、すぐに受け入れられるわけではない。私はまだ、この世界で生きていく覚悟を決めたわけじゃない。


 


 ——でも、試してみてもいいんじゃないか?


 


 そう思った時、隣で大きなあくびが聞こえた。


 


 「ふぁ〜……ん? ユキ、もう起きてたの?」


 


 イーヴァが伸びをしながらベッドから起き上がる。


 


 「ええ、ちょっと考え事をしてた」


 


 「そっか〜。でも、昨日はちょっと元気になったみたいで安心したよ!」


 


 そう言ってイーヴァは、ぐしゃぐしゃの髪をかき乱した。


 


 ユキは、その長い髪をじっと見つめる。


 


 ——この髪を、綺麗に整えてみたらどうだろう?


 


 この世界には、美容師の仕事はない。でも、髪を綺麗にする技術を持っているのは間違いなく自分だ。


 


 「……イーヴァ、髪を切らせてもらえない?」


 


 ユキの突然の申し出に、イーヴァはぽかんとした顔をした。


 


 「え? 髪を切るって……剃るの?」


 


 「違う。カミソリじゃなくて、もっと綺麗に整えるの」


 


 イーヴァは、自分の髪を手に取りながら、少し考え込む。


 


 「うーん、今まで髪は適当にカットしてたけど……まあ、ユキがやりたいならいいよ!」


 


 あっさりとした返事だった。


 


 ユキはホッとすると同時に、すぐに問題に気づく。


 


 ——道具がない。


 


 カットシザーもセニングシザーもない。カミソリでは綺麗に仕上げられないし、持ち前の技術を活かせない。


 


 「……そういえば、道具はどうするの?」


 


 イーヴァの質問に、ユキは迷いながら答えた。


 


 「ロードリックさんに頼んで、作ってもらうしかない……かもしれない」


 


 ***


 ロードリックは、朝の鍛冶場で新しい鉄材を火に入れていた。


 


 「ロードリックさん、少しお話よろしいですか?」


 


 工房の入口で声をかけると、彼は手を止めてこちらを見た。


 


 「なんだ?」


 


 ユキは少し息を整え、真剣な眼差しで言った。


 


 「ハサミを作ることはできますか?」


 


 ロードリックは眉をひそめる。


 


 「ハサミ……お前が言ってた、刃が二枚重なってる道具か?」


 


 「はい。それがあれば、私は髪をもっと綺麗に整えられるんです」


 


 ロードリックはしばらく考え込み、炉の火を見つめた後、低く唸った。


 


 「作れなくはない……が、難しいな」


 


 「難しい?」


 


 「刃を二枚組み合わせて、中心で軸を作るだろう? だが、それを強く閉じすぎると動かなくなるし、緩すぎると噛み合わせが悪くなる。素材も、軽くて硬いものを使わなければならん」


 


 ユキは息を呑む。


 


 ——そうだ、ハサミの製造技術は意外と高度なものなのだ。


 


 今まで当たり前に使ってきた道具も、すべて熟練の職人が作ったものだったことを思い出す。


 


 「お前、本当にそれが必要なのか?」


 


 ロードリックが真剣な眼差しを向けてくる。


 


 ユキは、一瞬だけ迷った。


 


 でも、もう決まっていた。


 


 「……はい。私は、美容師です。この世界にそれがなくても、私の技術を活かすには必要な道具です」


 


 ロードリックはじっとユキを見つめ、やがて、わずかに笑ったように見えた。


 


 「いいだろう。試しに作ってみるか」


 


 ユキの胸に、熱いものが込み上げる。


 


 ——私は、まだ帰る方法も分からない。でも、ただ何もせずに待っているだけなんて嫌だ。


 


 今できることをやる。


 


 それが、今の自分にできる最善の選択なのかもしれない。


(第5話へ続く)

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