第8話 君ならできる初級魔法

 結局俺は王都の『外』に出されることはなく、引き続きシルビアさんの部屋に住むことになった。さすがに着替えたり身体を拭くときは背を向けているが、彼女は俺のことを気にしていないのか薄着一枚でウロウロするし、今日は全部脱いで寝るからのぞいてはだめだぞなんて昨日は言っていた。もちろん俺はそんなことをするはずない。訓練のほうは慣れてきたけど夜はいまだに緊張する。


「では、魔法概念基礎と体内の魔力循環の訓練は昨日で終了したから、今日からはより実践的にいくからね」


「はい、キースさん!」


 魔法を教えてくれるのはあの広場で初めて会ったキースさんだ。年は二十代のさわやかな騎士さまだ。俺は騎士ではなく、見習い。見習いといっても正式な何かではなく、騎士団付きの登録されているらしい。とは言っても聖騎士団はこの国の客人扱いであり、彼らの身の回りのことは王国の兵士さんたちがすべてやってしまう。


 今日は王国騎士団の練兵場を使わせてもらうことになったのだが、なんだか人が多い。非番の兵士さんたちなのかずらっと並んで俺達のほうを見ている。


「ああ、魔法を使える人間はとても少ないからね。この国でも宮廷魔術師の人たちを除けばAランク以上の冒険者に何人かいたくらいだよ。じゃあ、ちょっとだけサービスで……」


 そう言うとキースさんは両手を天にかざす。


「天使のささやき!」


 急に寒くなったかと思ったら、キラキラした光の粒子が空中に現れた。その無数の小さな粒はいろんな色で輝きながら空気中を踊るように舞っていた。まわりで見ていた人たちも突然現れた幻想的な光景に息を飲む。俺もこんな綺麗なものは初めて見た。


「すごいです!」


 その光のショーが終わると、兵士たちから拍手が沸き起こる。


「ははっ、そんなことはないよ。でも、この魔法、大陸南部の蛮族ばんぞくを制圧に行った時は効果的だったね。これ、水魔法をちょっと工夫してるだけなんだけど、敵の大軍勢がパニックになってね。あっさり降伏だよ。そのあと何故か僕、神さまみたいに祭り上げられて大変だったんだ。少しいびつな感じで布教は成功したけど、あの人達ちゃんと理解してくれたのかは未だに怪しいかも……」


 キースさんの言うように聖騎士団は異教徒の地にも数多く足を運ぶらしい。俺達の住むこの大地を大陸と呼ぶのは、周りを海っていう大きな水たまりに囲まれていて大きな島みたいだかららしい。世界というのはその先にもあるみたいだけど、この大陸自体もまだ人類未踏じんるいみとうの場所がたくさんあるということだ。キースさんによればこの王都の先にある『大森林だいしんりん』も実はよく分かっていないそんな場所だということだ。


 キースさんの魔法に満足したのか兵士さんたちはみんな自分の持ち場に戻ったようだ。さすがにたくさんの人たちに見られながらの訓練は俺も嫌だったから、正直ホッとした。


「さあ、始めようかアルくん。ちゃんと、伝説の魔法使いメストエジル監修の『君ならできる初級魔法』 は頭に入っているね」


「はい、なんとか覚えるだけは……」


 貸してもらった魔導書は、タイトルの雰囲気とはかけ離れたとても難解なものだった。魔法は何か呪文を唱えれば使えるといったものではなく、頭の中に魔法術式を幾何学図形の組み合わせのようにイメージした上で、そこに体内で作られた魔力を流し込むといった工程が必要になる。その理屈は夜中シルビアさんに手伝ってもらいながらなんとか理解することはできたけど、一番簡単であるはずの灯火とうかの魔法ですら発動させることができていない。でも、魔法へのあこがれからか分厚い本の内容は頭の中にしっかり入っている。それにはシルビアさんも驚いていたけど、魔法を発動させられなきゃ意味がない。


「ああ、最初は難しいよね。メストエジルは天才だけど感覚派でさ、僕も彼の書いていることの意味なんて分かってないんだけどさ」


「ええーっ!」


「シルビア団長もそんなこと言ってなかったかい?」


「ああ、そういえば……」


「まあ、あの人は生まれつき魔法は使えたみたいだけど……。ああ、今のは忘れて! 機密事項に該当するかもだし」


 機密事項? 俺の疑問は置き去りにされたまま授業は開始された。魔法術式の考え方の基本さえ分かれば良かったようで、丸覚えする必要はなかったみたいだ。人によってしっくりくるイメージは異なるようで、自分のそれを言語化して誰かに伝えることはとても難しいらしい。


 だったら、あの君ならできる……って何なんだよ。


「難しく考える必要はないよ。アルくんの頭の中でイメージしている術式がピカーって光ったら魔法は発動するから」


「ピカーですか……」


「うん、ピカーって感じ」


 たぶんキースさんも感覚派だ。ああ、シルビアさんもそれに加えなきゃだ。


「まずは基礎の基礎。灯火の魔法からだね。見てて、こんな感じだよ『ともせ』!」


 そう唱えたキースさんの指先に火が灯る。


「おおーっ! でも、それって熱くないんですか?」


「うん。自分は熱くないし、火傷やけどもしない。でもアルくんが触ったらその指は炭になるかも。魔力はかなり抑えてるけど、それも限度があってね。この炎の色、普通と違うでしょ。僕は生活魔法って調節が難しいから苦手なんだよ」


 たしかにその炎の色はに近かった。


「さあ、とにかく実践あるのみだよ」


「はい!」


 詠唱の文言もんごんは何でもいいらしいのだけど、キースさんにならって『灯せ!』って数百回は唱えたはずだ。だけどその日、俺の指先に何かが灯ることはなかった。

 

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