第7話 薔薇の庭園①

 



 城での生活は順調……ではなかった。

 あの後、ゼファーの部屋を退出し、当然ながらイルはガヴィと共に彼の執務室に向かったのだが……


 ガヴィの部屋は当たり前と言えば当たり前なのだが、ゼファーの執務室と似たような作りになっていた。

 そもそもガヴィの私邸は王都の郊外にあり、城の内部にあるのは執務のための執務室である。爵位が高いため庶民の家に比べたら遥かに豪華ではあるが、基本的には仕事の為の部屋と寝室(領地が遠く登城するとしばらく帰れない貴族もいる為だ)の二間続きだ。

 よって、ガヴィの侯爵邸以上にイルの居場所はない。文字通り、生活の全てをガヴィと共にする羽目になった。


 すなわち、寝室も、である。


 侯爵邸にいる時は私室は別だったので解らなかったが、ガヴィと言う男は遠慮と言うものがない。私室であり、イルは狼なのだから当然かもしれないが、どこでも脱ぐしそのままウロウロしたりする。

 イルは最初の三日は顔を赤くしたり青くしたりした。……黒狼姿なので相手からは顔色なんて見えやしないが。しかし、人というものは日々目にすると感覚が麻痺するのか、悲しいかな四日目には慣れてしまった。


 それよりも困ったのは食事である。

 初日はガヴィの部屋付きの侍女が、それはそれはビクビクしながら調理前の生肉を持ってきた。イルは黒狼姿なのである意味正解だが、もちろんイルは人生において生肉なぞ口にしたことがない。とてもではないが食べられず、出された水だけを舐めていた。が、人間(狼)食べなければ死んでしまう。

 二日目の朝には盛大に腹を鳴らし、元気がないのを見兼ねたガヴィが何かを察して自分の人用に焼かれた肉を分けたところ、空腹に耐えかねていたイルは勢い余ってガヴィの手に

 執務室にはガヴィの元気な声が響き、それを見た侍女は卒倒しそうになった。手を擦りながら大丈夫だとガヴィがイルを庇い、イルが謝罪の気持ちを込めてペロペロとガヴィを舐めていなかったら放り出されていたかもしれない。


 次の日からはイルにも人用と同じ肉が用意された。おかげで部屋付きの侍女は益々怯え、ガヴィは二日は不貞腐れていた。

 五日目、イルはすっかり意気消沈して大人しくなり、それこそ飼い犬の様にトボトボとガヴィの後ろについてまわっていた。




「……君、もうその顔やめたらどうだい?」

 ゼファーの執務室でお茶を飲みながら不貞腐れるガヴィにゼファーは思わず肩を震わせた。

「……俺は元からこの顔ですけどぉ?」

 機嫌の治らないガヴィに、ゼファーは嘆息して眉を下げた。

「もうその辺でいいだろう? 可哀想に、アカツキ殿も元気がないよ」

 ねえ? とゼファーはイルを優しく見てくれた。

「だってよ、コイツ二度目だぞ?! 他のヤツにはしねえくせに、俺には足に噛みつき腕に噛みつき……大人しくしてねえと王子には会えねえって言ってるだろうが!」

 おおむね事実なのでイルには返す言葉がない。イルは余計にしょんぼりと頭を下げた。

「君にしかしないと言うことは、君の接し方にも問題があるんだろう。君と長年友人をしているが、私はアカツキ殿に同情する所も大いにあるがね」

 そう言ってイルの首筋を慰めるようにポンポンと叩いてくれた。


 (……うぅ、泣きたい……)


 ゼファーの優しさが身に染みる。しかしまあ、ガヴィの態度にカチンと来る時もあるものの、寝床は提供してくれるしご飯だって手配してくれる。

 王子の為とはいえ、突然降って湧いたイルをきちんと面倒を見て王子に会わせる義務はあっても義理はない。

 周りから見ればイルはただの黒狼なのだから、獣として扱われて当然なのだ。そう思えば、口は悪くともなんだかんだとガヴィは優しい。

 大人しくしていなければガヴィにもゼファーにも迷惑がかかるのに、面倒を見てくれているガヴィに噛みつくとは言語道断だ。


 イルは二人に迷惑をかけないようにと心に誓った。




 それから、イルはそれこそ本当の飼い犬の様にガヴィの側で過ごした。

 六日目の夜には、怖がって近寄らなかった部屋付きの侍女がやっと「どうぞ」と震えた声ではあったが対面で食事の皿を差し出してくれた。

 そして七日目の朝、

「よし! 散歩に行くか!」

 ガヴィは無駄にわざとらしい大声で周りに聞こえる様に言うと、イルの手綱を持って歩きだした。


 執務室を出ると城に来た時の回廊ではなく、執務室の奥の通路を抜けてステンドグラスが美しい階段を降りる。暫く廊下を行くと外の通路に出る扉があり、外に出ると朝の気持ち良い光がイル達をさした。

 アルカーナの王城は本当に美しくて、どこにいても花や木が植えられており気持ちが良い。外の回廊は庭園に面しており、もうしばらく行くと生け垣に囲まれた薔薇園に突き当たった。薔薇の中からは何やら賑やかな声が聞こえる。


 (この声――!)


 ハッとして声の方に耳を向けるとガヴィが殊更ことさら大きな声で言った。

「よし! アカツキ! この辺で散歩でもすっか!」

「――え?! アカツキ?!」

 バタバタと足音が聞こえたかと思うと、薔薇の垣根にある扉が開き、小さな影が飛び出してくる。後ろからは慌てた様子でお待ち下さい殿下! と侍女が叫んだ。

 薔薇の庭園から飛び出してきたのは、アルカーナ王国第一王子、シュトラエル・リュオン・アルカーナ。その人であった。

「アカツキ!!」

 シュトラエル王子はイルの首筋に飛びついて来た。その全身から溢れ出る喜びを感じて、イルも嬉しくなって鼻を鳴らす。ぎゅうぎゅうとイルを抱擁する王子に侍女はオロオロとガヴィに助けを求める視線を寄越した。

「問題ない。危険はねえよ」

 綱も持ってるしな、とガヴィは首輪から繋がっている鎖を持ち上げてみせた。

「アカツキ! お城に来られたんだね! 嬉しいよ! ……ガヴィ! 有難う!」

 弾けるような笑顔でガヴィに礼を言う。そんな王子の笑顔を見て、ガヴィも満更ではなさそうな顔で「喜んでいただけて恐悦至極」とわざと芝居がかった礼をした。

「……シュトラエル?」

 薔薇の庭園からもう一人の人物が顔を出した。

「あら、レイ侯爵」

「アグノーラ様、おはよう御座います」

 流石のガヴィもこうべを垂れて挨拶したその人は、シュトラエル王子の母にしてアルカーナ王国の母、アグノーラ王妃であった。

「母上! アカツキです! ガヴィがアカツキを連れてきてくれました!」

 頬を紅潮こうちょうさせて王妃に駆け寄る。アグノーラ王妃は優しくシュトラエル王子を受け止めた。

「森で貴方を助けてくれたあの狼ですね? 毎日アカツキのお話をしてくれていたものね」

 キラキラと目を輝かせる我が子に目を細めると、王妃はガヴィとイルの方を向いて「そちらに近づいてもよろしいかしら」と聞いた。

 ガヴィは改めて「この黒狼に危険はなく、安全はこのガヴィ・レイとアヴェローグ公爵が保証致します」と王妃に誓い、王妃は頷くと優雅な足取りでイルの側までやってきた。

「アカツキ、シュトラエルの母、アグノーラと言います。先日はシュトラエルを助けてもらい、本当に感謝しています」

 そう言って微笑み、怖がらずにイルの首筋を撫でてくれた。イルの胸はドキンドキンと音を立て、喜びに打ち震えた。そしてこの王子に似た優しい王妃様をあっという間に好きになった。

「……シュトラエル、薔薇の庭の外で長居していては皆困ってしまいます。そろそろ戻りましょう」

 ね? と王子を促すが、王子は顔を曇らせた。

「で、でも……今やっと会えたのに……」

 王妃は王子の小さな手を握るとガヴィの顔を見て、

「レイ侯爵、お時間がありましたらご一緒にこちらでお茶でもいかが?」

 と誘い、王子は歓声を上げた。




❖薔薇の庭園②へ続く❖

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