第22話 アクアリウム

 東京駅の駐車場に車を停めて、南側に十五分ほど歩くと、アクアリウム美術館に着いた。

ブラウン一色で統一されたシンプルな外壁に包まれた大きな建物の中に入っていき、館内のルートに従って、鑑賞してゆく。

 歩くには困らないくらいに照明を落として暗くなった会場の中で、大きさも形も様々な水槽の中、統一された色の熱帯魚がアートとして展示されている。思わずうっとりと、水槽の中の魚たちを見る。

「すごい。きれい・・・」

「ならよかった。蓮、こういうとこ好きかと思ってさ」

「うん。大好き。実は、ここ、CMで流れているのを見てから、ずっと来たいと思ってたんだ」

「なら良かった。俺のことも大好きって言えよ」

「竜のことが一番大好きだけど、アクアリウムはその次の次くらいに好きかな」

「おっ。うまいな。アクアリウムより好きで、俺にかなわないくらいに好きな奴は誰なんだ?」

 竜は少し不安そうな表情をして聞いてくる。

「それはね、甘い食べもの」

「なんだよ・・・」

 安堵したように言う竜に、僕はくすっと笑って答える。

 アクアリウムを眺めながら、僕たちの横を通り過ぎるカップルや団体客や家族連れなんかが、ちらちらとこちらを横目で見ながら通り過ぎる。ここは東京だし、知っている人はいないに等しい。だからどう思われても、何を言われてもどうでもいい。竜もきっと同じ気持ちだろう。

「ところでさ、熱帯魚って食えんのかな?」

 竜は真面目くさった顔をして、黄色のライトで照らされた、ひょうたんのような形の大きな水槽に、真っ赤な熱帯魚が泳いでいるのを目で追いながら言う。

「どうなんだろう・・・」

 限りなくデートスポットに近い薄暗くライトアップされた場内で、さっきまで良いムードだったのに、突然こんなことを言う竜に、若干引きつつも、僕も気になってきたのでスマホで調べてみた。

「食べられるのもいるみたいよ。アロワナとか、ピラニアとか。ここにいる小さめの熱帯魚はわからないけど。食べようと思えば、食べられるんじゃないかなあ」

「ふうん・・」

 竜は何やら深刻そうに呟いた。

「竜、魚好きだもんね」

「魚は酒のつまみに合うからな・・・」

 そう言って、両目を閉じて腕を組み、何かを考えているような仕草をしている。

「そうだね。僕も魚は好きだよ。て、さっきから急に元気ないけど、どうしたの?」

「いやさ、昔、俺が小学生の頃に、親父がでかい水槽でアロワナ飼ってたの思い出した」

「けっこう人気の魚みたいだね。アロワナって。大きいし、ドラゴンみたい」

「そうなんだよ。俺の親父、架空の生きもんのドラゴンが好きだった。そういうフィギュアだの集めてたんだけど、ついに生きてるドラゴンみたいだからって、突然アロワナ飼い始めたんだけど、水槽はでかいは、ここの熱帯魚みたいな魚を餌にしてバクバク食うわで、子供ながらにして、俺、引いてたんだわ。おまけにでかい水槽からウィーンってでかい音がして気になって夜眠れねえし。軽く親父を恨んでたわ。あー、懐かしいな」

 僕は小学生の竜を思い浮かべて笑った。

「だから、名前が竜なの?」

「そういうこと。親父がつけた」

「でも顔もドラゴンみたいだよ」

「ま、親父がドラゴンみたいな顔だったからな。ある意味ナルシストだよな。そう考えると」

「確かに。そのお父さんは、今どこに住んでるの? そういえば、竜の実家ってどこ?」

「親父は五年前に亡くなったよ。母親と一緒にさ。自動車事故で」

「そ、そうだったんだ・・・」

 僕は思いもよらない竜の回答に戸惑った。てっきり、ご両親は元気に健在していて、どこか別の場所に住んでいて、竜は一人が気ままでいいからとかいう理由で一人暮らしをしているのだとばかり勝手に思っていた。

「わりい。言ってなかったっけ?」

 僕は小さく頷く。そういえば、知っているつもりだったけど、僕が知っている竜は、普段の仕草とかクセとか、ご飯の食べ方とビールの飲み方だとか、そんな日常のささいなことばかりで、詳しい情報は何も知らないに等しいことに気が付いた。

「そんな顔すんなよ。もう五年も前の話だ。いい加減、俺も慣れてきてるしさ」

「五年前って、ことは、竜がまだ大学生だったとき?」

「そう。確か珍しく真面目に授業聞いてたら、突然連絡がきてさ。でかいトラックと衝突したらしくて二人とも救急搬送されて、そのままさ・・・」

 僕たちが眺めている、黄色にライトアップされた水槽の周りにはいつの間にか、誰もいなくなっていた。ただ赤い熱帯魚だけが、何匹もひょうたん型の水槽の中で無邪気に泳ぎ回っている。

「ごめん、僕、何も知らなくて・・・」

 当時の竜の悲しみ、何も知らなかった僕。両親はいるのが当たり前と思って興味も持たなかったことに、ただただ自分が情けなくて、竜がかわいそうになってきて、また目頭が熱くなってくるのを感じた。ヤバい。一日に何度も泣くなんて。僕だって、一応男なんだし。

「おいおい。蓮、俺にまたしょっぱい水分補給させるつもりなのか? 悪いけど、喉は渇いてねえ。それに、過ぎ去った過去は変えられねえ。今、俺には蓮がいるんだし、やりがいのある仕事だってある。今ここに生きてる俺が、毎日楽しく過ごしてるほうが、悲しんでいるより、天国に行っちまった親ともども喜ぶだろうが。まあ、天国なんてもんがあるかどうかってのはわかんねえけどさ。俺はそう思って毎日を生きてるぜ」

「そうだよね。竜。いいこと言う・・・。ところで、竜には兄弟はいるの?」

「いや。俺、一人っ子」

「じゃあ、ご両親が亡くなってからはずっと一人暮らしってこと?」

「そうだな。学生の間はおじさんの家に居候させてもらってたけど、わりいし気い使うしで、就職したらさっさと出ちまったな。そんで、賃貸アパート探してるときにたまたま行ったのが花園不動産で、人の良さそうな社長が見学させてくれたから、なりゆきで事情を話したら同情してくれてさ。だいぶ家賃安くしてくれたんだぜ。そんで、『就職決まんなかったらウチで働いてもいいんじゃぞ』って冗談なんか本気なんかわかんねえけど言ってくれたからさ、不動産業界にも興味あったし、社長の人柄に惚れて、速攻で就職決めたってわけ。それに、もうないけど、実家にも近いからさ」

 薄暗い室内のせいなのか、いつもよりも饒舌に竜は話してくれた。

 僕は竜の話を一語一句聞き漏らさないように耳を傾け、時々気まぐれに泳ぐ熱帯魚を見ていた。

「竜、これからは僕が一緒にいるからね」

 できる限りの笑顔を作って竜に言う。

「もちろんだ。俺、お前を離さねえぞ」

 竜も笑う。

「せっかく来たんだし、アクアリウム、最後まで見るぞ。さ、行くぞ」

「はい!」

 僕は竜の腕をつかむようにして歩く。時々、ちらちらと視線を向けて、見てはいけない物を見るように僕たちを見てくる人々がいたけれど、そんなことは本当にどうでもよかった。


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