第9話 突然の呼び出し
その日の夜、入浴と夕食を済ませて部屋でスマホをいじりながらベッドでゴロゴロしていたら、桐藤さんからメッセージが届いた。
「カレー サンキューな。すげえ辛口で俺好みでうまかった」 桐藤
僕は思わずベッドから飛び起きて、そしてすぐに我に返った。そしてすぐに冷静になるように努力して返信した。
「お褒めいただき、光栄です! よろしければ、またお作り致します」 蓮
「(笑) そんなにバカ丁寧に答えなくてもいいぜ。俺ら、そんなに年変わんないんだし、プライベートではタメ口でいいぜ」 桐藤
「わかりました! ありがとうございます! そのようにしますね」 蓮
「全然、敬語のままで笑える。でも、早乙女らしいや。じゃ、また明日、仕事で」 桐藤
「はい。お疲れ様でした」 蓮
プライベートの時間に突然のメッセージがきたので、予期せぬ緊張でバカ丁寧なメッセージになってしまった。どうしよう。桐藤さんに変な奴と思われたら、と心配したけれど、辛口カレーを喜んでくれたから良かった。家族の大ブーイングにあってまで作った甲斐があったというものだ。
翌朝、桐藤さんとの距離が縮まったことが嬉しくて、心躍らせながら出社した。自転車を漕ぐ時、ふと空を見上げた時に青空が視界に広がった時、すべての光景がいつも以上に綺麗に見えた。世界はまだまだこんなにも美しかったんだ、と僕は妙に感動して営業所内に入った。
この日、桐藤さんは大体いつもの日がそうであるように、今日ももれなく朝から営業をしに外出して行った。僕は一抹の寂しさを覚えながら、仕事に打ち込んだ。桐藤さんのいない営業所内は、僕にとってデザートのないランチみたいなものだ。
今日の弁当は、昨夜の残りの豚肉の生姜焼きだったな、と思いながらパソコンの下部に表示されたデジタル時計を見ると十一時五十分となっていた。時計を見た後に、僕の腹から唸るような低い音が鳴った。
「早乙女君。腹が減ったのならメシにして良いぞ。そうじゃ、わしもメシにすることにしよう。桐藤君は出ているから机が空いとるの。わしはそこで食わせてもらうから、早乙女君、一緒に食うぞ。『らんちみーてぃんぐ』とやらをしようじゃないか。ちょうど早乙女君に折り入って話しておきたいことがあったんじゃ。悪いがサイさん、店番を頼むぞ」
社長は僕の目の前を通り過ぎて、冷蔵庫に向かって颯爽と歩きだしたので、僕もそれにならって冷蔵庫に弁当を取りに行った。
「今、お茶を入れますね」
僕が急須に手を伸ばそうとした瞬間、社長は僕の手を止めた。
「わしゃ、今は茶なんぞいらん」
「え、そうなんですか? お弁当といえば緑茶じゃないんですか?」
「年寄り扱いするな。わしゃ、らんちには炭酸飲料と決めておる。今日はゼロかろりーのこーくじゃ」
社長は冷蔵庫にずらりと並んだ甘そうな炭酸飲料の中からペットボトルのゼロコークを一本取り出すと、大事そうに桐藤さんのデスクの上に置いた。隣には、可愛らしい巾着袋に包まれた弁当と思われる物体が載っている。社長の昼って、弁当だったんだ、と僕は改めて思った。
この社内で、桐藤さん以外の人にはあまり興味がなかったので初めて気が付いた。それにしても、猫のキャラがプリントされた赤地の布で、可愛らしい巾着袋に入っているんだな。きっと、愛妻弁当なのだろう。僕はそんなことを考えながら弁当がレンジで温まるのを待った。「チン!」という音と共に、弁当を取り出す。その瞬間に、僕はふと気が付いて、社長に声を掛ける。
「あ、すいません。社長もお弁当、温めますよね? 僕、気がつかなくて先に使ってしまって」
「何、気にするな。わしゃ、蕎麦弁当じゃったからレンジは使わんよ」
社長はもうすでに、啜りながら蕎麦を食べていた。
「早乙女君、社長は昼、蕎麦かうどんしか食べないのよ。だからレンジ使うことなんかないから、そこは気にしなくてじゃんじゃん使っちゃって大丈夫だからね」
サイさんが振り返って言う。
「そうなんですか。わかりました。ありがとうございます」
僕はお礼を言ってデスクに戻る。水筒に持参したお茶とお弁当を広げてもそもそと食べる。社長はすでに食べ終わった様子で、楊枝を使って歯をいじったり、コークを飲んだりしている。今のところ、お客さんが入ってくる気配もなく、サイさんが僕の斜め前で、キーボードを叩く音と、僕がご飯を食べる音だけが響いて、何となく気まずい。
「あーと、なんじゃ、早乙女君は、仕事、慣れたかね?」
気まずさを察してか、コークに飽きたのか、社長が口を開いた。
「はい。入社した頃よりはだいぶ慣れました。でも、僕なんかまだまだですけど」
「いや、早乙女君は頑張っとるよ。桐藤君もじゃけど、若い二人が入って頑張ってくれて、わしらは有難いと思っておる」
僕は社長の言葉に嬉しくなってお礼を言う。
「そこで、少し相談があるんじゃがの」
「はい、何でしょう」
僕は内心ドキドキしながら答える。
「今の業務にも慣れてきたようだし、事務仕事だけじゃなくて、お茶出しと、近場の見学対応なんかのちょっとした接客なんかもやってみないか?」
「えっ。僕が、来客対応ですか? け、見学? お茶出し? でも僕、接客はないって聞いて、この会社に入社することを決めたってのもありますし」
「うむ。面接のときにそれは確認しとる。その時はそれで良いとわしも思った。けどじゃ、早乙女君は、最近、入社したての頃よりもだいぶ明るくなったし、表情も生き生きとしとる。このままもやしのように内勤ばかりやっておっては腐ってしまうのじゃないか、とわしは思ったんじゃ。と、冗談はさておき、正直内勤だけではもったいない。内勤なんぞ、正直サイがいればいくらでも何とでもなる。お主にはさらにすてっぷあっぷして欲しいのじゃ」
「そうですかね。まあ、お茶出しくらいなら、何とか。でも、見学とか・・・。僕、運転はペーパードライバーですし」
「そうなんじゃな。それなら、休日でも仕事の空き時間でも昼休憩でも何でもよいから、練習したらどうじゃ。この辺だと、運転できないと不便なときもあるぞ。慣らしておいて損はあるまい」
「そ、そうですよね」
「うむ。まあ、今すぐに答えろとは言わん。前向きに考えてくれ。来月までには返事をくれ。もし、やってくれると言うなら、それなりに賃金も上げるぞ。悪い話ではなかろう」
社長はそう言うと、巾着とコークを持って給湯室へ向かった。
急な提案に、僕の頭はしばらく回転しなかった。とりあえず、今言われたことを三往復くらい繰り返して脳みそに定着させた。記憶が定着したら、ますますどう返事をしてよいか悩んだ。今悩んでも仕方がない。と僕は思い、残りの弁当を食べてから水筒のお茶で喉の奥を流すように飲み込んだ。
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