第8話 パスタ

 今日は待ちに待った木曜日だ。桐藤さんとランチの約束をしていた日だ。僕は昨夜から気持ちがざわざわして落ち着かなくて、落ち着きのなさでどうにかなってしまいそうだった。それでも、お金をいただく以上、仕事だけはきちんとしなくてはいけないと思って、午前の仕事に取り掛かる。僕の場合はほとんど毎日がルーティーンワークのデスク作業だから、そこまで頭をフルに回転しなくてはならないわけでもないけれど、数字の間違いとか、誤字脱字とか、不意にお客さんが来店されたりもするから、わりと気が抜けない。

 とはいっても、来客対応はサイさんが対応してくれるから、僕は特別何もすることがないのだけれど、見知らぬ他人がオフィス内にいるというだけで、肩に力が入ってしまう。

 リラックスするために、僕は昨夜の桐藤さんとのメッセージのやり取りを思い出すことにした。

 昨夜の十一時、僕はベッドに入ってそろそろ眠りにつこうかとうとうとしていたところだった。急に短い着信音が鳴ったので、スマホを見たら、桐藤さんからの初メッセージだったから驚いたと同時に嬉しくなった。連絡先を交換したものの、僕から何を連絡したらいいのか考え過ぎてしまい、仲良くなりたかったけれど、ひとつもメッセージを送れないでいた。


「お疲れ。明日の昼飯の店、どこにするか決めてあるか?」  桐藤


「はい。もちろんです。大通りを出てすぐのところにある『夢の道』っていうパスタ屋なんですけど、ランチが安くてボリュームあっておすすめなんですよ」  蓮


 僕はこの日のために、ネットで近所の美味しいランチを検索したけれど、田舎なのでそこまで店の数があるわけでもなく、めぼしい店を検索できたとしても、レビューでしか味の保障がわからにところに、桐藤さんとランチすることに気が引けて、結局家族で時々食べにいく定番のパスタ屋を選んだ。ここは薄暗い店内で雰囲気も良いから、ちょっとしたデートみたいな気分に僕だけでもなれるだろうし。


「パスタか。たまにはいいな。じゃ、明日よろしく」  桐藤


「はい。連絡ありがとうございます。おやすみなさい」  蓮


「ああ。寝るの、早えな。お休み」  桐藤 


 ヤバい。心臓が破裂しそうだ。僕はスマホを抱えたままベッドの中でうずくまった。


 そして今、胸を高鳴らせつつ桐藤さんの帰りを待っている。

「ただ今戻りました」

 待ちに待った桐藤さんの声が社内に響く。年の割に渋い声に、相変わらずスーツ姿が決まっていて恰好いい。それに答えるように、社内に残っている僕たち三人が「お疲れ様です。お帰りなさい」と各自ハーモニーのように答える。

「早乙女、仕事の区切りはついてるのか?」

「え? あ、はい」

「そっか。じゃあ、すぐ出てメシにしようぜ」

 時計を見ると、十一時を指していた。昼休憩には少し早い気がして、僕は返事に戸惑っていた。

「なによ、二人してまたランチに行く気?」

 サイさんがデスクから振り向いて言う。

「はい。今日はパスタの予定です。良かったら社長とサイさんも一緒にどうです?」

 桐藤さんは堂々と答える。

「パスタぁ? そんな外国かぶれのもん、わしゃ食えんわ」

 社長は苦虫を嚙み潰したような表情でデスクから首だけ振り返って答える。

「あたしも無理。胃がもたれちゃって。やっぱりあたし達の世代は、おうどんかお蕎麦あたりがいいわよね」

 サイさんも首をねじってこちらを見ながら言い、最後に社長を見つめる。

「じゃなじゃな。だから今回も二人で行くといい。少し早いがメシ休憩にして良いぞ」

「え? 良いんですか? ありがとうございます」

 僕たちは丁重にお礼を言って、社内を出た。


 助手席に座り、桐藤さんに道案内をする。相変わらず、鼻筋が通って、釣り目とのバランスが絶妙で運転する横顔が格好いい。パスタ屋『夢の道』は、こないだのラーメン店とは逆方向で、桐藤さんは行ったことがないとのことだった。

「俺、だいたい仕事の日は、昼はラーメンか牛丼だから」

「そうなんですか。僕は昨夜の残りを詰めてお弁当持ってきてますね」

「ああ、こないだ公園で食ってたもんな。唐揚げ、美味かった。あれも早乙女が作ってるのか?」

「はい。もちろんです」

「すげえな。男で料理できるなんて。俺なんかコンビニとか外食ばっかだぜ。一人暮らしだと自分のために料理しようなんて思わねえし。そもそも面倒だしな」

「男とか、関係ないですよ。今の時代」

「そ、そうか」

 桐藤さんは少し焦ったように言う。その姿が意外性があって可愛い。

「あ、そういえば僕、桐藤さんのためにとびきり辛い辛口カレー作ってきたんですよ」

 僕は鞄から、弁当箱の入った巾着袋を取り出した。桐藤さんは赤信号で止まった際にそれを見ると、驚いたように言った。

「本当に作ってきたのか? でもそれじゃ、早乙女なんかは食えなかったんじゃないのか?」

「大丈夫ですよ。辛口でも、美味しく食べる方法がありますから」

 実際、僕と父と母は蜂蜜をたっぷりとかけて辛口カレーを食べた。これはこれで美味しくて、家族にも評判だった。

「そっか。何か悪いな。でも、サンキューな」

 桐藤さんは照れたように微笑む。こんな表情を見たら、無理とわかっていても僕は何かを期待してしまう。そして変な期待をしないようにと、美味しいランチのことを考えることにした。


「パスタって、俺、あんまり食ったことないから、何にしていいかわかんねえんだよな」

 薄暗くて雰囲気の良い店内で、桐藤さんはメニューを見て呟く。薄暗いからか、正面から見ると、より一層美形が際立つので、思わず見とれそうになってしまう。

「セットメニューがお得なんで、これにしましょう。パスタにバゲット、サラダとドリンクにデザートがついてるんで、パスタを選べばOKですよ。僕、カルボナーラにしますね。桐藤さんは、辛いのが好きでしたよね? ペペロンチーノあたりがいいかと思いますよ」

「そっか。じゃ、任せてそれにする」

 僕は了解して、店員さんに注文を伝えた。

 料理が運ばれてくる間、桐藤さんは珍しそうに店内を見回すと、言った。

「早乙女、よくこんな、こじゃれた店、知ってるな」

「時々、家族で来るんです。安くて雰囲気良くて、美味しいから家族に評判なんですよ」

「そっか。俺も今度、彼女連れてこようかな」

 『彼女』という言葉に、僕の胸がチクリと痛む。

「良いですね。彼女さん、喜びますよ。きっと。桐藤さんの彼女さんなら、きっとお綺麗なんでしょうね」

 さりげなく探りを入れてみる。けれど、真実を知ることも怖い。

「まあな。高校ん時からの腐れ縁。でも、学年で一番くらいにはモテてたぜ」

 桐藤さんは照れたように笑う。僕は聞くことが辛くなって、「そうなんですね」「良いですね」と、適当に返した。

「あ、でもさ、あいつ料理下手なんだよな。一度だけ食ったことがあるんだけど、それ以来怖くて断ってるんだ。あいつの手作り料理。だからさ、早乙女みたいに料理できる奴、俺、素直に尊敬する」

 僕を見て微笑む桐藤さん。その笑顔と言葉に僕の傷口が少しだけ癒えたところで料理が運ばれてきた。

 桐藤さんと僕は空腹に任せて、ほとんど無言のままサラダからバゲット、そしてメインのパスタまでを一息に平らげた。平日の昼は特にお腹が空く。時々そんなことを言い合って、食事に集中していた。

「このペペロンチーノってパスタ、辛味があって美味かった。それにけっこうボリュームもあったし。いいな、この店」

「良かったです。気に入ってもらえて」

 僕はデザートのイチゴケーキと紅茶を楽しみながら答える。桐藤さんは

「俺、デザートは甘いからいいよ」

 と、遠慮していたけれど、そこまで甘未が強くないベリーヨーグルトケーキにブラックコーヒーを合わせて注文し、現在、食して満足しているようだった。

「うん。甘さ控えめだし、コーヒーと一緒ならさらに甘未が中和されてちょうどいいな。コーヒーも美味いし」

「甘さ控えめならデザートもいけるんですね。良かった。桐藤さんの好み、覚えておきますね」

「ああ、悪いな。頼む」

 桐藤さんは満足そうにコーヒーを啜って微笑む。こうして楽しく時々ランチできるのなら、僕はもう仲の良い同僚でも良いと改めて思った。

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