21. 剣聖

 よいか、ギャレス。剣は人を斬るための道具。そして、人を斬らぬための手段。


 剣があるがゆえに避けられる戦いもある。


 剣と、それを扱いきる技量があれば、避けられる殺人もある。


 剣技の究極の目的は、平和にある。


 誰も剣で死なず、殺さず、殺させず。


 そのためにも、お前は強くなれ。人より優れた肉体を持つ角狼人ヴァルガルであるお前なら、あの方がつくり上げたその全ての剣技を扱い切れるだろう。


 俺に剣を教えると決めた時のじいちゃん――剣聖・アグラード伯爵――の言葉だ。


 じいちゃんはごく普通のそこらにいそうな男だった。年齢はというと俺と出会った時すでに六十を超えていて、数字的には十分に老いていた。だが、その剣技は確かだった。領地も有していたが、その統治は全て息子たちに任せていて、自身はむしろ国王の直属の部下として働いていた。


「じいちゃん、引退しないの?」

「何からじゃ」


 ある時、王都から帰ってきたじいちゃんにいてみた。


「政治とか面倒くさいんじゃない?」

「ワシは政治の話なぞせんよ。国王陛下は正義にあふれた聡明なお方。バルゼグート老も実直にして生真面目。アレンゴル一派を除けば極めて健康な王国じゃろ」

「じゃぁ、何しに遠い王都まで?」

「そのアレンゴルへの牽制じゃよ。ワシが国王陛下のおそばにおれば、奴らも軽挙妄動けいきょもうどうつつしまざるをえん」


 その時の俺は、その言葉の意味をよくわかっていなかった。


「じゃぁ、じいちゃん、ずっと王都にいたほうがいいんじゃない?」

「そうじゃのう。国王陛下がご健在のうちはよいが」


 そこでじいちゃんは「ああ、そうじゃ!」と手を叩いた。


「国王陛下がな、お前に大層興味をお持ちだ。明後日、また王都に向けて出発するが、その時に同行せい」

「俺が? 獣人だよ?」

「それがいいんじゃよ」

「獣人が謁見なんてとんでもないって騒ぐ連中が大勢いることくらい、俺だって知ってるよ」

「国王陛下に差別意識はないのじゃ。獣人やエルフと手を取り合っていくこともまた、王国の未来には必要なことだと陛下は常々おっしゃっておる」


 ふーん……。俺は別に為政者いせいしゃの思惑に興味はなかった。いま興味があるとすれば剣を極めるための修練方法くらいだ。


「そういえば、王女が生まれたとか?」

「うむ。それが目的で王都まで行っていたのじゃ。まだ目も開かぬ赤子じゃったが、そりゃもう、可愛いのなんの」

「じいちゃん、ひ孫にも甘々だからなぁ」


 俺が言うと、じいちゃんは腕を組んで重々しく頷いた。


「どんな世の中であれ、どんな時代であれ、子どもは全て愛されるべきなのじゃよ。それこそが平和の前提条件じゃ」

「じいちゃん、剣聖なのに平和好きだよね。仕事なくなるんじゃない?」

「剣技なんざ伝説の中にうずもれるのが正しいのじゃ」


 その半月後、俺は国王と謁見した。


 ――その前に、王都の広さと賑やかさに圧倒されたわけだが。


 王都には数多くの獣人が住んでいた。確かに豊かな暮らしをしているという雰囲気ではなかったが、かといって身を持ち崩している様子でもなかった。それなりの暮らしができているように見えた。


 そして人間たちは獣人を全く恐れなかった。むしろ角狼人ヴァルガルが珍しいのか、子どもたちが大勢寄ってきた。もちろん、誰もが知っている剣聖アグラードが隣にいるという安心感もあったとは思う。


「ここがお前の住む都になるのじゃよ、ギャレス」

「え?」

「お前は今日からここで王室の護衛部隊に加わる」

「ぜんっぜん聞いてなかったんだけど」

「言っておらんかったし、そもそもお前に拒否権はなかったのじゃ」

「ええ……」


 じいちゃんは昔から強引なところはあったけど。


「お前はもう一通りの技を体得しておる。この先必要なのは仲間と実戦経験じゃ」


 城への途上で、じいちゃんはそんなことを言っていた。


 もっとも、じいちゃんの言うことには一理あると思った。一人で素振りを繰り返したところで、今以上に強くはなれない。


「わかったよ、そういう話になってるならそれでいいよ」

「うむ」


 そして国王と相見あいまみえたわけだが、国王はいかにも武人然とした体格の男だった。広い肩幅、服の上からでもわかる筋肉の束、隙のない動作……。整えられた口ひげやきちんと撫でつけられた髪には清潔感もあった。


「王妃は今、シエルの世話中でな。すまんが、今日は俺だけだ」


 玉座から立ち上がった国王は、俺たちを立たせると「ついてこい」と告げて歩き始めた。剣聖がいるからなのか、護衛の兵士はついてこなかった。よほど信頼されてるんだな、じいちゃん……。


「ここが護衛部隊の詰め所。ギャレス君はここで訓練に明け暮れてもらう。鬼人ゴブリン退治や盗賊狩りなどには積極的に動いてもらうからそのつもりで」


 俺は「はい」と頷く。王族への口の利き方がわからなかったから、必然ぎこちない対応になってしまう。


「ギャレス君、君が羨ましいよ」

「え?」

「君は剣聖から剣技を伝授されただ」

「そ、そうなの、じいちゃん」

「うむ」


 そんな大事なことをしれっと隠すのはやめてほしかった。


「かつてな、若かったワシにこの黎明の剣技を教えてくれた騎士がな、言っておったわ」

「……?」

「剣技を辿れば、私はまたお前に会えるだろう。お前が老いて死のうが、伝える意志があれば想いは滅ばぬ。お前が私を置いて死のうが、私はお前の意志ときっといずれ再会するさ、とな」

「よくわかんないな」


 この時、まさかじいちゃんの剣の師匠がだったなんて知らなかったわけで。じいちゃん、本当に肝心なことは言わなかったな。


「シエルにいずれ、君から剣技を伝授してもらいたいものだ」

「御冗談を、陛下」

「冗談ではないさ、剣聖。人の上に立つ者は誰よりも強く、賢くなければならない。己一人では無理だとしても。そのためにも、シエルには剣が必要なんだ。そう思わんか」

「お転婆てんばに育ちそうですなぁ」

「俺たちの娘がに育つはずもなかろうよ」

「それは、そうですな」


 じいちゃんはそう言って、国王と共に笑う。国王は顎に手をやった。


「それに剣聖とてご高齢。いずれ第二の剣聖が必要にもなるだろう」

「ですな。本来、そんなものがなくても良い世の中であるべきとは思いますがな」

「そうは言うがな、剣聖。人の心は一つにはならんよ」

「ええ、それは。しかし、剣聖は常に影にいるべきですぞ。武の力を持つものが前に出て威嚇しているような世の中は正しくはない。武の力は抑圧に使うものではありませんからな」

「それは耳にタコができるほど聞かされている」


 国王よりもじいちゃんのほうがかなり年上なのだろう――外見で年齢をはかるのは俺には不可能だが、ここまで差があるとさすがにわかる。国王はじいちゃんに一定以上の敬意を払っているように見えた。そしてじいちゃんも遠慮がない。


「俺は剣聖と同じ時代に生きられて良かったと思っている。シエルにもこの気持ちを知ってほしい」

「なればギャレスを本当に指南役にでもしますか?」

「うむ、そう言っている。というわけでギャレス君。しっかり功績を積んで来たるべき日に備えてくれよ」


 は、はぁ。


 なんとなくそんな間の抜けた返事をした記憶がある。国王は笑って俺の肩を叩いた。


「獣人初の王族護衛隊長、なかなか夢があっていい」

「まぁ、その前に護衛部隊の面々に揉まれる日々が続きますがな」

「ギャレス君なら問題になるまいよ」


 なんか勝手に話が進んでいくなぁ……。


 俺は半分以上聞き流しながら、そんなことを考えていた。

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