第7話 おにあまが好きな美人
大学の校内で文庫本を読みふけっている美女がいた。その美女のことを遠目から見ていると、そいつが気づいた。「……だれ?」
「ああ、ごめん。あまりにも美しかったから君に似合う花の名前を考えていたよ」
「なにそれ、下手な口説き文句ね」
「その、なんの本を読んでいるんだ?」
「馬鹿にしないでくれるなら、教えてもいいけど」
「――俺のモットーでな、『本好きの愛する本を侮辱することは、その人間を侮辱することになる』というのがあって。だから、決して馬鹿にはしないさ」
そもそも、この年齢で他人が読んでいる本を侮辱するような恥知らずな人間はいるのか?
その美女はまた美しい栗色の髪を揺らしながらこちらに近づいてきた。
そしてブックカバーを開き、表紙を見せてくれた。
『お兄ちゃんに私は甘々なのです』
俺は片目を覆ってしまった。「おにあまか……」
その人は形の良い眉をひそめた。
「馬鹿にしないって言ったじゃない」
俺はボディサインで否定しながら、「そういうわけじゃないよ。これ、人気だよなって思ってさ」
するとその女性は無邪気にはしゃぎだした。「そうなの。すごい人気なラノベでね。今年の『このラノベが凄い』にも選ばれたのよ」
「このラノベが……すごい?」
そうしたら美女が肩を落とし、睫毛を伏せた。
「知らないよね。どうせあなたも『陳腐なラノベなんか好きなのかよ』って思ってそうだしね」
「違うよ。小説のジャンルの違いに、陳腐もなにもないだろ。ちょっと疎かっただけだけだよ。その、ラノベ方面にさ」
美女が目を潤ませながら「本当?」と尋ねてくる。
「もちろんだ。俺は……そうやって安易に何事にも線引きをしたがる人間を軽視しているんだ」
満天の笑みを浮かべた、美女。
「ありがとう。ねえ、ちょっと付き合ってくれない?」
「え? どこに?」
「秘密の箱庭!」
「でも、これから講義が……」
美女が俺の手を引いて駆けだしていく。「いいから行くよ」
◇
駅の校舎で白い息を吐き出しながら、名の知れぬ美女と電車を待っていた。
何でもない日常が音を立てて崩れる瞬間に、新しい出会いがある。
田中優が言っていたが、かの三島由紀夫の言葉に、「初恋に勝って人生に失敗するというのは良くある例で、初恋は破れるほうがいいと言う説もある」というのがあるらしい。詳しくは知らんが。
そうは言いながらもこの美女との出会いは、初恋とは違うが、どこか似たような感情が胸のあたりを撫でてきた。
「煙草一本良いか?」
「いいけど、向こうで吸ってきてね」
「分かったよ」
俺は喫煙ボックスへと向かう。
メビウスに一本火を点け、副流煙が天井に昇る。
ここから彼女の様子を見る。
「……いったいどこへ向かうんだ」
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