第8話 琅貴妃・桜韡

 懍璉宮は、華やかながらも楚々とした美を放つ庭園を有し、見事な彫刻が端々に施された、荘厳な作りであった。


 内は、どれも見事な物ばかりで揃えているが。贅沢を感じさせない端正な纏め方をされていた。


 寵妃が住まう為に、豪壮な部屋作りを予想していた私にとっては衝撃だったけれど。この宮の主である、琅貴妃・桜韡いんしぇ様にお会いしたら、豪華と言うよりも雅で楚々としている宮になる訳だと思った。


 気品と美しさに溢れ、成程帝も虜になる訳だと納得してしまう容貌。付けている髪飾りや簪、象嵌細工が見事な護甲爪は、華美と言うよりも品性を感じさせる。

 桃色を基調とした緩やかな漢服も、彼女の持つ美しさを際立たせている様に見えた。


「その子が、貴方の言っていた子ね?」

 桜韡様の美しい瞳が、私だけを捉えている。しかも優しく綻ぶ口元からは、不思議な「ワクワク」感が仄かに感じられた。


 何だろう? って、不思議に思うはずなのに。今は、桜韡様の魅力に引き込まれているせいで、「ほわぁ」ってしちゃうわ。弘惇様の時は、とても嫌に思うはずなのに……。


「えぇ、彼女が李燈花です」

 彼女は貴女様の力になりますよ。と、弘惇様がサッと身体を傾け、後ろに控える私を見せつけた。


 私はおずおずと足を前に進ませ、サッと拱手して頭を軽く下げる。

「李燈花と申します……どうぞ、よろしくお願い致します」

「私は琅貴妃、桜韡と言います。これからよろしくしてちょうだいね、燈花」

 頼りにしているわ。と、桜韡様は艶然と言うと。スッと手を口元に運ばせて、「貴方は、本当に人を見る目がありますね」と、コロコロと鈴を転がす様に笑った。


「こんなに愛らしい子だもの、未だに福晋を選ばぬのも納得です」

「でしょう?」

 何故だか、弘惇様がこちらに誇らしげな笑みを向けてくるのだけれど。今の私は、桜韡様の魅力に惹かれているせいで、彼が向けてくるものの意味なんてどうでも良くなっていた。


 桜韡様は「そうね」と嫋やかに首肯してから、「さて」と朗らかに話を転換させる。

「燈花には、他の者の紹介と宮の事を教えてあげなければいけないわね」

 柔らかく細めた目で私をまっすぐ捉えて言った。


 そして弘惇様の方にサッと視線を戻すと、「色々と感謝しますわ」と礼を述べる。

「近々窺おうと思っていますけれど。貴方からも、海鈴はいりん姉様によろしくお伝えしてくださいね」

「えぇ、母にはしかと伝えておきます」

 弘惇様は結ばれた会話に、何か思う所でもあるのか。朗らかに頷いたものの、その場から動こうとしなかった。


 確かに、婉曲な言い回しをなさっているけれど。これは「もう退出してくださいね」って言う、桜韡様からの促しだ。


 誰が聞いても、そうだと分かるはずなのに……弘惇様って、他人の言葉を汲み取れない方なのかしら? 

 皇子なのに? いや、皇子だからこそ?

 

 私の心にズラッと失礼千万な言葉が並んでしまう。


 すると丁度、私の横に居る千棃様から「弘惇様。そろそろ公務に戻らねば、後が閊えてしまいますよ」と、やんわりと窘められた。


「燈花の事は、私に任せてくれて大丈夫よ」

 フフッと優しく告げる桜韡様の言葉もあって、ようやく弘惇様は「では、失礼致します」と引き下がる。


 去り際、「じゃあ、またね」と残念そうな声を落とされた。


 また、なんて言う機会は当分良いかなぁ。と思う心からの言葉をグッと押さえて、私は「はい、また」と拱手して答えてあげた。


 そうして弘惇様の退出を見送ると、桜韡様は「貴女も大変ねぇ」と面白そうに零す。


 私は「も」と言う助詞に、怪訝に首を傾げてしまいそうになるが。取り敢えず「いえ」と、首を振っておいた。

「桜韡様の方が大変な思いをなさっていると思います。かなり多くの敵意や悪意を向けられていらっしゃるので」

 言い終わった直後、ぶわっと凄まじい後悔に塗れる。


 しまった、やっちゃったわ! こんな言葉、無礼に当たるわよね? いや、当たっているわ。桜韡様の顔がピキッと引きつっていらっしゃるもの、それに言葉を返されない事が何よりの証拠よ!


 凄まじい後悔にガウッと急き立てられ、私はバッと頭を下げ「申し訳ございません!」と、悲鳴交じりの声を張り上げた。


「これは決して、桜韡様を軽んじている言葉ではなく!」

「分かるの?」

 私の切羽詰まった言葉を制する様に、驚きに滲んだ可憐な声がしっかりと飛ばされる。


 ハッとして桜韡様を窺うと、桜韡様は大きく丸めた目で私を射抜き、言葉の真偽を図っていた。


 私はおずおずと首肯する。そして丁寧な言葉を全力で選びながら、恐る恐る言葉を紡いだ。

「ほとんどのものは実害を及ぼすには至らず、ただ向けられているだけですが。すでに、実害を及ぼしている殺意があると感じます」

 違いますか? と、桜韡様のに側めた視線をそっと向けた。


 桜韡様は顔いっぱいに驚きを広げたけれど

「貴方には、なんて物では隠せないみたいね」

 後宮初の呪護師として任じられた訳が分かるわ。と、驚きを緩やかに瓦解させ、弱々しい笑みを浮かべた。


 そして側に控えていた蕊恋ずいれんと言う侍女に「手ぬぐいを持ってきて」と命じる。


 蕊恋は命じられるや否や、すぐに動き、数分も経たぬ内に手ぬぐいを桜韡様の手元に運んだ。


 桜韡様は「ありがとう」と手ぬぐいを受け取ると、自分の首を弱々しく拭いながら言葉を継ぐ。

「帝のお通いがある日以外は、毎夜の様に現れるの。最初は夢かと思ったけれど、そうじゃないと思い知らされたわ」

 顔の白さと同じものが塗りたくられていた首から、白さが拭い取られると、その下にあったものが露わになった。


 桜韡様の艶やかな肌を痛めつけ、鮮明な赤を刻み込んでいる、手の痕が。

・・・

 貴妃の読み方、見ていたドラマだとぐうぇいふぇい?的な読み方していたかと記憶しているのですが。こっちの作品は、普通に「きひ」読みで大丈夫です!w

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