3話 327番目の実験体

 アンの声に弾かれるように、荒野を全力で走り出す。


 背後から、複数の気配が近付いてくるのが分かる。あれがアンの言う【魔法保安取締局マトリ】なのだろう。


「僕のせい!?」


 走りながらそう問いかける僕に、アンは振り返りもせずに答える。


「今日のは完全に計算外!低級魔法でも威力によっては引っかかるんだ!」


 どこか嬉しそうな声色のアンの方を見ると、彼女は全力で走る僕の少し前を、浮遊しながら小さなカバンの中をゴソゴソとしていた。


「おいアンまたテメェか!?」

「今日という今日は捕まえてやるからな!」

「横のお前!避けろ!そいつは危険な錬金術師だ!」


 後ろから声が聞こえる。が……


「えっと……お知り合い?」


 なんだか様子がおかしい。っていうか横のお前って僕のこと?主犯がアンだと思われてるの?


「言ったでしょ!ヒマな連中なの!」


 なるほど、なんとなく理解わかったぞ。つまりテメー、常習犯だな?


「何回目だよ」

「数えてない!」


 そう言いながら、アンは懐から何かを取り出した。何か銀色の物体が入った小さなビンの様だ。


 呆れる僕をチラッと見やり、アンはニヤリと不敵に笑う。


くわよ!」


 そう言って地面にビンを叩きつけるアン。


 当然ビンは割れて、中の銀の物体がボウッと辺りに広がる。


 銀の粉末は忽ち霧のように僕らの後方に立ち込め、そこに突っ込んだマトリ達の視界を奪う。


「完璧っ!」


 嬉しそうなアンの声。


 背後から聞こえる「あぁ!」とか「クソっ!」とか悔しそうな声が、だんだん遠くなっていく。


 アンは飛行する速度を緩めることなく、僕はその背中を追いかけて走り続けた。


◇◆


 荒野に面した森の中に、見たことのある建物が現れる。


 アンの研究室だ。


「やっと着いた……」


 走った速度や距離に反して、息は全く切れていない。これも錬成された肉体故の特性なのだろうか。


 だが、身体に反して精神は中々に疲弊した。


 一方アンは涼しい顔で、テーブルの上のガラス容器に満たされた水をコクコクと飲んでいる。


「逃げ切れた……のか?」

「そうね。この研究室には結界が張ってあるから大丈夫なハズよ」


 ケロッとした表情のアンに、だんだんと腹が立ってくる。


「捕まるところだった」

「そうね、尋問くらいはされてたかも。下手をすれば私も人体錬成の罪で最悪極刑ね」


 軽く言うアンだが、その言葉に茶化した様子は無く、むしろ心の底にある覚悟のようなものすら感じられた。


「そもそも、さっきの力は何なんだよ!」


 抑えきれずに感情が言葉として口から漏れた。


 そんな僕に対してアンは至って冷静にコップを置き、訝しげな表情でこちらを見つめる。


「さっきも言ったけど、敵を殺すための機能よ」

「でも──


 反論しようとすると、それを遮るようにアンが口を開く。


「良い?貴方がどんな国の人間だったかは知らないけど、ナトレア王国はその影響力から周辺国に常に狙われてて、何度も武力衝突が起きてるの。私のパパも、私が産まれてすぐの頃に起こった戦争で死んだ」


 口調こそ淡々としていたが、腹の底で怒りを燃やしているような熱があった。


「人体錬成は、『無限の兵力』と『死者蘇生』の二面性を持ってる。王国を救う研究になるのよ」


 僕はまた、何も言い返せなかった。


「第一、その力は私の積年の研究と才能の塊よ。あなたが今動けているのだって、私が錬成したからじゃない」


 アンの主張はごもっともだ。確かに僕が今考えたり動いたりできてるのだって、アンの人体錬成実験あってこそだ。感謝の気持ちだってある。


 けれど、自分の存在が彼女の研究の成果物でしか無いのだろうかと考えると、複雑な気持ちが湧き上がってくる。


「今の僕は一体、何者なんだろう。」


◇◆


「何?」


 そう言いながら振り返ったアンを見て、僕は自らの疑問を口に出していたことに気付く。


 そんな僕を見て、アンは当然のように言った。


「あなたは私が作った327番目の実験体よ」


 アンは、まっすぐ僕のことを見つめる。その琥珀色の瞳には、不思議な力が宿っているように感じる。


「実験体か」

「私にとっては、それ以上でも以下でもないよ」


 そんなあっけらかんとしたアンの態度が、なんだが有り難かった。


 確かに、今の僕は彼女がいなければ存在しない実験体。それが、今の僕の肩書なのかもしれない。


 ふと、自分の名前が脳裏をよぎった。両親が付けてくれた、大切な名前だ。


 けれど、その名前を呼ぶ人はもういない。


 ×× ×はもう死んだ。その名前は過去の僕だけのものだ。


 今の僕には、もう必要のないものなのかもしれない



「あのさ」

「ん、なに?」


 意を決してアンに話しかけると、テーブルの上の器具を弄っていた彼女は面倒くさそうに顔を上げた。


「僕には名前って無いの?」

「……え?な、なんで?」


 アンは目を丸くした。


 こんな事を言われるとは予想外だったのだろう。


「ずっと『あなた』だと落ち着かないからさ」


 少しうつむき加減になりながら、僕はそう言った。


 アンは腕を組み、黙り込んだ。


 琥珀色の瞳がジっと僕を見つめている。その視線は、どこか探るようだった。


「……自分で考えたら?」

「この世界のこと、僕はまだ何も知らないから。それに、僕を創ったのはアンだ。」


 アンは僕の言葉をじっと聞いて、小さく息を吐いた。


「まあいいわ。テキトーに、響きの良いのにしてあげる」


 そう言いながらも、その表情はどこか柔らかい。


「そうね……」

アンは顎に手を当て、少し考えてから言った。

「今日から、あなたの名前は『レイ』よ。……どう?」



──こうして、僕は『レイ』になった。

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