第1楽章[2節] 闇を照らす一つの姿

「おい、馬車から降りろ。」


一人の男の声で目が覚める。手に付けられた鎖よりも重い瞼を開き、周りを一望する。馬車が止まっていることから、どうやら目的地に着いたようだ。

外は未だ闇に包まれ、明かりという明かりは見えやしない。ここはどこだろうか。街中ではないことは分かるけれど、光がなく、視覚に情報が入らない。基本誰かに飼われ道具とされる私達は、どこかの家に送られるのが普通だ。でも、ここには明かり一つもない、街ではないどこか。わからない。今から何をするのか、何をされるのか。気にしていても仕方がない。どのような事でも良いようには扱われないのだから。

………。

他の獣人たちが男の指示に従って馬車を降りる。

一人一人が降りる度に、ギシギシという音が闇と静寂の中に吸い込まれるように消えていく。私もそれに続いて、馬車を揺らしながら降りる。

外に出ると、先程までなかった、雲から微かに覗いている月がある。その放つ銀色の光が地を照らして映し出されたのは、


「ここって………森…?」


隣りにいた一人の獣人が、吐息を吐くように静かに呟く。見渡す限り見えるのは、月光を帯びて薄く輝く木々と、馬車1台が通れるほどの一本の獣道。

何も無い、ただの森。それ以外の情報は入ってこない。これからの事もまるで予測ができない。

他の獣人をみていると、誰もがこの状況を理解できていないようで、皆困惑の文字を浮かばせていた。何か説明がなければ、全くわからない。今までにはない事で理解に苦労してしまう。次の指示が出るまで待っていると、


バタッッっ………


そんな何かが倒れたような音が聞こえた。それは自分のすぐ横か、あるいは森の中で反響した遠くでの音か。でも、考える必要はないだろう。なぜなら、その前に聞こえた何かを切り裂くような音が、前者の説を導いていたからだ。何が起きたか。きっと、私は分かっているはずだ。


「っ!」


「キャアァァァァ!!!」


他の獣人が叫びだす。耳の鼓膜を破壊してしまうのではないかと思うほど。

あぁ、やっぱり殺されたんだ。吐き気を催す異臭と、満月の光を反射した赤色の溜まりが、その考えを確実な事実へと変化させる。


「すまないね。商会から処分するように言われてるんだ。大人しくしていれば、痛む間もなく殺せしてやるから。せめてもの慈悲とでも思っておいて。」


優しそうな物言いとは裏腹に、極寒のように冷めた視線からは、まるで感情を読み取れない。彼らにとってはこれは仕事で、ゴミを捨てるのと変わらないことなのだろう。きっと、道具にしか見えていない。だから、傷つきすぎて見た目が悪くなった商品である私達は処分されるのだ。

必要がないならば生かしてくれてもいいのに。そう思うこともあったけど、それでは生き地獄で、結局何も変わらないとわかった。


「いやっ!!お願いします!まだ…まだ死にたくないんです。何でもしますから!………どうか………どうか………。」


一人が涙声で必死に懇願する。でも、それは無意味だろう。いくら情に訴えようとも何をしても彼らの判断が覆ることはないことは、私達の体に刻まれた傷が証明してくれる。きっと彼女も分かっているのに。意味がなく、仮に成功しても、その後に待ち受ける運命が悲惨であることも。


「なあ?もうよくね?さっさと始末しようぜ。俺は早く帰りたいんだよ。」


もう一人の男が気だるそうに悪態をつく。私を牢屋から連れ出した男だ。


「そうだな…。時間をかけるだけ意味ないかもな。だが、最期まで苦痛に塗れては可哀想というものだろ?。いいだろ、少しぐらい。」


刃先から赤い液体を垂らすナイフを掲げながら、

薄ら笑いを浮かべる。その笑みすら、言葉に表せない不気味さを感じさせる。


「チッ、お前の楽しみには付き合ってらんねえぜ。」


渋々といった様子で、馬車へと戻っていった。


「あ………そ……そんな…。」


「嫌だ……。イヤだ!イヤだ!」


片方は絶望のあまり膝から崩れ落ち、もう片方は恐怖のあまり叫び声を上げる。私はただただその状況を受け入れるしかない。今から私たちを殺す男の目は、好奇と狂気に満ちている。普通ではない。それを直感的に感じさせるほど、この男はおかしい。

私達を差別的に見る者の嫌悪や忌々しげとは違い、殺すことで快楽を得るような。それほどまでにこの男はおかしい。一歩、また一歩と徐々に近づいてくる。後ろの道はいつの間にか男たちに阻まれ、逃げることは叶わない。


「まあ、じっとしていれば怖い思いはさせないさ。だから………ね?」


その直後、悍ましいほどの血しぶきが宙を舞う。

男は獣人の首の大動脈を正確に切り裂いた。とても慣れた手つきで……。


「い………嫌……。」


もう一人が声にもならない消え入りそうな声で、

恐怖の色を混ぜて言う。身体は震え、覗く顔色は怯えて泣き出している。


「大丈夫だ。今、楽してあげるから……。」


穏やかな声に紛れた狂気の色が、隠されることなく体に感じられる。そしてまた一人、叫ぶ暇も、嘆く暇もなくその息を止めた。誰も反抗も、抵抗もすることなく、ただただ目の前の恐怖に怯え、慄き、殺される。私はその様子を眺めて、順番を静かに待つことしかできなかった。


「さ、最後だな。今回の子たちは大人しくて助かるよ。いつもだったら盛大に暴れられるから、大変なんだがな。」


淡々とそんなことを言ってのける男が怖くてたまらない。もう捨てたと思っていたのに。生きる活力も心も、私という全てを。そうすれば、この世界では生きられると、そう考えていたのに。今私は、恐怖を覚えている。この得体のしれない男に。ここから逃げたい。けど、足がすくんでまともに言う事を聞いてくれない。恐怖、絶望、狂気、それらに抗うように生きたいと願ってしまう。それは生物の本能なのか、私がまだこの世界に一つの希望を抱いているからなのか。いや、もうこの際どうだっていいかもしれない。どうせ、ここで終えるのだから。


「お前は何も喋らないな。できればもう少し取り乱してくれたほうが、面白くはあるんだが…………。まあいいか。」


もし……、もし私の願いが届くのならば、次の人生では楽しく過ごしたいな。おいしいご飯を食べて、皆と遊んで、笑って、恋して、一人の女の子として生きていけたら……。一度くらい、私の我儘を受け入れてくれるならば、どうか……どうか……。

目尻が熱くなる。目から流れる雫が、頬をつたって下っていく。胸が苦しくて、呼吸がままならない。でも、この苦しみからも、今から解放されるのだろう。

男がナイフ上げて切りかかろうとする。ナイフは月明かりを反射して、銀色に、そして濃い赤色を禍々しく輝かせている。

私は静かに目を閉じて、その時を待つ。

………。

…………………………。


ガサッ


不意にそんな音が聞こえた。草を掻き分けるような、そんな音。突如として聞こえた音に目を開ける。ナイフを持った男もその音に気が付き、音の主の方へと目を向けている。その音の正体となる者は森の中からこちらへと歩いてきて、その全貌を見せた。それはこの世の者とは思えないほど美麗で、誰もが注目してしまうような姿だった。蒼く光る美しい瞳に、月光を帯びて、薄く煌めく青みがかった流れるような銀の長髪。異常に整ったその顔は、男性にも女性にも見える中立的な顔立ちをしている。そんな容姿に見合ったように、自然と同化してしまうほど鮮やかな翠のケープマントを羽織っていた。

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