冥夜を照らすセプテット

バイもち

第1楽章[1節] 月下の光と闇

煌々と空を覆う無数の星々。

照らし出された空に浮かぶ、一等星をも魅了する

ような輝かしい銀色を放つ満月。

地には無造作に生い茂った大草原が広がり、

爽風によって草木が静かにたなびかれている。

辺り一帯を包み込む静寂と寂寥せきりょう

光も音も全てを吸い込んでしまいそうな暗黒も、

夜空が放出する十色の聖光に地が映し出される。

その幻想的な風景は、人の業には成せない自然の

産物だろう。

なんの変哲もない大草原だと言うのに、今だけは

世界の秘境。聖地の極致。

もはや現世ではなく天国ではないかと、

見た者をそう錯覚させる光景だ。

風音と星野光が交わる月夜に一つ、

緑の大海原にたたずむ人影がある。

聖域の如く映る風景を引き立てるようなその風貌は草原に紛れる翠のケープマントを揺らし、

銀色を基調とした、薄く淡く青みがかった長髪を

後ろで結んでいる。

壮麗な大地と合致したその美麗な容姿は、

幻想的な景色を崩さず、一つのオブジェとして

紛れている。

只々煌々とした満天の夜空を眺め、静かに微笑む。その様子はまるで芸術家によって成された

一つの絵のようだ。時も空間も何もかも、その全てが静止しているかのように思えてしまう。

しかし、その者が絵に微かに動きを付け足す。

左脇に抱えたライアーを、右手で一音、また一音と丁寧に音を紡いでいく。

紡がれた音はやがてメロディとなり、この場を包む優雅な曲に成り立つ。

魔性の月下に舞い上がる旋律が、

有象無象に生え上がった草木を躍らせる。

静寂に纏われた大地も、今だけは周囲の自然らが

観客となった壮大なオーケストラ会場だ。

最も、奏者は一人なのだが……。

それでも、銀色の月光が放つ十色のスポットライトが、大地を舞う静かな風が孤独の奏者に七色の花を咲かせていく。

自然が成した美麗な風景を一人の人間の手によってより甘美な地へと仕立て上げる。

その者は一言も言葉を発さず、

ずっと静かにメロディを奏で続けている………。




薄暗い。壁の隙間から入り込む風が、肌に纏わりつくように触れてとても寒い。地面に倒れ、冷めた石の床が私の身体をより冷やす。着ている服とも言えない汚れた布一枚では、この寒さには耐えれない。

でも、今までに受けた仕打ちと比べれば、そう大したことではないのかもしれない。いや、もしかしたら、もう私の心が壊れただけなのかも…。

手には頑丈な鉄の鎖で縛られて、まともに身動きも取れない。無理して動こうものならば、身体にできた痣が、傷が、ズキズキと傷んでやまない。

自慢の尻尾も耳も、傷だらけで汚れてみるに堪えないものだろう。

…………。

静かで、暗くて、視覚も聴覚も刺激するものは何も無い。鉄格子越しに見える壁にかけられた松明が、微かな炎を宿しながら静かに燃えている。今にも燃え尽きそうなその炎が、まるで死にかけている私の状況を表しているようで気味が悪い。

お腹が空いた。温かい物を食べて温まりたい。願わくば、風呂にだって入りたい。そんな願いは、世間にとっては傲慢で憎たらしい事なのだろう。

私が何をしたのか。獣人というだけで迫害され、暴行され、奴隷のように扱われる。私たちは同じ人とは見てもらえず、家畜同然。救いも、助けも、私達を受け入れてくれるところなんてこの世にはない。考えても仕方がないことだ。これが世の理なのだから。

…………。

その時、こちらに近づく足音が聞こえた。その音は徐々に大きくなり、この牢屋の前で止まった。

廊下の方に目をやると、フードを被ったガタイのいい男が立っていた。その男は私を一瞥した後、牢屋の鍵に手をかけた。ガチャガチャと乱暴に音を立てながら、不器用な手つきで牢屋を開いた。


「おい、早く出ろ。」


低く、気だるそうな雰囲気で言った。

これが私を助けに来た王子様だったら、どれほど良かっただろうか。わかっている。そんな事は一生訪れないことぐらいは。それでも期待してしまう、こんな世から解放される日が来ることを。

私はのそのそと立ち上がりながら、言われたように牢屋を出る。男は無言で私の背中を押し、歩くように催促する。その衝撃で少しよろめいてしまう。

体中に刻まれた傷が、その衝撃に呼応するように次々に痛みだす。でも、もがく暇はない。ゆっくりしていては、いつ男が叩いてくるかわからない。

私は壊れかけの体を無理やり動かし、足早に歩いていった。

…………。

しばらく歩いていると、外への扉が見えてきた。

外に出るのはいつぶりだろう。ここに入れられてからどれだけ時間が過ぎたのか。その世界はとても綺麗で見ていて飽きない。優雅な自然に壮大な青空、夜のみに見える輝く夜空。そんな綺麗な世界だったらよかったのに…。実際には私を汚い雑巾のように扱い、殴り、蹴り、飽きたら捨てる。横暴と貪欲に塗れた地獄のような世界。私は見てきたんだ。この扉の先にはそんな世界しか存在しないことを。

扉を開けたら、夜空の下に数人の男たちと、1台の馬車があった。きっとこの男の仲間たちだろう。

これから私はどんな風にされるのか。売り飛ばされるか、あるいはもう処分されるか。どちらにしろ変わらないことだ。生かされても心を捨てて生活しないといけない。それは死と同義。生きる価値が私にはない。


「んぅ……!?」


突如として男に捕まれ、強引に馬車の中へと投げ飛ばされる。私が物思いにふけっていたせいだろう。体にまた傷が増える。こんな汚い身体では誰も買わないのに。痛みを堪え、馬車の中を確認すると、私の他に3人ほどの獣人がいた。皆、汚い布1枚で、黙って下を向いている。その者たちは、薄暗い夜空の中でも分かるほど、体中に痣や傷を負っていた。目に光は宿していない。獣人は皆こんな目をしている。今までに受けた苦痛からの絶望の目のはずだけれど、これが普通なのではないかと錯覚してしまう。それほどに、見慣れてしまったのだろう。ここに救いがないことの何よりもの証明だ。

男たちは私たちの様子を気にせず、馬車へと乗り込む。どれもフードで顔を隠していてよく見えない。またここから、地獄のような日々が始まるのだろうか。そう考えると、空腹に入り交じった吐き気が、寒さのせいかわからない寒気が呼び起こされる。

もう寝よう。寝ている時だけが私とこの世界の意識を分離してくれる。瞼の重さと、体に纏う疲れに身を委ね、静かに眠りにつく。

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