ACT25 午後のお茶会

「あ」


「どうした柴田?」


 橙子と平山と休憩エリアで寛いでいた蓮は、海から入ったメッセージに笑みを浮かべた。

「海と吾妻、片付いたみたい。もうすぐ帰るって」

「そうか。私と君に比べて一日遅れだが、まあ上々だな」

 揶揄するような言い方に、蓮は苦笑した。

「またそういう……あんまり海のこと、刺激しないで欲しいんだよね。後でとばっちり食うのは俺だから」

「確かにな。ただあいつがムキになるのは柴田のことだけなもんで、面白くてつい」

「気持ちは分かるがな、今回ペアを変更されたことで水沼は随分と拗ねてたんだろう。柴田のためにもあまり弄るのはやめておけ」

「分かっているよ」

 肩をすくめる橙子に、平山は他にも何か言いたげだったが結局は何も言わなかった。

 その後間もなく到着との追加メッセージのタイミングで、蓮は飲みかけのオレンジジュースを持って立ち上がった。

「柴田?」

「もう近くみたいだから、たまにはゲートで出迎えてやろうかと思って」

「そんなサービスしていいのか? あまり甘やかすと水沼が調子に乗るぞ」

「ま、たまにはね。それに付き合わせたい所もあるし」

「ああ、例の件な。分かった、またな」

「うん、それじゃ」

 二人に暇を告げて、蓮は外部からのゲートに向けて歩き出した。


 ゲート側のスロープに付いている手すりにもたれ掛かりながら、ストローで最後のジュースを吸い上げると、ちょうどゲートが開いて海と吾妻が帰って来た。いつもの服装に戻っている二人にお帰り、と声を掛けると、先に歩いていた海がすぐに蓮の姿を見つけて目を丸くして近寄って来た。

「え、蓮。こんなとこでどうしたの? まさか今から出るとか言わないよね」

「おまえが連絡してきたから、わざわざ出迎えてやったんだろ。少しは素直に喜べ」

 海はもう一度びっくりしたように目を見開いた後で、たちまち破顔した。

「うん、嬉しい……ただいま蓮」

 目を閉じてこつりと額を合わせた後、ナチュラルに腰に回された腕を寸でのところで止めた。

「何で?」

「あ、吾妻いるし」

「あー……海さん、自分先行きます。室長室、後でちゃんと来てくださいね。一人じゃ理路整然と説明できる自信ないんで」

「だってさ。いい後輩だね」

「……」

 気を遣って通路を進んだ吾妻をもう振り返りもせず、蓮を引き寄せて抱きしめると頬に手を添えてキスをした。


***


 しばらくそうしていてから唇を離すと、上唇を舐めて海が首を傾げた。

「何か、甘酸っぱい」

「あ……これ?」

 手にしていたオレンジジュースのパックを見せると、海は悪戯っぽく笑って蓮の顎を持ち上げた。

「じゃあ、せっかくだからもう一口」

 再び唇を寄せてくる海を、蓮は物理的にせき止めた。

「いい加減にしろよ、帰任報告行くんだろ? あんまり遅くなると俺が吾妻に恨まれる」

「あづ一人でも問題ないと思うけど、最初にあちこち仕掛けをしたのは俺だから行った方がいいか。蓮はこのまま部屋に戻る?」

「いや、俺ちょっと買い物に。因みに報告後は時間あるか?」

「急な指名がなければ、予定は特にない筈だけど」

「なら俺とこの後、資料室まで行ってくれない?」

「ああ、ミストのとこ? もしかして買い物もそれ?」

「うん、約束したマカロン。おまえが面倒なら明日でもいいけど」

「構わないよ。じゃあ報告終わったらエレベーター前に行こうか」

「いや、待たせると悪いし休憩エリアででも座っててくれ。俺の方がエレベーター前に着いたら連絡する」

「分かった。じゃあ、後でね蓮」

 通路の途中で別れると、海は蓮に向けて名残惜しげに手を振った。それから室長室のドアをノックして入室した。


(あれ?)


 吾妻の姿を探している海に、如月は淡々と伝えた。

「木坂の話はほぼ要領を得ないので先に退室させた。報告を」

「あっそ、だったら俺も先に言いたいことがあるんだけど」

「何だ?」

「蓮には、先日のことで一度謝罪をしてもらいたいね」

「何故だ?」

「何故? 俺たち二人の関係を知っていて、そのプライバシーを業務の一端に無理やり差し出させた挙句にだんまりなんて、悪どいにも程があるんじゃないの。しかも俺はともかく蓮は知らされてもいなかったわけだし。謝罪は当然だと思うけど」

「任務上、おまえたち二人がピースとして必要だった――それだけだ。ミスでもないことを心情だけでいちいち謝罪していてはきりがない」

「そうかよ、クソ上司が……」

「口を慎め、それより報告だ」

 軽く舌打ちして、海は事務的に如月と向き直った。


***


 結局室長との話が予想以上に長引いてしまって、ペアの組み換えの件についての恨み言は控えたというのに、蓮からの連絡が入った時、海はまだ室長室だった。苛立ちも最高潮に達していた海はそれを理由に強引にその場を切り上げると、上司を置き去りにして蓮の元へ向かった。

 落ち合った際に正直にそのことを告げると、蓮は困ったように頭をかいた。

「仕事なんだし、そこは割り切れよ。そもそも俺の方が後からねじ込んだんだから、別に待たされても良かったのに」

「いや、俺自身もう室長との話に飽きてたから。実際無駄話多いんだよ。そもそも蓮とあのおっさんなんて、秤にかけるまでもないでしょ」

「おまえ、相変わらず室長には冷たいよな」

「だって相変わらず自分の采配に自信満々てところがムカつくんだよね。それに蓮だって一回痛い目見てるでしょ、あの時は怒ってたじゃん」

「それはそうなんだけど。ただ俺もあの時は感情的になり過ぎたかなって思ってさ」

「そんなことないよ、当然でしょ」

「それに室長って口で言うほど厳しくないって言うか、おまえには何だかんだで甘いように思える」

「え、冗談でしょ? 蓮は知らないだろうけど、昔から人使い荒いにも程があるんだから。蓮の観察中だって、ガンガンこっち呼び戻されて別任務当てられて……あんなの今も昔も俺しかやってないし」

「おまえだけ? じゃあ、他の俺みたいなのは?」

「事務方じゃない職員とか、もっと年長のノンリミとかが交替で張ってる。特別対応で蓮に出会えたことは感謝してるけど、通常以上に働かされたことはまだ根に持ってるかも」

「特別対応……ね」

 蓮は意味深に呟いたが、結局その場では何も言わなかった。


 エレベーターで地下四階に着くと、海がどこか懐かしそうに左右を見回しながらしみじみと呟いた。

「あー、この胡散臭い感じ。全然変わってないな」

「実際、どれくらいぶりなんだ?」

 蓮が訊ねると、海は指を折りながら答えた。

「三年くらい?」


「違う、もう丸四年!」


「!?」


 不意に背後から甲高い声がして、驚いて振り返ると訪ねてきた理由である当の少女が腕組みをしてその場に立っていた。蓮が一度会った時と同様にエプロンドレスにワンピース姿だったが、色とデザインは今日の方が華やかに見えた。

「あの扉の外に出てるなんて珍しいね。久しぶり、ミスト」

 自身も驚かされたことはおくびにも出さず、海が屈んで顔を近づけながら穏やかに挨拶すると、ミストは金髪を揺らしながらにこりと微笑った。

「本っ当に久しぶりね、海。最後に会った時はここまで目線も変わらなかったのに……四年も顔を出さないなんて、薄情にも程があるわ」

「だって、用事なかったし」

「元々、仕事なんて関係なく来てたくせに。分かってるわ、蓮に出会ったことで私はもう必要なくなったんでしょ?」

 ちらりと量るような視線を向けられ、蓮は思わず背筋を伸ばした。

「いやいや、誤解を招くような言い方やめてくれる? ……にしても、蓮、て随分気安く呼んでくれるね」

「べつに構わないでしょ? 蓮本人には初めて会った時きちんと了承をもらっているわ」

「ふーん。まあ、不義理したのは確かだし、ミストなら仕方ないか。特別に許してあげるよ」

「あら、あなたに許して頂く筋合いは全くないのだけれど?」

「そんなことないよ、蓮は俺のものだからね」

「喧嘩はよせって。今日は約束の差し入れに来たんだからさ」

 笑顔でけん制し合う二人を見かねて、蓮が宥めるように割って入った。ミストの前にしゃがみ、そもそもの目的だった土産の紙袋を差し出すと、ミストがパッと自然な笑顔になった。

「まあ、ジャンポールエヴァン! ここの大好き、ありがとう蓮」

 紙袋を抱きしめるように受け取り、自然に頬にキスすると、海が血相を変えて奪い返すように蓮を後ろから抱きしめた。

「ちょっ、何してんの? 橙子サンと言いあんたと言い、本当に油断も隙も無いな。さ、用事は終わったからさっさと帰ろうよ」

「何を言ってるの? お菓子を持参して旧友を訪ねたら、お茶にも付き合うのが礼儀でしょう?」

「いや、俺たちはいいって。せっかくの蓮の差し入れなんだし、一人で好きなだけ貪り食えばいいよ」

「……何て品のない言い方。分かった、じゃあ海は帰ればいいわ。蓮だけお茶に付き合ってね?」

「分かった」

「ええっ!? 蓮、ひど……だったら俺も残るし」

「あら、忙しいなら無理しなくていいのよ?」

「いや全然ヒマなんで。蓮、さっさと飲んでとっとと帰ろう」

「聞こえてるわよ、海」

 小声の耳打ちを聞きとがめられた海は素知らぬ顔でそっぽを向き、蓮は四年ぶりだと言う二人のやり取りを物珍しそうに眺めていた。

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