ACT24 カルテット・ライン4

「マジか……」


 空き教室で吾妻とそれぞれ分担を分け、地味に音を拾っていた海は、橙子からの別件終了の連絡に愕然としていた。同様にメッセージを確認していた吾妻は、スピーディーな解決に素直に賛辞を送った。

「橙子姉たち、早かったですね。それに柴田が自殺しかけたターゲット止めたとか。ぼーっとしてるイメージしかなかったけど、案外やりますね」

「……蓮のそんな貴重な姿、俺が見られないなんて最悪だよ。全部あのおっさんのせいだ、ハゲればいいのに」

「海さんはそう言いますけど、今回のこと結果的には良かったんじゃないですかね。柴田も海さんに庇護されっぱなしだと成長できないし、橙子姉と海さんだと仕事の進め方も違うから、目で見て色々な経験積むにもいい機会だったと」

「そんな正論言われても、ほーんとそうだねーとは言ってあげられないよ。蓮はその成長も含めて、本来全部俺のものなんだから」

「安定の束縛全開っすね……」

 乾いた笑いを返しながら、どこかで蓮を羨ましいと思う気持ちも否定できなかった。複雑な心境のままイヤホンから伝わる音声に耳を傾けたが、それらしい会話を拾うことはできなかった。

「今日は外れですかね」

「ま、元々こっちは手掛かり皆無だったし。そもそも県警が目星をつけた詳細が開示されてない以上、個人に絞って当たることもできない。学生の噂も俺の方はいまいち……あづはどうだった?」

「特に目ぼしいことは、何も。体育教師がロリコン気味だから気を付けろとか、そんな程度でした」

「うん、この上なくどうでもいいね。あとは夜まで待って収穫がなければ、今日は上がろう。もう焦っても仕方ないしね、こっちはこっちのペースでやるしかないよ」

「了解です」

 蓮が現場から離脱し安全圏に入ったこともあり、ようやくまっとうに機能し始めた海に顔をほころばせながら、吾妻は憧れの相手と仕事をできることに改めて喜びを感じていた。


***


 暗くなってから作戦を切り上げ、滞在先であるウィークリーマンションに戻ると、今日の状況を保護者役の職員に説明して海と吾妻はそれぞれ自室に向かった。リビングを職員が、個室は元々橙子と吾妻で使っていたため、2DKの広めのタイプではあるが特調施設より遥かに至近で寝泊まりすると思うと吾妻は妙にそわそわして落ち着かない気分になった。

「あ、風呂場先に使っていいよ」

「は、はっ……い」

 通常の会話なのに、ぎくしゃくして思わず声が裏返ってしまう。そんな吾妻の様子に、海はおかしそうに笑って付け加えた。

「言っとくけど、夜這い禁止だからね」

「はっ……? し、しませんよ!!」

「冗談だよ、じゃあね」


(柴田相手なら、逆にやりそう……)


 心臓をばくばくさせながら、それでもどこか冷静にそんなことを考えていた。

湯は溜めずシャワーだけ使って、上がったことを海にドア越しに伝えると、応えの後にドアが開いて中に手招きされた。

「何ですか?」

「録音してた方、データで保安室に飛ばして人力と機械両方で解析してもらったら、雑音に混じって面白いのが入ってた。聞いてみて」

 海の携帯に繋がったイヤホンを素直に耳に入れると、海が画面に触れて再生する。そこには、足音やガヤガヤと大勢の会話紛れて若い男の声が聞こえ――

「これって……」

「ビンゴでしょ?」

 片目を瞑った海の表情に一方的にドキリとしながら、吾妻は真剣な面持ちで頷いた。


***


 体育教師の柿崎陵(かきざきりょう)が、職員室のPCに届いた匿名のメールに呼び出されて選択科目教室に足を運ぶと、電気を消した薄暗い室内の中央の机上に座っていたのは小柄で愛らしい容姿の女子生徒だった。正直好みにドストライクすぎて、一瞬、そもそも脅迫めいたメールに呼び出されたことすら忘れて見惚れた。

 こちらに向けて下ろされた足の細さ、肌の白さに妄想を掻き立てられていると、女子生徒が首を傾げながら口を開いた。


「柿崎先生、ですよね?」


 高く澄んだ声に途端に現実に引き戻されると、柿崎は咳ばらいをしてから慎重に答えた。

「そうだ。あのメールは、君が?」

「はい。先生がここに来られたということは、心当たりがあったと判断して構いませんよね」

 メールの文面に書かれていたのは、『川崎区 三百万円 ○月○日』といった、宛名もなければ差出人も表記がない箇条書きのメモのようなもので、最後にこの教室の場所と時間が記されていた。他人が見れば何のことかも分からないが、柿崎にとってそれらは全て自身が関わって年寄りから詐取した内容と完全に符合していた。到底放置できる状況ではなかったので、特に策もなく呼び出しに応じたが、相手がこの女生徒一人ならどうにでも誤魔化せるのではないかと甘い希望を抱き始めていた。

「いや……正直、何のことだかはよく分からなかった。良ければ詳しい話を……」

 答えながら女生徒に近寄ると、いきなり横合いからカメラのフラッシュが光り、ぎょっとしてそちらを見ると携帯を構えた男子生徒が突然そこに現れていた。存在に全く気が付かなかったため、唖然としている柿崎から女生徒を守るように立つと、綺麗な顔でにこりと微笑った。

「彼女にあまり近づかないでください。日常的な噂になるくらいには有名ですよ、先生がロリコンだって」

「な、何を失敬な! 大体おまえ、一体どこから……」

「ひどいなー、先生。最初からいるのに、俺のことはガン無視ですか? まあ、暗かったしね。話題が話題なんで遠慮したけど、電気点けましょうか。あづ、よろしく」

「はい」

 ぴょん、と机から飛び降り、あづと呼ばれた小柄な女生徒が無駄のない動きで電気を点けた。室内が明るく照らされることで、二人の容姿が格別に人目を引くほどに整っていることが浮き彫りになる。そして、一年生であることは間違いないようだが、これだけ目立つ容貌にも拘らずまるで見覚えがないことを改めて再認識した。

「おまえたち、一体……」

「あ、自己紹介いります? 案外欲しがりますね、先生。俺は水沼、こっちは木坂です。今週転入してきたばかりで先生の授業に出たことはまだ一度もありません。なので見覚えなくて当然なんですけど、正直覚えてもらう必要もないんだよね。ここでの話が、たぶん最初で最後になると思うし」

 そう言って薄っすら笑った少年の、底知れぬ雰囲気に一瞬呑まれそうになったが、たかだか高一であることを思い出して体勢を立て直した。

「話というのは、あのメールの件か? そもそも匿名で、あんな訳の分からない怪しげなメールを教職員のアドレスに送るなんて、一体どういう……」

「分からない、って言っちゃう? さっさと認めた方がラクになれると思うけど――仕方ないね、あづ?」

「はい」

 少女は頷くと、手にしていた音声レコーダーのようなもののスイッチを押した。柿崎には知る由もなかったが、それは盗聴器で拾った音源を特調保安室で抽出加工したもので、周囲の雑音を消して柿崎が某所に電話をかけている声だけを鮮明にしたものだった。

『はい、俺です。受け子の逃げた野郎は、ふんづかまえてメンバーでボコりましたんで問題ありません。世田谷のジジイの家は、三人で……』

 会話の終了と同時にレコーダーを切ると、女生徒は汚物でも見るような目を柿崎に注いだ。男子生徒の方は相変わらず柔和な笑みを崩さなかったが、瞳にはどこか厳しい光を宿していた。

「さすがに校内で詐欺電話は掛けさせてなかったみたいだけど、組からの連絡は出ざるを得ないよね。これ拾うの苦労したよ。まさか自分じゃない、なんて言わないよね? まあ言ったとしても、やることは同じだから構わないけど」


(何なんだ、こいつ)


 先程の電話の音声は、確かに昨日体育館裏で自分が話した内容だった。校内で仕方なく対応したが、それでも辺りに誰もいないことだけは間違いなく確認していた。にも拘らず、目の前で再生されているということは――


(盗聴? 普通に犯罪だろ、それ)


 自分の行為は棚上げにして、目の前の学生二人を薄気味悪そうに眺めた。彼らの手数を見るにつけ、これ以上は何を言っても墓穴を掘るような気がして黙っていると、女生徒の携帯が控えめな音を立てた。画面を確認し、男子生徒の方に小さく囁いて画面を見せた。


「早いね。声紋照合取れた……てことで、今から県警に連絡するんで大人しくしててね」


「は? ふざけるな、さっきから俺は何一つ認めて……」


「別に、あんたの自白なんて最初から期待してない。俺たちが欲しかったのは、正当に手に入れたあんた自身と識別できる声だけ。今さら説明の必要もないと思うけど、ここでの会話は最初から録音させてもらった。後は、過去の訴えられてる案件の一つと照合・一致したことで即席の逮捕状は取れる……今から引っ張るのは任意じゃない。もう逃げられないよ。巻き込まれたにしろ進んで協力したにしろ、あんたが使ってた学生も芋づる式に挙がるのは時間の問題だろうね。この先は俺たちの仕事じゃないけど」

「じょ、冗談じゃねえ……っ」

 扉に向けて駆けだした柿崎の足を、瞬間的に前に回り込んだ少女がしゃがんだ姿勢で勢いよく払った。倒れると言うより投げ出されるように机の列に体を叩きつけられ痛みに悶えていると、ジャージの背の部分をつかまれて猫のように軽く持ち上げられた。

 百八十センチ、八十キロの体躯を、少女の細い片腕でやすやすと持ち上げられたことに、衝撃と恐怖を覚えた。容赦なく床に投げ捨てられた柿崎の背に、近寄った海が優雅に腰を下ろした。

「これ以上暴れられると面倒なんで、このまま大人しくしててね。あ、あづはこいつを喜ばせるだけだから、座らない方がいいと思うよ」

「いや座りませんけど。そろそろ県警が到着すると思うんで、誘導行ってきます」

「よろしく」

 吾妻にひらひらと手を振りながら、海は携帯を取り出して蓮に私的なメッセージを打ち始めた。


『任務完了ー☆ もうすぐ帰るね!』

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