第3話 お父さんという名の人
俺は榊原さんに連れられてというか車に乗せられて見た事もない景色を窓の外を見ながらドアの取っ手にしがみついていた。ただ怖かったからだ。
東京という街に来て良い思いなんてした事がない。それどころか田舎の生活が贅沢だと思われる位の扱いを受けていた。
出来れば元の田舎に戻りたい。山で遊んでいたシカやタヌキそれに蛇たちと会いたいと思っていた。
どの位車に乗っていたのかなんて分からない。外はもう暗くなっていた。車から降ろされると周りが草木に覆われた薄暗い所だ。
もう終わりなのかなと思っていると俺を連れて来た榊原さんが
「こちらに」
と言って俺の先を歩き始めた。
真っ暗な中に大きな鉄扉が有って、その鉄扉が開いて榊原さんが先に入って行く。躊躇している俺に
「瑞幸様。こちらに」
そう言って俺を誘い入れた。暗くて良く分からないけど数十メートル歩いた後に家の玄関らしきものが有った。
そこが開くとまた榊原さんが
「こちらです」
と言ったのでついて行くとドアが開かれて中に入ると二人の男の人が立っていた。
その中の一人が、
「この子が
「はい」
その人は俺の顔をずっと見ていた。そして胸ポケットから一枚の写真を取り出すと
「瑞幸、これがお前だ。そしてその右横にお前のお母さん葉月がいる。左横がお父さんだ。覚えているか?」
俺はその写真をジッと見た。映っているのは確かに俺とお母さん。お父さんは随分昔の記憶しかない。
写真と俺の目の前にいる男の人を見て何回も見比べた。段々頭の中に昔の淡い記憶が蘇ってくる。幼い頃の断片でしかない記憶が。
「お父さん?」
「思い出してくれたか?」
俺は本能的に首を横に何度も振った。でもまたジッと見て
「お父さんなの?」
「そうだ。お前のお父さんだ」
全く理由は分からないけど目元から涙が溢れ出て来た。そうしたらお父さんと名乗る人が俺を抱きしめて
「ごめん瑞幸。辛い思いをさせた」
と言って思い切り俺を抱きしめた。
「瑞幸、ゆっくりと話をしよう」
何故かこの人も目元に涙を思い切り溜めていた。
その日の夜、俺の目の前に出て来た料理は見た事も無い物だった。中学校の給食でも出て来ない。
お母さんが無くなって以来冷たいご飯しか食べた事の無い俺は、目の前にある料理をジッと見ていた。そうしているとお父さんと名乗る人が
「瑞幸、全部食べていいんだ」
そう言って俺に料理を勧めた。最初は食べたら殺されるかも知れないという思いだったけど食べた事の無い美味しい料理にいつの間にか夢中になっていた。
食事が終わる頃になって、最初にお父さんと名乗る人の傍に居た人が
「上河原様、間違いありません。DNAも百パーセント一致しました」
「そうか。ご苦労だった。例の件も進んでいるか」
「はい」
俺の知らない言葉を話した後、お父さんと名乗る人は
「瑞幸、今日から私と一緒に暮らそう。お母さん、葉月の面影も一杯ここにはある」
俺はその言葉に何も感じず、随分前に死に別れたお母さんの事を思い出した。
今まで世田谷の親戚に引き取られ厳しい生き方をさせられた俺はこの時を境に随分周りが変ってしまった。
お父さんと名乗っていた人は
俺には良く分からないDNA鑑定結果報告書という紙を見せて
「瑞幸、お前と俺は正真正銘の親子だ。お母さんの事は残念だったけど、これからゆっくりと一緒にここで過ごして行こう」
そう言ってくれた。そしてこの時から俺の名前はもう一度上河原幸瑞幸に戻った。
食事が終わった後、幸一お父さんが部屋に案内してくれて
「瑞幸、今日からここがお前の部屋だ」
俺は信じられなかった。昨日まで階段下で三畳一間の蛍光灯が一つだけ。洋服ダンスや本棚なんて何も無い。
お布団の替わりにビニールシートが二枚だけの生活だった俺には理解を超えていた。
「あの、ここって?」
「瑞幸の部屋だ。自由に使いなさい。洋服も全て体のサイズに合わせて用意している。学校の制服も靴も鞄も全て新調してある。本棚も取敢えず必要な本は揃えた。ベッドも机も自由に使いなさい。
そうだ、今日は一緒にお風呂に入ろう。お父さんと一杯色々な話をしよう」
俺はただ驚いてこの現実が夢でしか思えなかった。そう明日目を開ければまた階段下の部屋と冷たいおにぎりが一個置いてあるだけの生活が待っているとこの時は思っていた。
幸一お父さんと一緒にお風呂に入った。お父さんは俺の体を見て、大きな涙を流しながら
「私が悪かった。本当に悪かった。ごめん瑞幸」
そう言って泣いていた。俺には涙の理由が分からなかった。幸一お父さんは本当に俺の手とか腕とか足とか背中とか髪の毛とか、
まるで確認するようにゆっくりと丁寧に俺が知らないいい匂いのする泡みたいなものでゆっくりと洗いながらずっと涙を流していた。でも俺はその理由を知らなかった。
その後、体を拭くのも頭を乾かすのも全部幸一お父さんがしてくれた。それから一度大きな素敵な部屋に行くと女の人が冷たい泡がプチプチ出ている色の付いた液体をグラスに入れて持って来た。そして
「瑞幸様、お風呂上りのジュースでございます」
ジュースは知っている。でも飲んだ事はない。いつも外の水道水だ。冷たい水と言えば田舎の山の岩から出る出し水と呼ばれる水くらいだ。
飲むと喉を突き刺すような痛みが入って
ゲホッ、ゲホッ。
「何やっているんだ!」
「申し訳ございません。直ぐにお取替えいたします」
「もういい。下がれ」
「はい」
「瑞幸、大丈夫だったか?」
俺の背中を擦りながら聞いて来たので
「あの人を怒らないで。飲んだ事の無い液体だったから俺が悪いんだ」
「そうか。これからは気を付けさせる」
「うん」
その後、さっきの部屋に女の人に案内されて部屋に戻って、ベッドとかいう柔らかい布団に横になった。
今迄、板の上で寝ていた俺には理解出来ない気持ち良さだった。直ぐに寝てしまった。
凄く寝た。昨日までと同じように午前六時には目が覚めた。俺の身の回りと言っても教科書を入れた袋と外の水でしか洗った事の無い服を探した。
でも、教科書を入れていた袋も中学時代の制服も無い。その代わり真新しい洋服が置いてあった。怖くて玄関に行くと穴の開いたボロボロの靴は無くて真新しい靴が置いてあった。
不安に駆られてもう一度部屋に戻ると幸一お父さんが
「瑞幸何も心配しなくてもいい。もうここがお前の家だ。洋服も靴も新しいノートや鉛筆も全部揃えてある。まだ早いもう少し寝なさい」
「でも学校まで二時間歩くからもう起きないと」
それを聞いた幸一お父さんが俺を抱き抱えて
「瑞幸、今日からお前は車で送り迎えされる。ここから通っている学校まで二十分だ。まだ寝ていていい時間だ。あと一時間は寝ていられる」
ベッドに戻ったけど全然眠れなかった。
―――――
書き始めは皆様の☆☆☆が投稿意欲のエネルギーになります。
感想や、誤字脱字のご指摘待っています。
宜しくお願いします。
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