其の六 身を裂くほどの憤り
尸頭川のミイラ群は、何種類もの動物の骸ではなく龍のミイラだ。
そう津田さんは断言した。
古く言い伝えられている龍の姿。
それは、体の部位がそれぞれ9つの生き物に似ているという。
角は鹿、耳は牛、頭は駱駝。
目は兎、鱗は鯉、爪は鷹。
掌は虎、腹は
津田さんはそう解説してくれた。
「じゃあ、津田の言ってた、鹿の角って」
「うん、おそらく、龍の角だよ」
二木さんの問いに津田さんが平然と答える。
例のカップルは結界の傍らに震えていたけれど、
「え、そんな話あるんだ」
「じゃあ、本当に龍なの??」
と言葉をかわしているのが聞こえる。
「ここにあるミイラは、実在する動物の死骸だぞ! 龍など、空想の産物だろうが!」
根木司氏が喚くのを完全に黙殺し、津田さんは動物のバラバラ死体を集め、折りたたんだ白い布をそれぞれに宛てがいながら、ソファに敷いた黒布の上に配置していく。
がちがちと歯のない口を打ち鳴らして暴れる頭部はずっと小脇に抱えたままだ。
「君たちも、そのまま下がっていろ。貴方も」
津田さんは僕たちと根木司氏を遠ざけると、変わった足取りでぐるりとソファの周りを歩き、最後に頭をそうっと置いた。
柔らかな布の上に置かれて、ふっと頭がおとなしくなった。
津田さんが傍らで目を閉じ、なにか唱え始めた。その隙に、根木司氏がソファに駆け寄って頭部を引ったくり、もとの展示場所に置いた。
津田さんは呪文に集中していて気付いていないようだ。
「龍の頭、持っていかれたぞ!」
二木さんが叫ぶ。
津田さんの詠唱が一瞬止まる。
その途端、ソファの上の遺物が激しく動き、津田さんめがけて飛びかかる。
「−−給えと宣る、急々如律令!」
寸でのところで術が完成したようだ。
虎の手と鷹の爪が、畳んだ布の上に再び落ち着く。津田さんはようやく目を開き、ほぅと息をついた。
「今織り成した結界に、その頭も安置する。返せ」
根木司氏にゆっくりと迫る。
「これはワタシのものだ! キミ、勝手に展示品に触るなと何度言えば分かる⁉」
「眠リヲ妨ゲタ」
再び、龍の頭が言った。
「オマエガワタシヲ」
龍の空洞の眼窩から、血がどろりと溢れた。
「貴方は下がっていろ、あれをまともに受けたら命はない!」
津田さんが陳列棚と根木司氏の間に身を割り込ませ、根木司氏に怒鳴る。そして僕と幸虎くん、二木さんを順繰りに指差して言った。
「君たち、彼を閉じ込めておいてくれ。左右に子どもらを、彼の正面に、君……三角形を形作り、中に彼を。これ以上邪魔をされたらかなわない」
「でも、お前は」
二木さんが問う。
「君たちが、彼を守ってくれたら、僕の生還率が格段に上がるよ」
津田さんはウインクでもしそうな明るい声音で言って笑った。
二木さんが、んー、んー、と苦しげに唸った。
体が痛いのではない。様々な言葉を飲み込み飲み込みして、必死に気持ちと戦っているのだ。
そして二木さんは根木司氏の腕を掴み、
「あんたはこいつの言うことに従え、ど素人が」
強引に出入り口付近の壁際に連れてきた。
「何をする、ワタシが見つけ、掘り出した遺物だぞ、あのひょろひょろ男はナニモノだ、ワタシの大事なコレクションをどうする気だッ」
尚も喚き散らす根木司氏を呆れたような目で見つめ、二木さんは静かに言った。
「彼は、本物の術者だよ」
そう、僕らは知っている。
津田さんが、術者であることを。
様々な術を以て人の気を宥め、妖を退け、魔を祓い、憑き物を落とし、祟りを鎮めることができるということを。
術の行使には、大きな代価を要することを。
津田光研二が僕らを救うとき。彼は代価として己の命を差し出していることを。
ずっと何かを唱えていた津田さんが、
「……駄目だ、こりゃ」
不意に此方を振り返り、呑気に言った。
「僕でもまるで歯が立たない。さぁて、どうしたもんか」
「え、どういうこと!?」
幸虎くんが素っ頓狂な声を上げる。
「今は無理やりその場に縫い止めて、どうにか人を襲えないようにしているのだけど、この上さらに彼の怒りの根本的な解決を試みるのは難しい」
「あの結界とやらに移せないの?」
二木さんが訊く。
確かに、未だ龍の頭は展示スペースに、他の部位はソファの結界内にと別々に置いてある状態だ。
「結界に移すには一旦、この頭の縛めを解かねばならない。あの男がそのソファから頭を持ち出したことで、大いに予定が狂った。今、実に想定の三倍近い霊力を消耗している。僕が倒れれば、他の遺物の結界も君らに渡した守りのまじないも全て解ける。もう、彼に誰かを望み通りに祟らせるしかない。これから試みる」
それはつまり、津田さんが祟られるの……?
「駄目だ!」
怒鳴る二木さんに被せるように根木司氏が吠える。
「何が祟りだ、馬鹿者が! この妙な仕掛けも演技も今すぐやめろ!」
この期に及んで何を言うんだこのコレクターは。
「津田さん、その龍ってのにこいつを祟らせちゃえよ」
むっとして幸虎くんが言うと
「滅多なことを言うもんじゃない。それも一種の呪詛だ」
津田さんがぴしゃりと叱った。
「さぁて……、正直、僕の霊力が限界に近いので。祟りを信じぬコレクター殿に、この龍の祟りを人の身で受けることの危なさを、ご覧に入れましょう」
柏手を打ち、
「緩まり来たれ……」
手指で印を結んで詠唱する。
「ぎゃああああああ」
悲鳴を上げたのは根木司氏だ。
僕らも思わず自分の頭を手で庇ってその場にしゃがみこんだ。
だって、龍の頭のミイラが一直線に、根木司氏めがけてすっ飛んで来たんだもん。
「これ、そこの3人、陣形は崩さず、その男を囲んで居てくれ」
津田さんは、舞でもしているような中腰の姿勢でそろそろと近づいてくる。
龍の頭は、斜めに並ぶ僕と二木さんの間まで身を乗り出していた根木司氏の顔のすぐ際、それこそ紙一枚の隔たりをおいた空中で留まり、歯のない口を打ち鳴らしている。
「ごらん、3人とも。君たちのお陰で、無事に守りの障壁が成されている。それがなければ、そのコレクターは、フタバミガイケノリュウにかじられていただろうね」
ひら、と龍の頭の後ろで青い何かが揺れた。
津田さんが、目一杯に片腕を伸ばして、その手で青いハンカチを揺らしているのだ。根木司氏がはっとして自分のポケットを弄った。
「それはワタシのハンカチ……?」
そういえば、この人、津田さんから龍の頭を奪いとったとき、ちゃんとハンカチ越しに遺物を持っていたっけ。
津田さん、いつの間に人の持ち物くすねたの。
ひら、ゆら、からかうようにハンカチを揺らし、龍の虚ろな眼窩を擽った。
「ソノ気配ハ、我ヲ起コセシ者」
龍の頭が唸るや、いきなり向きを変えてハンカチに突進した。
「龍は青いものに反応する、というわけではないよ、念のため」
津田さん、今、そんな冗談言ってる場合じゃないでしょ。
龍の頭のミイラを食いつかせた片腕をぷらぷら振って、津田さんは笑っている。
「捕まえた」
そのミイラを腕から引き剥がし、両手で捧げ持つ。
「オノレ……! 欲ニ塗レタ人間メ、我ガ身ニ為シタ仕打チノ苦悶、其ノ身デ受ケルガ良イ……!」
龍の頭が吼えた。ぐわっと開いた口から青い炎が噴き上がり、津田さんを覆う。
「きゃー!」
人が燃えているのを見て、カップルの女性が悲鳴をあげた。男性は顔面蒼白になりながらも、部屋の隅にすっ飛んでいって消火器を取ってきた。
津田さんは苦しげにその場に蹲っている。
こいつのせいで、小さな黒い龍が人を襲おうとして
こいつのせいで、津田さんが、僕の大事な人が、苦しんでいる
許さない、僕はお前を許さない
青い炎に包まれる津田さんに、カップルの男性が消火器を向ける。
僕はそれを奪って高く掲げ……
「うに!やめろ!」
津田さんの悲痛な声が僕の耳に届く。
りん!と鋭く刺すような音で、鈴が僕を制止する。
「丹波、落ち着いて、そんなことしても津田は助からない。津田が悲しむ」
二木さんが僕のお腹に腕を回して、必死に押さえてくれている。
今、僕は何をしようとした。
怖い。自分が怖い。
青い炎はやがて自然に消え、真っ黒焦げになった龍の頭のミイラが、ごとりと床に落ちた。
津田さんは、どこも火傷していなかった。
よかった、……本当に、良かった。
「いやはや、驚いた」
なんて言いながら立ち上がり、ミイラが食いついていた腕の袖を捲った。二つの円形のどす黒い痣が出来ている。
痣を認めると、ふーっ、ふーっと忙しない呼吸を繰り返しながら津田さんは、龍の頭だったものを見つめた。
津田さんはその頭をそっと拾いあげ、
「そうか……甘く見ていたな」
そう言って、ソファの結界の中に安置した。
「モト。僕は大丈夫。君も、今、怯えることはない」
そう優しく笑った。
それから、男性に消火器の礼を述べ、津田さんは
「皆は、そのまま、陣を崩さずに居て」
僕たちに言うと床に座り込んだ。
やがて、津田さんの両手の指先から、血が滴り始めた。
灰色のハイネックのセーターの首元には赤い小さな玉が首飾りのように連なっていく。
首周りに血が滲んでいるのだ。
「津田、津田……!」
二木さんが、よろめきながら立ち上がろうとした。右足の靴紐が解けて転びかけている。
津田さんが笑顔で制した。
「だ、め。そこにいて。3人とも。僕の代わりに、彼を守って。彼に、これは耐えられない」
荒く息をつきながら、それでも微笑んでいる。僕らを安心させるためだけに。
「御札……いや、チケットを基点に、結界を成している。出来る、だけ、四人、密集して。その、方が強度が増す。あと、君は靴紐を結び、直しておけ」
言う間にも首からの出血はじわじわと続いていて、ハイネックの襟の切り替え部分は、首輪を嵌めたように茶色く染まっていく。
津田さんがカーペットの床にごろんと仰向けに寝転がった。座っているのでさえ辛いのだろう。
ぜぇぜぇと苦しそうな呼吸音が聞こえる。
二木さんは靴紐をきゅっと結わえ直し、靴にチケットを押し込んだ。
そうして両肘を床に付き、四つ這いになって、そろりと上体を前進させる。
三角形の頂点を足先で維持しつつ、少しでも津田さんに近づこうとしているんだ。
……プランクみたいな体勢だけど、二木さん、しんどくないのかな。
「津田、俺らどうすりゃいいの? お前を助けるには何をしたらいい?」
二木さんが必死に話しかけている。
「……渡会景晴に電話してくれる?」
「や、俺、渡会教授の……」
電話番号を知らないと言おうとした二木さんに津田さんが平然と言う。
「なっちゃんのズボンの左ポケット」
「は?」
と言いつつ、二木さんは一旦、尺取り虫みたいな姿勢になって、言われた通りポケットを探り
「なんでお前のスマホがここに」
「3・2・1・2」
津田さんがパスコードを告げる。
「わーったよ……み、つ、と、じ、っと」
「それ言うな」
津田さんが笑い、その拍子に、けほっと咳をした。
「あちゃー……、歯もやられ始めた」
呼気に合わせて、こふっ、こふっと血が口からこぼれ始めている。
「ねぇ、コレクターの貴方。僕、次は目から血が出て、それから体が三つに捩じ切れる予定です」
にこやかに言う津田さんに、根木司氏はぼう然と言葉を失っている。
「この龍が、死の間際に経験した苦しみを、己の眠りを妨げたものに味わわせているんだ。生き延びられたら、全てお話して進ぜよう、コレクター」
生き延びられたら。仮定の話。それは即ち。その逆もあり得るということか。
「津田、どれよ!? 渡会教授が3人も電話帳にいるんだけど」
二木さんが慌てて聞いている。
「渡会景晴だってば。フルネームの」
言われて二木さんが即座に通話ボタンを押す。
「あ、もしもし、渡会教授!?」
「最大音量でスピーカーにして、そこにおいて。なっちゃんはプランク終了。筋トレ、お疲れ様。あとは4人とも楽なように体育座りでもしてなさいよ」
津田さんがいつになくふざけたことばかり言う。
「かげはる、きこえる?」
僕らとの間にあるスマホへ、津田さんは何故か顔を反対へ向けて話しかけた。
さっきまでは打って変わって、とても気の弱い、幼い口調で。
「あぁ、……聴こえている。今、向かっている。イヅツとソラマル、ヨルイチも、同行している」
渡会教授の声が静かに応じる。
「すごく、いたい」
「あぁ、そうだな」
「いたい。いたい……ちが、とまらない」
「耐えろ、今、向かっている」
その声の後ろで車の急ブレーキ音が聞こえる。
「まにあう?」
「お前次第だ」
同乗者の苛立つ声が漏れ聞こえる。
「ねぇ、かげはる。おねがい」
「あぁ、何だ?」
「でんわ、きらないで」
「あぁ」
車の走行音が聞こえる。
「くびとつめと、あし、いたいよ」
「あぁ」
もう短い相槌しか渡会教授は返さない。
「め、みえない」
「……あぁ」
言葉を尽くした励ましや慰めではなく。
ただただ静かに、渡会教授は相槌を返す。
「いたいいたいいたいいたいいたい」
津田さんの体が変なふうに動いている。
脚が向こうへと捻れて行き、首が、ぎ、ぎ、ぎ、と軋みながら此方へ向く。
「ぎゃああああああああ」
自称コレクターが悲鳴を上げた。
無理もない、こちらを向いた津田さんの両目から文字どおり血の涙がとめどなく流れ、顔面が真っ赤に濡れている。
僕らはむしろ声すらあげられないほどに、その顔に怯えた。
「うー……ぎゃくにまがっちゃった」
苦笑混じりの津田さんと
「馬鹿。その面見たら誰だって叫ぶ」
電話の向こうで呆れる渡会教授。
ん?……津田さんの状態、渡会教授には見えてるの? 音声通話のはずなのに。
「まさしく伝承どおりのことがお前の身に起きているんだな」
電話の向こうで感心したように渡会教授が言っている。
なんでそんな余裕があるの、ふたりとも。
「あ、ぐ、ぎゃ、」
津田さんが妙な声を上げた。
血まみれの指先で喉を激しく引っ掻き始める。
「光研二?」
渡会教授が呼びかける。
津田さんは呻きながら喉を掻き毟るばかりだ。
「飲まれかけてるな……おい、そこに鈴の子、鶴と虎の兄弟、居るな? 他に誰がその場に?」
渡会教授が、今度は僕らに話しかけてきた。
僕らの他に、コレクター本人、一般客が2名居ることを確認すると、
「此方から指示を出す。こいつのスマホを持っていろ。まず、全員、出入り口の結界のところに移動しろ。三角の陣は保持し、もう2人も入れてやれ」
渡会教授の指示に従い、僕ら3人は根木司氏を囲んでそろそろと移動した。
はじめに二木さんが再びプランク姿勢を取って津田さんのスマホを回収した。
津田さんは時折正気に返るようで、勝手に捻れようとする体に抗って、じたばたと藻掻いている。
「かげはる、かげはる、まって、いかないで」
幼子のように呼び続ける津田さんから、スマホを取り上げるのはとても可哀想だった。
幸虎くんを先頭に、後ろに二木さんと僕が手をつないで横並びになる。
空いた手をそれぞれ幸虎くんと繋いで歩く。僕らの腕で作った三角の囲みの中央に根木司氏がいる。
どうして、こんな奴を守らなきゃならないんだ。
そう言いたいのをぐっと堪えて、僕たちは出入り口まで歩いた。
二木さんが、淡々と状況をカップルに説明した。つまり津田さんがあのミイラの祟りを引き受けて時間を稼いでくれていることを。
そして、僕らの持つチケットを起点に魔除けの結界ができることを明かして、その内側に皆入るように伝えた
津田さんが喉をがりがり掻き毟りながら、立ち上がった。
ネ、ギシ、ネギシネ、ギ、シ……
うわ言のように、コレクターの苗字を繰り返し呟いている。
「おい、コレクター。呼ばれても答えるな」
電話の向こうで渡会教授が言うなり、
「何なんだ皆、コレクター、コレクターと馬鹿にして。ワタシは呪物の研究家、根木司恵一」
「名乗るな馬鹿者!」
渡会教授が怒鳴った。
「僕から、逃げて」
不意に津田さんがはっきり言った。
とても悲しそうに僕らを見つめ、そして、ゆっくりと目を閉じた。
「津田さん?」
僕の呼びかけにも津田さんは答えず、目を閉じたまま立ち尽くしている。
突然、津田さんが目をかっと見開いた。一層激しく喉元を掻き毟り、ぐぁぉぉ……と咆哮した。
此方をじっと睨む目は爛々と輝いて、獲物に狙いを定めた獣みたいだ。
そして
「ネギ、シ、ケイイ、チ」
片言で根木司氏のフルネームを口にして、此方へ突進してきた。
バチバチバチと火花が散って、僕らを守る結界が津田さんを弾いた。
「祟りの神に名を教えるなよ馬鹿者」
電話越しに渡会教授がため息をついた。
「ネ、ギ、」
床で四つん這いになり、猫みたいに背を丸めて津田さんが呟く。
「は、はい……」
返事をしてしまったのはあの女性。
この人、ネギさんって苗字なのか。
返事をきっかけに、新たなターゲットに定めたのだろう、津田さんがぎろりと女性を睨んだ。
「そこの一般人のもう一人も、あぁ、津田に名を知られるなよ。もしやそのコレクターと名字が似てるのか?」
渡会教授が電話越しに訊ねてくる。
男性が二木さんの手に苗字を書き
「えーっと、同じじゃないけど似てるというか、アナグラムというか?」
二木さんの曖昧な説明を受けて渡会教授は
「およそ見当がついた。それで、名の縛りを半端に受けて閉じ込められたんだな」
と納得している。
「ところで津田……の中の龍はどうなっている?」
あぁ、やっぱりこのツダさんはもう、僕らの知る津田さんじゃないんだ。
「結界に突進してきて、跳ね返されて……」
渡会教授に答える二木さんの声が震えている。
「小癪ナ……結界ダト、小賢シイ真似ヲ、人間ドモ、我ノ祟リヲ恐レテカ……供物ヲ捧ゲルガ礼儀ゾ、我ヘノ無礼、幾度重ネル、ネギ、シ、ケイイチ」
渡会教授が言うには、怒れる龍が津田さんの体を無理に操って、片言で言葉を紡いでいるらしい。
「なんだ此奴、気でも違ったのか? 気味の悪い奴め」
コレクターが顔を引き攣らせながら、それでも馬鹿にしたように言う。
まだ虚勢を張るのか。それとも本気で侮っているのか。どちらにしても、愚かしい。
「ほぉ……よくよく見ればこの肉体。人にしては良き器よ。仮初めとはいえ、上々」
突如、ツダさんの口調が、流暢なものに変わった。
「くそ、津田の意識が、龍に完全に乗っ取られたな」
電話の向こうで渡会教授が舌打ちした。
車を何処かに停めているのか、バックする機械音声が聞こえてくる。
「人間ごときが成した結界など、」
ツダさんは自分の顔の血を手の甲で雑に拭い、そのまま手をずらして鬱陶しそうに前髪を払い除けた。
露わになった整った美貌に、凄みのある笑みを浮かべる。
元が美しい顔立ちだから、笑みが余計に恐ろしい。
ツダさんが、つと片手を伸ばした。
ほっそりした人差し指で結界に触れた途端。
「
幸虎くんが叫んだ。
僕も上着のポケットの中から、びりっと電気が走ったみたいな熱さと痛みを感じた。
ぴし、ぱしん……、氷が軋むような音がして結界が壊れてしまった。
僕は恐る恐るポケットに手を入れた。
そこに入れていたチケットが無い。
僕の手がポケットから掴みだしたのは、たったひと摘みの灰だった。
「いつまでこんなたちの悪い茶番を続ける?」
コレクターが心底うんざりしている声で言う。
これだけの出来事を目の当たりにしてなおそんな発言ができるのか、この人は。
怒りも呆れも通り越し、何だか、この人の声を聴くのも嫌で、僕は凄くモヤモヤした。
あぁ、津田さん、どうしたらいいの、僕。
僕は前抱えにしたデイパックをぎゅっと抱きしめた。
りぃん……りぃん、りんりんりん
鈴が勝手に鳴った。その音が耳に心地よくて、僕はホッと息をついた。
僕の呼びかけに津田さんが応えてくれたようで、何だか嬉しかった。
「喧しい鈴だ」
でも、ツダさんは不愉快そうに眉を顰めて鈴を見た。
津田さんの顔で、そんな表情見たくないよ。
鈴を処分するのに僕を捕まえようとしたようで、ツダさんは僕に向かって手を伸ばした。
「
悲痛な声が叫んだ。
え、今の、……“津田さん”だよね?
津田さんの叫びに応えるように鈴がばちばちっと火花を上げ、の手を退ける。
ぐぅっと呻いて後退りし、ツダさんが鈴を怒りの形相で睨んでいた。
「霊力を込めた玉か数珠など無いか!?」
電話越しに渡会教授が聞いた。人々の喧騒に負けじと声を張り上げている。
「俺とこー……鶴と虎が付けてます!」
二木さんが返事をすると、電話の向こうから走る靴音とともに、なにか呪文が聴こえ始めた。
ツダさんが二木さんの腕輪をちらりと見て嘲笑った。
「斯様な
ツダさんは二木さんの手首を引っ掴んだ。
電話の向こうで渡会教授が激しく咳き込んでいるのが聴こえる。
腕輪が弾け、幾つもの玉がばらばらと散ってツダさんに当たる。
その程度では傷一つ負わせられるはずもなく、ツダさんは右手で二木さんの手首を捻り上げた。
「いてて」
思わず二木さんが呻くと、
「縛めよ縛めよ解くこと許さじ」
津田さんの声がして、何重にも通してあった組紐がひとりでに伸び、ツダさんの右腕に絡みついた。ツダさんは二木さんの手を解放して、後ろへ下がろうとしたけれど、勝手に動く組紐に右腕を胸の前で折り曲げた状態で胴に縛りつけられてしまった。
「ほぉ、人の術にしては強力。だが、なに、我が通力の前には消し飛ぼう。姿なき術者よ。縛めの術を消し我を解き放て、さもなくば」
ツダさんは自分を指した。
「死ぬぞ、この肉体」
そう言ってツダさんが哄笑した。
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