第10話 新生活(七) 杞憂の実現

 地面にり付いた魔法陣から、闇があふれ出す。地獄のかまが沸き上がるように、ごぽごぽと音を立てて。足元には暗雲が立ち込めている。

「ここに来て力を盛り返すとは!たぎる魔力の無駄使いは止せ!」

「無駄にするつもりなんて、ありません!」

 フラフラともう一度その場に直立し、セリナは答える。先ほどまでの激情が嘘かのような立ち振る舞いだ。


 目からは血涙けつるいあふれ、その形相はまるでどこかの部族のペイントされた面を思わせる。

 次々と湧き上がる闇はユークレイドへ向かう様子はなく、セリナを中心に次々とその場にたくわえられる。

 闇は押し集められ、ぎゅうぎゅうと密度を上げてセリナにたかる。磁石に吸い寄せられた砂鉄のように、おしくらまんじゅうをしている。

 その姿は黒のよろいで身を守っているようにも、黒のドレスで着飾っているようにも見える。


 ユークレイドはそんなセリナを叩き潰そうと躍起やっきになっている。やる気がもはや違う。先ほどまでは人差し指を出していたのに、いつの間にかそれは握り拳へと変わっている。

 その拳を震わせながら有頂天うちょうてんに、得意げにユークレイドもまた高らかに、自分自身に、セリナに誓う。

「無駄になる!この私がそれを無駄と化す!決めたぞ!今、ここで貴女あなたを本気で潰す!」

 台詞を言い終わり、拳を振り上げ、振り下ろす。ちょうど納得をして、握り拳とてのひらをポンと合わせるジェスチャーの挙動だ。

「はあっ!」

 力一杯、風を切って左手に持つ箱庭のセリナに拳を叩きつける。

 


 天蓋てんがいが落ちてきた。空気の抵抗を受けながらもそれはセリナに迫る。

 箱庭に突っ込むと動きが遅くことは、先の小競こぜり合いで学んだ。素振りの勢いのままではないが、そこそこの速度で落ちている。

 影の落ちている落下点には、黒色の闇に身を包むセリナの姿がある。

「はっ!」

 落ちてくる拳を力強くにらみつけ、両腕を頭上へ伸ばす。万歳ばんざいの姿勢で思い切り、力をことごとく出し尽くすように叫ぶ。

「はああああああああああああああああ!!!」

 闇が踊る。沸騰ふっとうしている水の中で泡が暴れ出すように、ゴポゴポゴポゴポ、踊っている。

 急激な力の解放により、鼻、口から血が吐き出され、「ごふっ」と声が上がる。

 同時に押し固められていた闇が上空へき出す。セリナから例の拳に磁性じせいが移ったかのように、ひしめき合っていた闇が噴火ふんかの如く、突撃する。

 間も無く、拳と闇とが衝突する。


 闇は拳に触れると一瞬で力を使い果たしたのか、たちまち蒸発してしまう。

 拳は闇の猛攻にジュワジュワと音を立てて、まるで闇と命の削り合いをしているようだ。

 闇の効果でユークレイドの拳が衰弱し、その衰弱は手首にまで伝播でんぱする。

「くうっ!」

 衰弱による一瞬のひるみを強い殺意で塗り替え、もう一度押し込む。

「ぐおおおおおおおお!!」

 拳の弱化にあらがって、さらに力を込めて闇を押し返す。

 セリナも押し返そうと闇を増産、押し返す。

「はああああああああああああああああ!!!」

 目から、鼻から、口から出る血はとめどない。


 だがしかし、頭痛に、吐血や絶叫にともなのどの痛みに、大量出血によるくらみにあえいでいる暇はない。

 顔面が鮮血で真っ赤になろうとも、首を血反吐へどで濡らそうとも、せっかく着せてもらった召し物を生き血で染めようとも、セリナにうれえる暇はない。

 足元から黒い黒い闇が、幾度いくどでもズズズズズズズズ、と湧き上がる。

 消費に追いつけようと大急ぎで生産する。

 新品の闇が、拳に絶え間なく吹き続ける。上下がひっくり返ったたきを見ているかのような気分だ。

 滝壷たきつぼにあたるユークレイドの拳の方は、依然いぜん変わらぬ勢いをたもち、真っ黒な闇と拮抗きっこうしている。

「ぐ、ぐぐぐぐぐ……!この、このっ!」

 ユークレイドは先ほどまで持っていた余裕は完全に失われ、それでも必死になって押し返す。


 と呼べる存在とまともにをしたのは彼にとっては久々で、そんな敵との戦いにて汗を流したのは彼にとってはもっと久々のことであった。

 それで、ここまでの本気を出したのはいつぶりか、もはや言うまでも無い。そもそも裁罪省ジャスティスミニストリ最高戦力である現在の彼とまともに戦いになる存在がそもそもあまりいないのだ。


 そのせめぎ合いをラモーナははたから見ていた。

 不安げに、祈っていた。

 悪魔の力を持つ少女の勝利を神が助けるのか、それはわからないが、セリナの勝利をひたすらに願っていた。


 目を閉じると、代わりにそれ以外の感覚が鋭敏えいびんになる。

 たった一人で、目を閉じ祈っていたそんなラモーナだからこそ、気付いた音があった。


 ピシッ…


 自分の後ろ、壁しかないところからだ。見ると薄っすらひび模様が。

 セリナは天を覆う拳のみ、文字通り血眼で凝視しているし、ユークレイドは箱庭の中のセリナしか見ていなかった。だからそんな彼女であったから気付いた事実。

 

 この箱庭の壁に、小さく亀裂きれつが走っている。


 そのヒビに次に気が付いたのはユークレイドだった。

 少し疲れて、気が散ったその時に気がついた。

 これは何だ。いつからあった。誰の仕業だ。

 様々な疑念が脳裏を駆けたが、それはセリナとの激闘に埋もれ、無視されてしまった。

 今は一刻も早いセリナの討伐とうばつが優先されたのだ。

 セリナの方は極限の集中状態であったため、気が付かなかった。


 事が起こる、その時までは。



「はあああああああああああああ!!!」

 セリナは変わらず叫び続けている。喉が裂けてしまいそうなほど、聞いている者の耳を破るほどの大きな声で叫び続ける。

 強力な魔法の代償だいしょうは高くつき、血はだくだくと流れ続け、顔からは逆に血の気が引いている。

 血にまみ鬼気きき迫る形相ぎょうそうで叫び続けるその様は、人間のものとは思えない。


 しかしき立つ闇の勢いは現在進行形で衰退してしまっている。

 初めに持っていたエネルギーを火山の大噴火と例えるのなら、今では間欠泉かんけつせんの湯の噴出くらいのものだ。

 ユークレイドの方も衰弱の効果で活力の減退が見られるが、セリナほどではない。

「はあ、はあ、もういよいよお終い、もうここまでだ……!」

 現在はユークレイドに戦況が傾いていて、セリナは押されている。噴射の勢いが足りていないのだ。

「うううううううああああああ!!!」

 力一杯押したとしても、覆ることはない。

 少しずつジリジリと押し退けられている。


 少しずつ、少しずつ。


 もはや決着は時間の問題だったのだが、それよりむしろ短期決戦を望む声が上がる。

「ええい、じれったい。この私が今すぐにらちを開けるぞ!魔女よ、ねばるな!もう終わりだ!!」

 ユークレイドはセリナを完全に負かすためスパートをかける。

 箱庭から脱出しない範疇はんちゅうで振りかぶり、勢いを増して再び墜落ついらくさせるもりだ。

 今の疲弊ひへいし切ったセリナにこの攻撃は防ぎきれない。

「これでくたばれっ!!」

 ついに、拳は振り下ろされた。

 庭の中の空気ごと圧縮する勢いで、セリナ目掛けて隕石いんせきの如く到来する。

 

 セリナは闇を一度引っ込めてたくわえ、さっきの初めの勢いを凌駕りょうがするほど強烈に、拳に向かって叩き込む。

 そのために自身の中に溜め込んでいる全ての力を、漆黒の塊に変換する。

 一息ついて、「よし」、と呟く。

 そうしてできた心の余裕と勇気を、力を放つ原動力に変える。

 全てはユークレイドの拳を防ぐため。

 その後のことなんて、セリナは考えてはいない。




 ゴゴゴゴゴ、と巨大な拳がセリナに迫る。

 負けじとセリナは放つ。

「はあああああああああああああああああああ!!!」

 セリナの放つ闇が拳に撃ち込まる。


 そして衝突。


 互いに押し合う誇りと勇気。

 またも両者は拮抗きっこうし合う。

「ぐおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「はあああああああああああああああ!!!」

 ラモーナはユークレイドの後ろから遠巻きに眺めている。

「頑張れ……!セリナちゃん………!!」

 その声色には期待と不安が織り混ざっている。我が子のようにセリナを応援するその姿は、彼女がセリナの本物の母親のようであった。 

 二つの喚声かんせいと一つの小声に紛れ、もう一つ。


 ピシッ… 


 そこにいた誰も聞き取ることはできなかった、ほんの小さな悲鳴が、また上がった。


 


 数十秒は経過した。

 壮絶な敗北の押し付け合いはまだ続いている。

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「はあああああああああああああああああああ!!!」

 またもらちが開かない現状、しかしどちらかが仕切り直しをしようとするなら、そこにつけ込まれ対決に負ける。

 この我慢比べはもう引き返せない。


 またも私───セリナがやや押されているだろうか、今、私は目から、鼻から、口から血を垂れ流している。

 苦しい。辛い。痛い。血が足りていない。フラフラする。

 貧血だ。学術的なではなく、まさに文字の通りに。血を流しすぎて体調がすこぶる悪い。

 頭が強烈に痛い。頭骨に穴でも開いているようだ。

 眩暈めまいがする。真っ直ぐに立っている感覚がない。


 そしてまずい。本当に強い。ユークレイドさんがあまりにも。

 率直に言うと、オラニエールさんより衰弱が通用していない。


 勝てない……かも。


 もちろんそんなつもりはないのだが、たった今、わずかに私は負け、諦めを思っている。

 絶対にそんなつもりは断じてない。

 けれど、正直厳しい。


 どうしよう。


 どうすれば……



 雷鳴よりも響き渡る、私にとっては嬉しくてたまらない声援が投げ込まれたのは、そんな時だった。


「負けないで!セリナちゃん!セリナちゃんならきっと勝てるから!!だからお願い!勝って!!」


 そうだ。そうだよ。私は私のためだけに戦っているのではない。ママのために、シトラさん、レザンダースさんのために戦っている。


 私が負けてしまったら、四人諸共もろとも、おそらく死。

 ユークレイドさんは、今、ここで倒しておく。

 だからそのために、負ける訳にはいかない。


 負けてたまるか。


 私はママ達と、平和をつかむ。

 連れて行かれる気さえない。

 私はここで、幸せになる!


「はあああああああああああああああああああああああああ!!!」


 全て、ことごとく、何もかも、ありとあらゆる私の力を総動員しろ。

 高鳴る心臓の力も、上がる呼吸の力も、全てそちらに注ぎ込め!


 今の私はどうなったっていい。

 希望を未来に残せるのなら。


 そして、この力で打ち勝つ!

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」




 そして、どぱあっ!と音が鳴った。

 それは勝利の

 勝者のセリナは地べたに前傾姿勢で座り込む。

 ちょうどひざまづいている姿勢に近い。

 ユークレイドの拳は、とうとう箱庭の中から追い出されたのだった。

「はあーっ、はあーっ、はあーっ」

 セリナの息の調子は小刻みな息継ぎではない。

 身体中の空気を入れ替えるように大きく息を吸い大きく息を吐く。


 疲労困憊ひろうこんぱい、と言うところだ。しかしセリナに外傷という外傷はなかったため、魔法の停止に同期してもう全ての血流は止まっていた。

 セリナはベシャッと踏んでいる血溜まりに映る、今の自分の満足げな顔に微笑ほほえみ返す。

「ふふっ、やった…」



 ユークレイドはただ箱庭から追い出されただけでなく、その身に衰弱の効果を大きく受けた。

 それによりどっと疲労が溜まってしまったようで、少しふらつき、しかし踏みとどまって、倒れはしなかった。

「はあっ、はあっ、もう一度、もう一度だ」

 ユークレイドは衰弱を受けてなお、今のセリナには体力的に勝っている。

 今なら勝てる、もう一度やれば勝てる、そう確信していた。

 もう一度セリナを叩き潰したいらしく、拳を振り上げた。


 その時、ユークレイドはある事に気付き、同時に違和感を思い出す。

 激闘の中に忘れ去られた、重大な問題を。

「これは、何だ……?いや、ああそうだ…あの時のヒビだ。なぜこの短期間でここまで成長したのだ?」

 そのヒビはもう箱庭の壁全体に及んでいた。六角形の柱を一周し、天井にも亀裂きれつは走っている。

 

 ピシピシッ!


 ユークレイドに観測されながら、箱庭の割れ目が広がった。

「なっ……………」

 割れ目からは光が漏れている。


 割れ目の広がりをの当たりにしたユークレイドは絶句したのちセリナに問う。

「……………、これはどういうことだ?なぜ私の箱庭にヒビなんてものが!?貴女あなたがやったのか、黒髪の魔女よ!」

「…………え?…いや……知りません………けど」


 もうヘトヘトなセリナはとりあえず受け答えをすることで精一杯だ。

 心当たりはないセリナの困り顔を他所よそに、ユークレイドは理不尽な怒りをセリナにぶつける。

「この後に及んでシラを切るか!ならばもうよい!ここで潰されてしまうがいい!!」

 何度目かの興奮、そしてお決まりの鉄槌てっついだ。

 初対面の時に見せていた余裕、美しい微笑はどこへ行ってしまったのやら、勢い上々に振り下ろされる。

 セリナにまたも影が落ちる。


「いやあっ!」

 セリナは反射的に右手を挙げるが、それではあの大きな拳を受け止められそうにない。

 手のひらの手前から反射的に魔法陣が出される。すっかりセリナの癖となっていた。

 ぶしゅっという鼻血とともに、黒色の出涸でがらしが湧き上がる。

 ところが現れた闇はティーポットに入ってしまうほどの少量であった。やはりそれでは拳は受け止められない。

「セリナちゃんっ!」

 ラモーナはまた彼女を案ずる。

 それを他所よそにいつも通り、拳は迫る。

 セリナに残されたのは、わずかに残る闇のみ。


 絶体絶命。


 しかし、それが希望をつくり出す。


 しかし、その闇が、最後のピースとなったのだ。



 ピシッ!ピシピシッ!


 内部をめぐり囲んでいた壁に、もう一度、より細かく亀裂きれつが走る。

 ユークレイドは手元を、セリナとラモーヌは辺りの壁を見て驚嘆きょうたんの声を漏らす。

「何っ!何だこれはっ、急激にヒビが!?」


ピシッ、ピシッ、


「これは…一体……?」

「何だい、何が起こっているんだ?」

 どれだけあらがっても、もう遅い。

 壁の破損は止まらない。


 ビシッ、ビシビシッ、ビシビシビシッ!!


 より豪快に、割れ目が広がっていく。


 そして、


 パァーンッ!


 と、箱庭を覆っていた外装が弾け飛んだ。


 弾け飛んだ一瞬、裏庭全体がほのかに明るい青緑色に包まれた様に思えた。

 セリナはまぶしく感じ、目を覆う。

 そしてセリナは落ち着いたかと思い、再び空を見上げる。

「は………」

 空は、広かった。すっかり夕日は沈み、星空がセリナのはるか上で輝いている。


 抜山蓋世ばつざんがいせ巨躯きょくを持つ拳はすっかり消えていた。

 ユークレイドの手元の箱がサラサラと消滅していく。

 手のひらを眺めるユークレイドは目をみはる。

「…………………!」

 彼は驚愕、驚倒きょうとうしてみせた。続いてセリナに問い詰める。

「なっ……何が、何をしたのだ!説明しろ!魔女!」

 彼は何が起きてこうなったのか理解ができないかった。まず箱庭が、彼の箱庭魔法ダイオマラマジックが壊された事自体が初めてのことだ。

 


 空間に作用する魔法は共存ができない。ユークレイドがマフーの結界を解いたのは、この原則を利用してのことだ。

 だがセリナは空間に作用する魔法を使ってはいなかった。


 また、そういった魔法を除く魔法で箱庭を破壊するためには、遮断している壁を直接破壊する必要がある。

 だがセリナにそれもされた覚えもない。


 だから彼は何をされたか分からなかったのだ。


 本来はこのような追求は必要なかった。

 彼がもう少し合理的に振る舞い、闇を払うまでもなく、真っ先にセリナをつぶしていたのなら結果は変わっていたことだろう。

 蹂躙じゅうりんに身を浸さなければ、嗜虐しぎゃく心を抑えていれば、あるいは。


 しかし彼は、彼の言葉を跳ね返していうのなら、「愚か」だったのだ。

 彼は自分の愚かさに気が付かず、原因をセリナのみに求めている。

 愚かな彼は目を背ける。自身の失態から。


 そうしてセリナに問い詰めたのだ。

「説明しろ!魔女!」


 

「ええ………?そんなこと、言われても……」

 未だ疲労の抜けないセリナは息を絶やしながら答える。

 虫の死に際に発する声のようなボリュームだが、彼には問題なく聞こえている。

「何をした!心当たりはあるんだろう?」

 ユークレイドはそんなセリナ相手に激昂げきこうしている。

 こちらは元気なせみの鳴き声のように大きな声だ。

 セリナは地べたにひざまづきながら何とかそれらしい答えを見つけ、答える。

「心当たり……そういえば、暗黒魔法ブラックマジックの衰弱は、その、人相手でも魔法相手でも効果があるので…………それが、多分…こう……?」

 何とも要領を得ない。まだ疲れているのだ。


「そうか、そのようなからくりが」

 頭脳の面では明晰めいせきなユークレイドはこの説明で十分なのだろうか、それだけ聞くと、納得した───のかしていないのかは分からないが、取りえず理解はしたようだった。

 しかし、別に目的を遂行する意志は決して弱まってなどいない。

「箱庭は破壊されてしまったから。もう今日のところは使えない。だが、小娘一人連れ帰るなど、この身一つで十分だ!」

 そう言うと彼は、ゆっくりと、にじり寄る。武器は携帯していないため、両手を広げ、セリナに近づく。

 彼の持つ微笑びしょうが復活、余裕もそれに随伴ずいはんする。

 目的は達成されるのだから、彼にとっては別にこのまま連れ帰ってしまえばよいのだ。

 プライドは踏みにじられたが結果オーライ、セリナはもはや、動けない。


「そんな……ううっ……!……きゃあっ!」

 セリナは何とか立ち上がろうとしたが、失敗し、地べたにばたんと倒れ込む。

 ベッドにするように、受け身は取らずに地面に激突する。

 血溜ちだまりを叩くように倒れたせいで、血飛沫ちしぶきが飛ぶ。不本意ながら顔にも。

「ううっ……うう……」

 セリナの四肢ししは動かない。今の彼女は、ただユークレイドに連れ去られるのを待つだけの体だ。

 少しづつ近づいてくるユークレイドを見上げる。

「良い心がけだ。じっとしていろ」

 ユークレイドが足音を立てて歩み寄る。


「それ以上近づくな!!」

「何をっ!ぐっ!」

 突然ラモーナがユークレイドに飛びかかった。

 あまりに唐突なこと、セリナもユークレイドもびっくりだ。

 普段の彼なら避けられたどころか返りちにできたはずが、だいぶにぶってしまっているらしい。ラモーナの跳躍ちょうやくの勢いそのまま、押し倒されてしまった。

 顔から地面に飛び込まされ顔にはり傷が見られる。遠く及ばないながらも、セリナのようになっている。

 飛び込んだ先は砂利じゃり

 先の小競り合いでセリナとユークレイドの対峙していたところの草が禿げてしまっていたのだ。

 白い軍服が砂利じゃりで汚される。

 何個もぶら下げている勲章のメッキには傷がつく。

「この……放せ!」

 ユークレイドは同じく地べたに伏しているセリナを上目づかいでにらむ。

 両者の目が合った。

「ママ、そのまま……」

 そしてセリナはここが最後のチャンスと思い、力をまた振り絞る。

 セリナはさっきしまった出涸らしをもう一度召喚し、ユークレイドに手向たむけける。

 この合間に少し回復していたようで、バケツ一杯ほどの黒い闇がセリナの吐血と引き換えにでる。

「やめろ……やめ………」

 彼は腕を前に伸ばす。一体どこに向けているのかは彼にもわかっていない。セリナに救いでも求めているのだろうか、それともってでも抜け出そうとしたのだろうか、分かりかねる。

 しかしその手を差し出している前方にはすっかり勢いが削がれ、その代わり着実に一歩ずつ迫る闇がある。


 ドッドッドッと歩み寄る闇。


 ラモーナは魔法は使えないながら、そこそこに護身ごしん術の心得があるため、ユークレイドをきっちり抑え続けられている。

「放せ………はな……」

 そして闇はユークレイドの体をむしばむ。

 体力を否応なしに消耗しょうもうさせる。

「あ………あ…………ああ…………」

 ユークレイドはじっくりと時間をかけて衰弱する。


 彼が意識を手放すのは時間の問題だった。

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