新生活

第4話 新生活(一) 前途洋々

 セリナはふと目を覚ました。

 まだ疲労が取れていないのか、眠りすぎていたからなのかはわからないが、少し頭が痛む。

 そんな頭を起こして辺りを見遣る。

 ベッドの前には部屋のドアが設置してある。


「ここは…?」


 見慣れない部屋には見慣れない白いシンプルなベッドと、セリナにとって新鮮な空間だった。

 セリナのいるベッドの向かいの壁にある窓からは日光が差し込んでいる。

 窓辺にはつたがくるくるした観葉植物が等間隔に飾ってあり、床には黄土色と白の幾何学きかがく模様のラグが敷いてある。

 よく手入れされている部屋のようだが生活感はない。どうやらここは空き部屋のようだった。

 セリナはとりあえず部屋を出るためにベッドから降りようと外に足を寄せる。

 下を見ると自分のくつが置いてあって、ずいぶん用意がいい。


 横を見ると鏡が置いてある。服が着替えられていて、真っ黒の質素しっそだが上質そうな衣服を着せられている。

 その姿は神に仕える修道女を思わせる。

 靴を履き、ドアを開く。

 ドアに平行に廊下があり手すり付き。手すり子はチェスのルークのようだ。 

 そうしてどうやら下があるらしいと気付いたセリナは階段から乗り出し、手すりに寄りかかって下を見る。


「わあ、すごい…」


 セリナは眼下に映る空間を視認すると無邪気に目を輝かせた。

 彼女が見たものは足元の更に下に広がっている一階の広間。つまりここは吹き抜けになっている二階だ。

 ここは二階と言えど、この建物が縦に広いため一階が遠くに見える。

 セリナは鳥になったような気分だ。

 その床はダークブラウンにベージュが合わせてあるカーペットが敷かれている。

 開放的でよく採光されているため大人しい色の割に存外明るい。


 そして今は日が西に傾いている。大幅に寝過ごしたようだ。


 セリナから見て左端にキッチンが、広間の中央には幅広の長方形の机が置かれている。普段はここで食事をしているのだろうか?

 右はこの建物の出入り口となっているようで、今は半開きになって光が漏れている。

 キッチンの前には螺旋階段があり、それが延長してこの部屋までの通路となっているらしい。

「あら、起きたのね。おはよう」

 セリナは突然声をかけられ少しビクつき、今の声の持ち主を振り向き笑顔で挨拶あいさつを返す。

 接客業で鍛えられた、柔らかい可憐な笑みだ。


「おはようございます。貴女が私を拾ってくださったのですか?ありがとうございます」

「お礼ならシトラって子に言いな。あの子が見つけたのよ、二日前、館が燃えてて様子を見たらあんたが倒れてたらしいじゃない」


 スタイルが良く、すらっとした印象の老女だ。白いシンプルでカジュアルなシャツを着ている。

 経年によって刻まれたしわしたたかさを演出している。


「私二日も寝ていたんですか?それはそれは、お陰で助かりました。ありがとうございます。それで、そのシトラさんはどちらにいらっしゃるのですか?」

 優しそうな女性に拾われて一安心したセリナはシトラという者に礼を言おうと居場所を尋ねようとしたその時、

「あ!ママ、その子もう元気になった!?」

「シトラ、あんまり大きな声は出さないようにね?あんたは元気でもまだこの子寝起きなんだから」


 目標らしい人物が建物の玄関口からやってきた。

「自己紹介は?もうした?」

 シトラというらしい快活そうな女性はハキハキとした声でそう言った。

 黄色っぽい髪に黒のワンピースのような、少し丈の短い修道服がよく似合う。

 修道服、と言うことはここは教会なのだろうか、私は宗教に詳しくないから、なんとも言えない。


 それで、シトラなのだが、二階からでもわかる。彼女は美人だ。

 声もいい。一階から届くように話しかけているから声が良く響いている。

「いいや、そこでみんなを集めてゆっくりしようと思ってね」

 老女は一回の机を指差しながら言った。

「わかった、レザンも呼ぶね!」

 そう伝えるとシトラはもうどこかへ行ってしまった。全く行動主義な人物である。


「今の方がシトラさんですか?」

 セリナは今一度確認を取る。

「そうよ、館が燃えてるとかなんとか聞いて真っ先に飛び出してったんだから。さ、私たちも早く降りちゃいましょ」


「…はい」


 本当に、感謝してもしきれないとセリナの胸がいっぱいになった。




「まずは私の自己紹介からだね。私はラモーナ・マンガン、一応ここの教会で修道女をやっているけど…私、公認じゃないんだよね。だから一応。私のことは気軽にママって呼んどくれ」


 私───セリナの前に座る老婆はリラックスしたように机に肘をついて指を組み私に自己紹介をした。

 どうやら公認ではないらしい。Tシャツを着ているし、あんまり高貴な感じがしない。

 こんなこと言ってしまったら失礼なのだが。


 それにしてもいきなりママと呼べと言われてしまった。対応に困る。

「はあ…えっと、ラモーナさ、いやママ?」

「ママでいいよ」

 私が呼びにくいのはそっちではないのだが…

 とにかく自己紹介だ。

「あっ…、じゃあママ、それとシトラさんとレザンさん、でしたっけ?初めまして、セリナ・カーノロイスと申します。私を拾って泊めていただき、本当にありがとうございます」

 深々と頭を下げた。


「別にそこまで気を張らなくていいよ。リラックスして。あたしがシトラね、シトラ・フタ

ラクエン。これからよろしく」

「はい、シトラさん、よろしくお願いします。」


 次に私に話しかけてくれたのは、長方形の机の、私の対角に位置するシトラさん。先ほども見た、溌剌はつらつとした彼女だ。

 彼女はちゃんと、といって良いのか分からないが、修道服を着ている。帽子はつけていない。


 シトラさんはレモン色のサラサラとした美しい髪を持っている。ないものねだりをしても仕方ないし、自分の黒髪も気に入っているが少し羨ましい。活動的な彼女にショートボブはよく似合っている。

 だが一個だけ疑問を持ったのですぐに聞いてしまう。疑問を尋ねずにはいられない、私にはそういうところがある。

「ところでこれからよろしくと言うのは…?」

 シトラさんは意外そうに即座に返した。

「え、だって暮らすとこないじゃん。もしかしてあるの?」

 確かにない。はっとした。だけど嫌な記憶も同時によみがえる。オラニエールさんにめちゃくちゃにされた思い出が。


「あっ…」

 頭の中にトラウマが呼び起こされたその時、フォローが入った。

「あんたほんっとにデリカシーってもんがないのね」

「お前……」


 ママ───やっぱり抵抗がある、私にとってのお母さんはあの時にいなくなってしまったからか、単に呼び慣れていないからか。まあいずれ慣れるだろう。

 それとレザンさんがシトラさんをいさめている。

 喧嘩けんかは起こってほしくないので私は二人をなだめる。

「まあまあ…」

「あんたも『まあまあ』じゃないわよ!嫌なんだったら言わないと!」

「ええ…」

 叱られてしまった。思わず困惑が出てしまう。まあ確かに「嫌なら言う」のが良い、その通りではあるのだろう。

「ほらシトラ、謝んなさいよ。今ごろ自分を助けてくれた人から傷穴広げられて、セリナちゃん困惑してるわよ?」

 今のところ貴女あなたから受け取った困惑の方が多いのだけど…

「ごめん、気が抜けてた。あたしってば気を付けなきゃダメなのに。デリカシーなくってほんとごめん」

 シトラさんから謝罪を頂いた。傷ついてもいないので無難に返そう。

 シトラさんとは仲良くなりたいし。


「ありがとうございます。でも私なら全然大丈夫です。私が代わりに気を付けておきますから」


 あれ、待って、シトラさんに気を遣おうとして意味がわからないことを口走ってしまった。

 直ちに訂正を試みる。

「いやっ違くて」

 頭の中は真っ白だ。

「ああ、そうしておけ。こいつに期待しても無駄だ」

 ああう、レザンさんが乗っかってしまった。

 違うのに、そんなんじゃなくて。

 恥ずかしい。きっと赤面していることだろう。なぜこの流れで私が恥をかくのだろう。


「レザンはさ、デリカシーがないよね」

「お前が言うのか?」

 何か新しい別の言い合いも起こっている。

「まあまあ…」

 と、そんな私の調子は置いておかれて、ママはレザンさんに自己紹介を促した。


「ほら、もうあんただけよ。つまらない口喧嘩はやめて、自己紹介ぐらい済ませちゃいなさい。」

「わかってる、こいつが」

「はあ?」

「早く」

「するから」


 いよいよ彼の自己紹介だ。


 ワインレッドの、短めのシトラさんに比べ長い髪はタテガミのようで、かえって男性的な雰囲気を醸し出している。

 黒いコートの襟は首元を一周して、レザンさんの剛健な見た目も合わさり城塞都市の壁を思わせる。


 そんな彼の名前の一部はもう知っているがまだフルネームは知らない。

 だがそれをシトラさんやママに尋ねるのは野暮らしい。

 こういうのは本人の口上に意味があるのだ。

 幼い時、お父さんからそう教わった。


 満を持して私の隣に座る、彼の自己紹介だ。


「俺の名前は───」


「レザンダース・ベッカスとシトラ・フタラクエンだな?お前たちがそこの黒髪の魔女を連行していたと通報があった。今すぐに奴を差し出せ。」



 何者かが、入ってきた。

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