過去と未来の間から

墨猫

第1話 母

 母は勉強よりも家の仕事が好きな子供だったそうだ。学校から帰ると馬の世話や畑仕事をするのが好きで、2人の弟よりも男の子のような性格だったらしい。近所の子供達を引き連れるガキ大将的な存在。勉強が嫌いで中学までしか行かなかったそうだ。

 字を書く事が嫌いな母は、書けないからと言ってはいつも小学生の私に代筆させていた。その企みがあったからか、幼稚園入園前から書道教室に通わされた私は、自分の体育の見学願いまで代筆させられ、ばれやしないかとドキドキしながら大人の字を一生懸命真似て書いたものだ。

 

 母は愛情深く涙もろい人で、ドラマやニュースを見てはすぐボロボロと大粒の涙を流していた。そんな母を見るたび父は


「早く洗面器持ってこい、いや洗面器じゃ間に合わないタライ持ってこい」


と言ってはからかっていた。


 母は家族が出掛ける時、いつも外まで出て見送ってくれた。姿が見えなくなるまで見送ってくれる事が嬉しかった。

 私が小学生の頃、明るくおしゃべり好きな母は、私を見送る途中で誰かと出くわすと、私が学校から帰って来るまで同じ場所でおしゃべりし続けている事が度々だった。かなり盛り上がって何時間も話しているので「さっきのは誰?」と聞くと「初めて会った人」という事もざらだった。

 電話機の横でオウムを飼っていたのだが、いつの間にか「アハハハハハハ、アハハハハハハ」と、母の豪快な笑い声の真似をするようになっていた。


 母は手先が器用で裁縫や料理、絵も上手だった。特に刺繍は見事な腕前で、自分で描いた下絵に刺繍をしてはテーブルクロスやバッグなどに仕立て、それを人にあげては喜ばれた。

 繊細さがある一方とても豪快で、炊き出しに使うような大鍋で料理を作り、1週間朝晩カレーという日が続くのは、我が家では恒例だった。

 遠足の時のお弁当は、友達皆から羨ましがられる程綺麗で美味しかった。皆の前で先生から褒められた時は恥ずかしかったけど、とても誇らしかった。


 運転免許を持っていない母は、ママチャリでどこまでも行く行動力があり、バイタリティ溢れる人だった。父曰く「免許持つと車でどこまで行くか分からないから取らせなかった」との事で納得したのだ。


 母は母であり、父のような人でもあった。学校から帰ると度々模様替えされており、何十キロもあるようなタンスも一人で動かしていたり、大工仕事も得意で、屋根に登り修理するのは朝飯前という感じだった。

 車4台停められるビニールハウスのような半円状の車庫も、父と母二人の手作りだった。鉄筋の骨組みに厚手のビニールシートを被せている物で、私達も何度か登って怒られた事がある。雨が降ると、格子の間に溜まった水がシートをたるませ、下から突ついて爆弾雨を降らせるのが楽しかった。

 何年か経ちビニールシートも劣化が進みだした頃、大きな台風がやって来た。父は仕事に行っており、私達姉妹は休校で家にいた。外はとても強い風に激しい雨。いつもとは明らかに違う光景の中、母はおもむろに包丁を手に外へ飛び出した。

 玄関に取り残された私達はそれぞれ母を呼んだ。


「かあさーん、かあさーん、大丈夫ー?!」


 風と雨の轟音の中、必死に叫ぶ私達。


「危ないから外に出たら駄目でー!」


母はそう叫ぶと、凄まじい形相で車庫に登り一心不乱に包丁を刺し続けた。

 私達は心配で泣き叫び、母は激しい台風の最中、車庫に馬乗りになって何度も包丁を振り落とし続ける。

 事情を知らない人が見たら、さぞ異様な光景だったろう。

 風に煽られ車庫が飛んでいかないように、シートに穴を開ける作業をしていたのだと後日理解した。


 妹の部屋に男女数人の友達が遊びに来た時の話だ。突然、皆の悲鳴と走り回るような騒音が聞こえてきた。様子を見に行った母がドアを開けた瞬間、それまで部屋中飛び回っていたゴ〇ブリが母の胸に張り付いた。母は何事も無かったかのようにそれを片手で静かに抑え、もう一方の人差し指を口元に持っていくと、


「お静かに」


そう言ってドアを閉めて戻って行った。

 一瞬静まり返った部屋の中だったが、その後は歓声と驚嘆と賞賛の嵐となり、爆笑の渦も相まってそれまで以上の騒ぎとなった。


 また、野生のカラスを肩に乗せ、頭を突かれながら餌を与えていた母を初めて見た私の友人は、「カラス使いかと思った」と本気で言っていた。


 徒歩30分程の中学校に通っていた私は、部活動で遅くなる事が多かった。真っ暗な道を帰っていると、母は必ず学校の側まで迎えに来てくれていた。

そんな母の顔を見ると、心細さが安心感に変わっていった。

 少し有難くも困った事は、私が成長するにつれ料理の腕を磨くべく弁当作りに励もうと早起きすると、毎朝、後は詰めるだけの状態になったおかずが並んでいる。何度も「作らなくて良いから」と言っても、私より何時間も早く起きて作ってしまう。たまに隙を見て私が料理しようとすると、すぐ横から手を出してくる。

 かなりの過保護っぷりだけど、面倒臭がりの私は大いに助かってしまった。それが原因で未だに料理は苦手だけど。


 自分の分が無くても、いつも家族にたくさん食べさせてくれる人だった。母は家族の笑顔が一番の幸せで、どんな苦労も苦労と感じない過保護の更に上を行く程の、大きな愛情を持った人だった。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る