復帰
第2話
四年ぶりに前の担当部所に復帰を果たした本間は、今後の仕事も兼ねて思いつく場所すべての挨拶まわりに精を出していた。
「浅見さんいる?」
室内を見渡したが彼を見つけられず、目の前を通り過ぎていく若い男性に声をかけた。
「あ、はい。この奥の会議室でこもっていますけど。…どちら様ですか?」
その問いに本間は自分のいなかった四年のブランクをまた感じさせられる。
以前は関わり合ったことのある会社ならどこでも顔パスだったのに、今日ではどこでも受付で身分証明を提示するように言われ、今は新人らしき彼に思いっきり疑われている。
本間はため息をつきながら名刺を見せ、それを渡さずに教えてもらった部屋に向かう。
「さすがに堪えるな、四年は」
そう小さく呟きながら足を進め、突き当りの部屋のドアにノックする。
中から小さな返事が返ってきたことを確かめて扉を開けた。
「お疲れ。元気してる?」
どこに行っても本間は同じ言葉を第一声に選んだ。それが自分らしい表現だと彼は弁えている。
「誰かと思えば本間さんじゃないですか!」
懐かしい顔に本間はホッと息をつく。
挨拶まわりに出かけ今日で三日目になるが、知っている顔に出会うのは意外と数少ない。
昔一緒に仕事をした人間はそれなりに偉くなっているか、どこかへ異動になっていることが多く、場合によってはクビになっていることも珍しくなかった。
そのせいか知っている顔に再会すると安堵感が心の中に芽生えるのだ。
「ご無沙汰」
「もう、あの時は大変だったんですよ!」
「行く先々で必ず言われているよ」
本間の答えに浅見は「でしょうね」と呆れ口調で返す。
「ま、俺も本意でいなくなったわけじゃないし、とにかく復帰したので宜しく」
「そういうことなら一応、おめでとうございますってことで」
疲れ切った表情で浅見は笑顔を見せ、動かしていた手を少し止めた。
本間は彼が疲れている原因に興味が沸いて彼の作業を覗き込む。
「何をやらされてんの?」
ガランとした会議室の机には、封筒が何十通も詰め込まれた段ボールが数十個並べて置いてある。
浅見はその段ボールから一通ずつ丁寧に封筒を取り出し、ハサミで封を開けては中身をこれまた丁寧に取り出してまとめている。
彼の性格は四年経っても変わっていないことに本間は微かに微笑んだ。
浅見の腰かけている椅子の横に用意された別の段ボールには空になった封筒が無造作に投げ込まれていて、何枚も折り重なった封筒の宛先には【楓出版 新人賞係】という文字が全部に書かれている。
「見ての通り新人作家探しですよ」
「人気雑誌の編集長が新人作家の発掘?」
本間はそう言いながら彼がまとめた作品に近づき、原稿を一、二枚捲ってみる。
そんな彼に浅見は気付いて声をかけた。
「あ、そこは落選ですよ」
「ん? 何、こんなに読んだの?」
まとめてある原稿はざっと見て数十作品はありそうな厚さである。
「いえ、それは対象外なので」
原稿を封筒から出す作業の手を止めることなく彼はそう告げた。
本間は首を捻りながら原稿に目を落とし、彼が対象外だという理由を探し始める。
「よく出来ているんじゃない?」
軽く目を通しただけだったが外されるような文章でもなく、どちらかと言えば合格している文体ばかりである。
気になって数作品、目を通してみたが本間の疑問はさらに深まるばかりだった。
本間の問いに浅見は対して興味のない口調で彼の不満に答えを出す。
「よく出来ているはずですよ、ほとんどプロの作品ですからね」
浅見は自分の手に出したばかりの原稿にサッと目を通して席を立つと、本間の前に差し出した。
本間は目の前に現われた原稿に目を落としながら差出人の名前を探す。
「これも。最近結構多いんです。一度他の出版社で賞を取った作家が送ってくるの」
本間の目の前に現われた原稿には見覚えのある名前が書き綴ってあった。
「…藤原美波。どこかで見たような」
「確か三年ほど前でしたか、有名文学賞を最年少で受賞して話題になった作家です。本名で送ってくる人は珍しいですけどね」
浅見の説明で本間は作品と顔を思い出す。
若手作家の作品にはあまり手が伸びない本間であったが、女友達の勧めで読まされた記憶がある。
内容は想像していた以上によく出来ていた。
若干二十歳の女性が書いた作品としてはレベルも高く、受賞には頷けた。
確か題名は【SOME DAY】ラストシーンの印象がかなり強く、久しぶりにグッと引き寄せられ、貸してもらった本を返したあと、書店に買いに行ったほどだ。
まわりの人間にも「本間さんを本気にさせる作家さんがまだいたんですね」とまで言われた。
しかし本間を夢中にさせた作家はその作品以降、全く新作を発表していない。
原稿を目の前に本間は妙な気分になる。
「なぁ。これ、どうするんだ?」
対象外とあっさり落選を言い渡された原稿を本間は指差して尋ねた。
浅見は席に戻ると新しい封筒を開け、顔を上げて素っ気無く答える。
「全部捨てますよ」
「プロの作品なのに?」
本間の質問に浅見は当たり前だと告げる。
その響きには妙な冷たさを感じさせられた。
「最初に言ったじゃないですか。【新人作家の発掘】って。読まずに却下なのはプロだから。珍しいことじゃないんですからね。我々が求めているのは売れないプロじゃなくて斬新なアイデアを持ち、たった一作でもヒットになる新人作家ですから」
最近どこの出版社も、内心はそんな決まり文句で作品を募集している。
文学的センスは必要ない。
何か世の中を震撼させるアイデアだけでいい。
「新しもの好きの世の中、目新しいインパクトさえあれば才能なんていうのは二の次で構わないんですよ。そのうち小学生作家とか普通に誕生しそうですしね」
何かを諦めたような浅見の感情が本間には伝わってくる。
だけど、どうすることも出来ないのが残念ながら現実だ。
本間は改めてそのことを感じる。
「質より量ね…寂しい世の中になったもんだ。いつからこんな社会になったんだ」
「そうなんですけど実際出版社も苦しいんですよ。活字離れはもはや止められない事実ですし、大手の古本屋の出現なんかで発行部数も年々減少気味だし、売れない本を印刷している余裕はないのが本音ってところでしょう」
浅見のセリフを耳にしながら本間は自分の手元にある原稿に目を落とす。
「藤原美波かぁ」
独り言のように呟いて名前の横に書かれた題名を指で追う。
そこには作家の名前より少し大きな文字で印刷された【サイレント ワールド】という作品名が本間を見つめている。
彼はその原稿をゆっくりと一枚捲った。
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