第6話 私の罪状

 …その後のことは、思い出したくもない。


 だから千鶴は、キャンバスに絵の具をぶちまけるみたいにして、青春の記憶に忘却を招こうとしていた。


 ただ、それでも、自分が違う何かに変貌していく恐怖や、呼吸が出来なくなるまで感じた熱、ぞっとしてしまうほどの耽美な感触、押し殺したような声が誘う魅惑の扉のことは覚えている。


 どれだけの時間、紫野に覆い被さっていたのかは分からない。


 高い位置に備え付けられてある窓から夕暮れが差し、帰りのホームルームのチャイムが鳴ったときにようやく、千鶴は紫野から離れた。


 すでに千鶴と紫野の関係は、数時間前までの『ただのクラスメイト』ではなくなってしまっていたのだが、さらにこの後、千鶴が起こした行動が、いよいよ二人の関係を決定的なものに変えてしまった。


 肩で息をしている紫野の、半分ほど役割を投げ捨てたシャツやスカートから覗く艶やかな肢体を目にしたとき――千鶴は、このすさまじい美の結晶をいつまでも自分のものとして留めておきたくなった。


 だが、もう二度とこのような機会には恵まれないだろうという予感もあった。自分がしたことは畜生にも劣る行為だと痛感していたからだ。


 気がつくと、手にしていた携帯はカメラを起動し、シャッターを切っていた。


 もちろん、勝手に携帯が動くはずもない。無意識的にではあるが、千鶴が自分でやったことだった。


 その音でハッと我に返った千鶴は、紫野のブラックダイヤみたいな瞳が異様な熱と、それに反発するような冷酷さをまとっているのを画面越しに理解してしまった。


 千鶴はそれ以上、その場でじっとしていることが出来なくなり、飛び出した。


 その後、何も噂にならなかったことを考えると、どうやら紫野は誰にも気付かれずに用具室を後にすることが出来たらしい。


 千鶴が怪我をさせた生徒たちも、学校側に、あるいは周囲に知られるのを恐れてか、自ら藪を突くような真似はしなかった。


 まあ、そんなものはどうでもいい。


 千鶴は次の日から数日間、学校を休んだ。それは、犯罪じみた行為を重ねたことによる罪悪感のためではない。ただ怖かっただけだ。


 紫野が誰かに一言でも漏らしたら、自分の立場は失墜し、たちまちスクールカーストの最底辺へと転がり落ちることは分かっていた。


 この期に及んでも我が身が大事な自分が情けなくてたまらない一方で、向き合うことも出来ない。


 しかも千鶴は、最低なことにその不安を慰めるために紫野の写真を使っていた。


 画面越しに紫野の焼け付くような、凍て付くような視線に射抜かれ、千鶴は度々不気味に歪んだ昂揚感を覚えた。


 千鶴には、自分が何よりも穢れた存在に堕ちていくのが分かった。もう昔のようには戻れないことを悟った。


 無論、千鶴を取り巻く環境は何も変わっていなかった。実際、千鶴が何とか学校に登校した後も、周囲の千鶴を見る目が変わるということはなかった。


 紫野は誰にも言わなかったのだ。そればかりか、彼女は何事もなかったかのように千鶴に接した。


 いや、以前に比べると、よりその機会と親しみは増えていたといえるだろう。


 「千鶴」と呼ぶ愛らしい声には、生殺与奪を握った者の余裕が滲み出ているような気がして、千鶴は紫野が怖くて仕方がなくなった。


 千鶴はその後卒業まで、逃げるように帰宅するか、外敵から身を守るように友人たちという群れから離れなくなった。少なくともそうしていれば、紫野千鶴に絡んでこなかったからだ。


 卒業式のあの日、紫野から手紙を貰った。それは呼び出しの手紙だった。


 場所は体育用具室。


 彼女が何を言いたいのかは明白だった。


 本当なら私はあの日、その処刑場に行くべきだったのだ。


 断頭台に括りつけられようとも、罪を認め、懺悔するべきだったのに。


 私は、迷うこともなく逃げ出した。


 いつか、彼女が再び、自分を裁きに来ることを予感しながら…。

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