十八、ひまわり


「修先輩、いまおしんさんの家に迎えに来ているんですけど、声掛けても出てきてもらえません。

 中で猫は鳴いているんですけど、アフターケアをお願いしてもよろしいですか?」


「わかった、君たちは送迎はルートに戻って、続きを頼むよ。

 こっちは訪問して対応するから。」


 送迎中の職員からデイに連絡が来たのは、朝の八時半ごろ。

 一人暮らしなので、何か異変があっても対応できないでいるはずだ。

 僕は急いで車に乗り込み、おしんさんの家に向かった。


「おしんさん、大丈夫ですか?」


 呼びかけに応答はなく、玄関の引き戸には鍵がかかっていた。


 僕は裏手の勝手口に回り、扉を開けようとしたが閉まっていた。


 中からは猫の鳴き声が鮮明に聞こえる。

 裏側の寝室の窓が網戸になっていたため、それを外して中に入った。


「おしんさん、聞こえますか?」


 肩をたたくがわずかに唸り声をあげ、反応が鈍い。

 僕は持参したバッグから体温計と血圧計を取り出し、計測した。

 

 少し脈が速いな。そして脇が渇いている。

 携帯電話で119番通報をする。


「救急車をお願いします。こちらは三浦海岸駅の西側、京急ストア近くの田辺信さんの家からです。

 田辺信さん89歳女性、独居です。

 意識が弱い状態で発見しました。

 体温38.4℃、血圧164/112、呼名反応弱く、意識不明瞭、脈拍96です。

 呼吸は浅く、頻回ですが、SPO2は98を保っています。

 既往歴は心疾患があります、主治医は市民病院の内科です。」


「保険証や診察券のご用意はありますか?」


 救急隊からの返事。

 コピーを持っていることを伝えると、診察券の番号を伝え、市民病院で受け入れ調整をするとのこと。

 

 僕はこのまま様子を見ながら部屋の中を探し、保険証と診察券を見つけ、お薬手帳を探す。

 そして娘さんに連絡を取った。


「こんにちは、田辺信様のご家族の携帯でよろしいですか?

 こちらはデイサービスセンター三浦海岸の飯塚です。

 お世話になっています。

 実は信様が、今朝デイサービスのお迎えに伺ったところ、応答がなかったので、家の裏から中に入らせてもらいました。

 信様の様子をうかがうと、意識がもうろうとしていましたので、救急車を呼びました。

 熱もあり、体も乾いていたので、脱水症状が疑われます。

 もうすぐ救急車が来ますので、搬送先の病院がわかり次第、お電話いたします。」


「わかりました、支度をしてそちらに向かいます。

 病院がわかったら教えてください。」


「こちらにはどのくらいで到着できそうですか?」


「横浜からですと、だいたい一時間ぐらいでしょうか。」


「救急隊にはそのように伝えておきます。」


 僕は電話を一度切ると、デイサービスに連絡をする。

 今日は猫君が一緒の日だから、後の世話を頼んでおく。


「もう心配ないからね、これから救急車や救急隊の人が来て、びっくりするかもしれないけど、おばあちゃんを必ず助けてくれるからね。」


 僕の様子をずっと見ている白い猫に話しかけた。

 猫はキミのように賢い仔もいるから、聞いてくれればいいなと思って話しかけた。

 

 それから約10分で救急隊が到着した。

 おしんさんは担架に乗せられ、救急車へ。


 僕が救急隊への申し送りを終えて、戸締りをしてデイサービスへ戻ろうとしたとき、白い猫がズボンの裾から離れないでいた。


「そうか、君も来たいんだね。

 今日は猫君様もいるし、大丈夫だろう。」

 

 僕は白い猫を抱きかかえ、デイサービスに戻った。



 小夜はばあばの異変に気づいていた。

 ばあば、起きてばあば。

 今日のばあば、なんだか変だよ。

 いつもならあたしより早く起きて、ご飯だよって言ってくれるのに、今日は起きてこない。

 

 ばあば、ばあば。

 あたしは何度もばあばをなめる。

 そして押してみる。


 ばあばは、「う~ん」といったきり、動かない。

 誰か助けて!

 ばあばが、ばあばが死んじゃう!


 誰か……お願い!

 誰か来て……。

 

 ばあばのそばでずっと声をかけていたの。

 そしたら玄関から、

「おしんさ~ん」ってばあばを呼ぶ声がしたのだけど、しばらくするといなくなっちゃった。

 

 あたしはばあばに「起きて」って、ずっと声をかけていたの。

 そしたらあたしの声に気が付いて、男の人が入ってきた。

 

 電話をいっぱいして、大きな音の車が来て、ばあばをどこかに連れて行った。

 

 でも、その男の人からは懐かしい猫の匂いがして、「心配ないからね。」って言ったの。


 その人があたしを置いていこうとするから、その人のズボンの裾につかまって、連れてってと頼んだの。

 だってばあばがいなくなっちゃったから。


 デイサービスに来てあたしは、ドライヤーの「ぶぅおー」の音にびっくりしたけど、そのあとは手袋で撫でてもらって、気持ちよかった。

 おなかがすいていたので、用意してあったミルクを飲んで、それからベンチで少し休んだ。

 ここのクッションからはばあばの匂いがする。

 そう思うと丸くなって、すっと眠ってしまった。



 修氏は、今日の茶会に参集した長老たちに、


「今日は事情があって、もう一匹猫がいます。

 こちらもまだ子供で、急に連れてこられてびっくりしていますので、そっとしてあげてください。」

 

 我には、今日おしんさんが来ていないこと、修氏が慌てて出かけたこと、白い猫の仔がここにいることから、ようやく察しがついた。

 さぞ心細く、そして頑張ったのだなと、白い猫の仔と添い寝をすることにした。


 我の仕事もひと段落したころ、白い仔猫が目を覚ます。

 ねぎらいに首の後ろをぺろりと舐めると、フンフンとにおいをかぎ、安心したように眠っている。

 

 ここからの時間は長老たちの昼食の時間なので、我らも食事を誘ってみたのだが、ずいぶんと疲弊しているようであった。

 今は起こさずにいることにした。



 あたしは長い間眠っていて、目を覚ましたら知らないところだった。

 でもばあばと猫の匂いがして、なんだか安心できるところだった。

 部屋では猫さんとばあさまたちと遊んでいる。

 楽しそう……。

 

 しばらく見ていたら、猫さんがやってきて、一緒に来いというの。

 ついていくと、そこにはミルクとカリカリが置いてあった。

 あたしはおなかが空いていたので、おいしくご飯をもらった。

 ねぇ、ばあばがいなくなっちゃったんだよと猫さんに言う。 

 すると猫さんは心配ないよとあたしの首の後ろを舐めてくれた。

 

 おなかがいっぱいになると、猫さんに続いてあたしも、ばあばたちの間で丸くなって休んだ。


 あたしが寝ている間に猫さんはお仕事をしているそうで、ボールで遊びながら体を動かしていると聞いた。

 頑張っているんだな。



 その夜、僕はキミと白い仔猫の小夜を連れて、さおちゃんを駅までに迎えに来ていた。

 小夜を独りではおいていけないことと、キミがしっかり面倒を見ているので、大丈夫だと思ったからだ。


「さおちゃん、お帰り。」


「あら、今日は車でお迎えなんて、珍しいわね。

 え、今日はキミも来てくれたんだ。」

 

 そう言うと助手席にいそいそと乗り込む。


「ねぇさおちゃん、お願いがあるんだけど。」


 僕は申し訳なさそうにと切り出した。


「猫の仔を預かってもらえないかな。」


「まぁ、なんとなく予想はしていたけど、キミの隣の白い猫ちゃんだね。」


 そうだけど……。

 そう言って今日のいきさつをさおちゃんに話した。

 するとさおちゃんは笑いながら、


「だってもう連れてきてるじゃない、断れないでしょ。」


「ありがとう、おばさんにも話をしないとね。」


「母さんは、大丈夫だと思うよ。

 だってこの仔たちは、自分でご飯を稼いでくるんでしょ?」

 

 さおちゃんはいつもそう。

 僕が考えるより先のことを、こうして僕より先に言っちゃうから、いつも僕が口を閉じてしまう。



「ねえ母さん、修ちゃんからお願いがあるって。」


「あら、何かしら?」


 といいながら女房に目配せをする。

 女房はそれを見て小さく首を振る。


 だとしたら何だろうと母様は期待しながら修氏の話を聞くことにした。


「何かしら?

 ここで暮らすって話なら、大歓迎だけどね。」


 そう切り出すと、


「ちょっと母さん!」


 と女房が顔を赤くする。


「実は今日、急に猫を預かることになりまして……。」


 修氏は今日あった出来事、キミと一緒に仕事に連れていくことを話した。


「そうねぇ、今更うちに猫の仔が増えようが、婿殿が一人増えようが大丈夫だから。」


 今度は修氏の顔が赤くなる。


「この仔たちと一緒に出勤するなら、世話もかねて、ここに住んじゃいなさい。

 晴信さんには私から言っておくから。」

 

 母様は恐ろしく策士であった。

 ずっと女房と修氏が持っていたわだかまりを、こうもあっさり解決してしまうなんて。


「修ちゃんはこの仔たちの上司なんだから、しっかり面倒をみなさいよ。」


 女房には、


「あなたの大切な旦那様なんだから、しっかり面倒をみなさいよ。」


「この仔のお名前な何がいいのかなぁ、シェリーとかサラとかかわいいわよね。」


「あ、この仔には飼い主がいて、小夜いう名前があります。」


「猫のキミと小夜ちゃんね。」


 我は衝撃を覚えた。

 やはりそうかとは思ったのだが、小夜はおしんさんの家にいたとは。


 小夜をちらりと見るとわれを「猫の君」といった言葉に同様に衝撃を受けているようであった。

 我らはしばらく、何も言えずに見つめ合っていた。


 あの頃と同じく、乳兄弟の、いつもそばにいた小夜と再び暮らすことができる幸せに、我らは感謝しなければならないな。

 

 妹とまた 巡り合ひては 契る世の 幸をぞ惜しむ 命限りに


 久しぶりに小夜と寄り添って眠った。

 我らの輪廻の果てに、こうして再び巡り合えるとは、なんという運命であろう。

 夫婦の出会いとは、案外宿命づけられているものかもしれぬな……。

 

 まこと、今日ほど、お釈迦様に感謝の覚えた日はなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る