第4話

 その日も、放課後は図書室にいた。今日は三時間目以降珈琲を飲んで眠気に耐えていたので、その分を図書室で寝て過ごす。

 図書室にいる生徒たちは、姫様が寝ている、と噂話をしながら課題をしたり本を読んだり、各々の事をする。

 しかし今日は佑月への注目度が違った。

 今日の佑月はヘアセットもメイクもばっちりだ。その雰囲気に気づいた人は「今日の宮野さんなんかいつもに増して可愛くない?」なんて小声で話している。

 そんな事に気が付くはずもなく、小さくすぅすぅと寝息をたてて夢を見ていた。


『佑月、今日は――』


 ベッドの上、服に手を掛けられ顔を近づけられる。そして――


「帰りにどっか寄ってかないか?」

「んぁ、そ、壮太くん……おはよう……」

「今日も待っててくれたんだな」

「うん、一応……」

「で、帰り、どっかいかないか?」

「うーん……寝起きだし、疲れないところがいい。あ、本屋とか寄りたいかも」

「本屋か。なんか新作でも出たのか?」

「うん。最近発売されたの、そろそろ買おうかなって」

「そういえばいつもなんか読んでるけど、何読んでんの?」

「最近はラノベ読んでる。ショート動画でやたら出てくるから気になって調べたらハマったんだよね」

「あー、あのヒロインが虚しい間接キスする奴?」

「そう、それ。知ってるんだ」

「よく流れてくるからなー。面白いんだ?」

「うん、結構ね。そうだ、わたしサブスク入ってるし、買って帰ったら一緒に見る?」

「い、いいのか?」

「うん。どうせ今日もお姉ちゃん帰ってこないし」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 昨日は二人きりになりたがっていたわりに、いざ二人きりになる、となるとなぜか緊張する用で、声が少しこわばっていた。

 女子慣れしていそうなのに緊張するものなんだなぁ、なんて思いながら、壮太と一緒に近くの書店に向かう。


「新刊だから……あった」

「それか。あ、知らないキャラだ」

「アニメでは出てないからねー。アニメだと3か4巻らへんまでで終わるんじゃないかな」

「へぇ、詳しいな」

「ちょっとハマって最近アニメよく見てるから。壮太は見ないの?」

「あー、ジャンプ系は漫画読んでるから見るけど」

「そっち系は逆に見てないなぁ。今度、本読みに行っていい?」

「あ、ああ、いいぞ。ちょうどいいし、明日とかどうだ?」

「うん。長くなりそうだし、午前中からでいいかな?」

「わかった。まあ家近いし、来るとき連絡してくれ」

「わかった。じゃ、買って来るね」


 そう言って佑月は一人でレジに行き、本の代金を払う。そしてお待たせ、と一言言って、先に家の方へと歩き出した。

 思えば付き合うのもお試しなので、家が近いのに壮太の家に行ったのは昨日が初めてだし、招くのも今日が初めてだ。男子を家に呼んだこと自体は中学生の頃一度あった。しかし、その時は強引に追い出す形になったので、実質ノーカウントだ。


「ねえ壮太くん、やっぱり女子の家ってよく上がるの?」

「直球だなぁ……まあ、機会は割と多かったよ。その、佑月の事好きになってからはめっきりだったけど」

「へぇ、結構一途なんだ」

「ああ。なんか遊んでるとか言われるけど、そんな事ないからな」


 とか言って高校一年目の夏休み前の時点で一回付き合って別れてる癖に、とは言わないでおく。一途だが冷めたらそれまで、そういうタイプなのだろうと思っておくことにした。

 一方自分はというと、そもそも人を本気で好きになった事がないどころか、自ら距離を置いている節まであるので何とも言えない。好き、という大きなくくりで言えば、今の所お姉ちゃんのような雰囲気の由夏のほうが好感度は高い。まあ、それは同性というのもあるのだろうが。


「そういう佑月はどうなんだよ」

「わたし? わたしは全然だよ。まあなんていうか、一時期は引き籠ってたからさ、そもそもそういう機会もなかったし」

「そっか……」


 少し触れずらい事を言ってしまったと、心の中で反省する。優しくしてくれたとはいえ、昔話――といっても中学生の頃の話だが――はまだ早かった。


「でも、そんな佑月が呼んでくれるなんて嬉しいよ」

「一応、信用してるからね」


 牽制も兼ねてそう言っておいた。サボっていたところを探しに来た時、彼はちゃんと手を引いた。距離感自体は弁えているのだと信じているからだ。信じているからこそ、牽制を兼ねているとはいえちゃんと言葉にはしておく。


「頑張って、信用を裏切らないようにするよ」

「ふふっ、頑張らなきゃなんだ」

「その、佑月今日は特にだけど可愛いからさ、お試しとはいえ付き合ってるってなると、つい軽くでも手が出そうになるんだよ」

「頭撫でたりとか?」

「あれ、バレてたのかよ……」

「声も聞こえてたよ」

「やめろよ恥ずかしい」

「ちょっと可愛かったよ」

「男子にとって可愛いは悪口になることもあるんだぞ」

「褒めてる褒めてる」


 そんな他愛もないやり取りをしながら、佑月たちは家に着いた。

 今日も一人なので、早速お茶を出してテレビにスマホを繋ぎ、アニメを流す。


「……早々に嫌なモノローグだなぁ」

「実際、壮太くんも経験してきたでしょ」

「まあそうだけどさ――――あ、ここ切り抜きで見たとこだ。切ないけど結構ギャグだな。ははっ、確かにこれは面白そうだな」

「面白いよ~」

「ははっ、確かに、これはなかなか面白いな。深夜アニメだっけ? 入るにはちょうどいいかも。他面白いのないの?」

「ラブコメは色々面白いのあるけど、多いからまたリスト送るね」



 アニメを見終わったころには、夕飯時になっていた。恋人同士なら、いい時間だ。

 だが、もちろんそんな事をする程仲は進展していない。ちょうどよく、佑月のお腹がくぅっと鳴る。


「あはは、お腹すいちゃった」

「お礼になんか作ろうか?」

「いや、今日は作り置きがあるから」

「そっか。じゃあ、俺はこれでお暇するよ」

「うん。それじゃあ、また明日ね」


 佑月は玄関先で壮太を見送り、部屋に戻る。

 手は出されなかったどころか、肌が触れ合う事すらなかった。ただ感想を語り合いながらアニメを見て、それでおしまい。これでよかった。案外話が合う、それでまた少し、彼に対する好感度が上がった。話を合わせてくれるし、距離感も守ってくれる。このまま順調にいけば、ちゃんと好きになれるかもしれない。

 そう思い始めた頃、入れ違うようにインターホンが鳴った。出てみれば、由夏だった。


「やっほー。ねえ、そろそろ夕飯の時間でしょ? お弁当にして持ってきたし、一緒に食べようよ」

「いいよ。一人じゃ寂しいし。って言うか、すごいタイミングだね」

「すごいタイミング?」

「ちょうどさっき壮太くんが帰ったの」

「二人きりで……ナニしてたの?」

「一緒にアニメ見てただけ。わたしでもびっくりするくらい何もなかったよ」

「それはよかった。ってことは、多分本気で好きなんだろうね」

「そっか、本気で……」


 好かれていることに実感がわかない。佑月自身も、恋愛的な物かはともかくとして、好意は着実に増していっている。だが、それだけでまだ恋愛感情は沸かない。


「佑月、どうだった? 楽しかった?」

「うん。結構話分かる人だし、色々布教できそうだったし」

「あぁ、これは恋愛感情ないヤツだ」

「だって、恋愛感情とかまずわかんないし。好意はあるんだけどね、それが恋愛的に好きなのか、まだよくわかんないの」

「まあ、お試しならそんなもんだよ。で、いい雰囲気にはなった?」

「まったく。ただただほんとに鑑賞してただけ」


 結局今日は恋人らしいことは一切なく、感想を言い合うだけで手と手が近づくなんてこともなく、話が盛り上がるだけで終了した。


「けど、好きになれるかもなーっては、思った」

「そっかそっか、それは良い事だ。けど、やっぱり程々にしときなよ」

「まあ、元カノの言う事だし、忠告は素直に聞いとくよ」


 なんだか遠ざけようとしているような気がするのだが、気のせいだろうか。由夏は由夏で、警戒しているのだろう。もちろん佑月も多少なりとも警戒はしている。トラウマもあるので、下手に距離は詰めないつもりだ。しかし、それで付き合っている意味はあるのだろうか。今の所、距離感は普通の男友達と大差ない。


「さて、そろそろご飯食べよっか」

「そうだね。そだ、一口交換しようよ」

「いいよ。解凍だけど、わたしのも結構おいしいと思う。ほら、あーん」

「んむ……ん、美味しい」

「でしょ。お姉ちゃんが今日お昼にちょっと帰って来た時に作り置きしててくれたの」

「お姉さん料理してくれるんだね」

「わたしが来るまでは一人暮らしだったからね。あー、でも一人分しかないや」

「そっか……なら、俺は今日はこれで帰るわ。ありがとな、結構面白かったよ」

「よかった。じゃあ、また明日ね」

「ああ。また明日」


 玄関で由夏を見送り、佑月は服を脱ぎながら洗面所に向かう。

 さっさと風呂に入って、課題をやって今日は眠りたい。図書室で十分に寝たので、今日はあまり疲れていない。とはいえその元気が保てるとも思えないので、出来るうちに先に風呂に入って、ご飯を食べる。

 夕食後は基本何も食べないので歯磨きも済ませ、後は新しく出た課題をやって、だらだらするだけだ。ゲームはする気分でもないので、課題を済ませ、布団に入る。薬もしっかり飲んだ。そして適当にアニメを流しつつSNSを巡回していると、電話がかかって来た。画面には『ゆか』と書かれている。


「もしもし?」

『佑月ちゃん、ちょっと話しよ』

「うん、いいけど、どうしたの?」

『恋愛相談にでも乗ってあげようかと』

「別に相談する事はないけど……強いて言うなら、好きってなんなんだろ」


 好き、とはいってもやはりまだ恋愛的な好きがわからない。確かに壮太とは一緒に居て楽しいし、体調面に色々気を使ってくれるところは他の男子と違って好ましいと思う。しかし恋愛経験のない佑月には、それが恋愛感情なのかまだわからない。確かに距離が近づけばドキドキするが、それは経験のなさから来るもので、他の男子でも変わらない。


『うーん、じゃあさ、壮太にはどこまで許せる?』

「どこまで……まあ、手を繋ぐくらいなら」


 それ以上は、まだ恥ずかしいし少し怖い。


『そっか~、まあ初めてだとそんなもんか』

「うん」

『って言うか、手は繋げるんだね』

「それもまだちょっと恥ずかしいけど……嫌、ではないかな」

『結構心は許してるんだね。まあ、あいつ優しいことに変わりはないからね』


 やはり何か含みのある言い方だ。いったい何があって別れたのかはわからないが、気になる。


「由夏ちゃん、付き合うのは反対?」

『ううん、今の壮太を見てる感じ反対ではないけど、まああいつの経験が経験だから、ちょっと心配かなー。まあ、昨日仲良くなったばっかりで、厄介なお節介かもだけど』

「何があったの?」

『それは、あんまり思い出したくないかな』

「そっか、ごめん」

『気にしないで。そのうち話すと思うからさ』

「そうだ、明日壮太くんの家に行くことになったんだよ」

『へぇ、二人きり?』

「多分。まあ、漫画読ませてもらうだけなんだけどね」

『あー、少年漫画でも読みに行くの?』

「そうそう。面白いみたいだし、楽しみ」

『それはどっちが?』

「漫画」

『あはは、そっちかー。こりゃ壮太に同情しちゃうね』

「だって、二人きりだからって何かするわけでもないもん」

『まあそうだよね。まだ。そういえば、カップルの半数が付き合って一ヶ月以内、さらにその半数が二週間くらいで初体験済ませるらしいよ』

「ま、まだシないし!」

『だよねー』


 するわけがない。倒れそうになって抱きかかえられた時、あれですら神像が破裂しそうだったのに、それ以上の事なんて想像しただけで顔が熱くなる。


『ま、明日手を繋ぐとか、色々頑張ってみてよ』

「う、うん……」


 佑月の声が、小さくなる。


『あはは、想像しちゃった? むっつりさんだなぁ』

「ち、違うし!」

『とにかく、月曜日に報告楽しみにしてるから』

「進展なんて特にないと思うけどね」

『どうかな~。ま、楽しみに待ってるよ。それじゃ!』


 そう言って、由夏は通話を切った。

 進展かぁ、と色々想像しながら、佑月は目を瞑る。



 ――佑月、そこ、座れよ

 壮太が甘くそうつぶやく。俯きながらもベッドに座り、彼に身を委ねる。

『……優しく、してね?』

『ああ』

 壮太の手が、佑月の腹に触れる。そこからゆっくりと服をはだけさせ――



「はっ!」


 そのさきの夢を見る前に、佑月は目を覚ました。

 昨日寝る前に言われた、むっつりという言葉が頭をよぎる。もしかしたら、そうなのかもしれない。誰としたいわけではないが、当然佑月にも欲求はある。一人でしたことだってある。けど、それが壮太相手と考えると、やはりまだ恥ずかしい。

 しかし一つ分かったのは、他人なら絶対嫌だが、彼相手だと嫌とはまた違うという事だ。


「やっぱり、好きなのかなぁ……」

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