第3話

 新幹線から降りてぐっと腕を伸ばす。2時間半の旅路は腰に来る。まぁ金曜日で1週間の疲れも溜まっているところだしな。


 今日は出張で取材だ。普段はアート関係のライターをしている俺は、イベントや展覧会へと足を運び、実際に作品を見て記事を書く。

 会社員とはいえ成果主義だし、やることさえやっていれば自由に動けるのは助かる。


 フリーランスだったら交通費も経費で落とせてラッキーと考える人もいるかもしれないが、会社勤めだとそもそも交通費ごと支給されるからな。……やめだ、税金のことは考えないでおこう。


「新幹線から降りると一気に湿度が来るな……」


 まぁそんなことはどうでもよくて、今は展覧会だ展覧会。ライターによってはいわゆる「現代アート」をメインに活動している人もいれば、古い作品を扱う人もいる。

 俺はどちらかと言えば後者だが、現代アートを観るのもプロジェクトの一員として参加することも好きだ。


 今回は現代作家へのインタビューだから、気合い入れて行こう。


 そう心に決めると、俺は1泊分の着替えやインタビューの機材が入ったキャリーケースを引っ張った。


◆◇◆


 いやぁ、今日の取材は当たりだった。

 作家の作品に対する姿勢が言葉として聞けるのはありがたい。

 前提知識の深さで作品の理解度が変わる古典もいいが、自分の価値観そのもので作品と向き合って、それがどう作者と異なるかを深堀するのもまた楽しいのだ。


 記事の構想を頭に浮かべてほくほく顔でホテルへチェックイン。

 作家や関係者とご飯を食べていたら少し遅くなってしまった、今日はこのまま寝て明日ゆっくり帰ろうか……。


 なんて思っていた時期が俺にもありました。


 シャワーを浴びて頭がすっきりした俺は、何を思ったかそのまま街に繰り出して駅近くのバーに入った。まぁ金曜日だし!実質土曜日0日目なんだからボーナスステージだ。


 そういえば、あれから千桜さんと会っていない。やはり偶然は偶然で2度は無いのだろう。

 せっかく買った同僚の人数より一つ多いお土産も、自分で食べることになりそうだ。


 思い出してしまったものは仕方がない、今日は少しばかり感傷に浸りながらゆっくり飲もう。

 カウンターに腕を乗せてマスターにお酒を頼む。そうそう、小洒落たこんなところでよく彼女が頼んでいたのは。


「「ミモザをお願いします」」


 ゆったりと落ち着いた、それでいて鈴を転がしたような声と、自分の何の変哲もない声が重なった。

 声の聞こえてきた方を見ると、ここにいるはずのない人物が小さく手を振っていた。

 カウンターに付いた肘、組んだ長い足、前に会った時とは違ってまとめられた髪。どこまで計算されているかわからないが、まるで映画のワンシーンのように完成された光景に一瞬意識が飛ぶ。


「やほ、更科くん」


「な、なんで……」


 そのまま小さな鞄を持って俺の隣へ座る千桜さん。だめだ、まだ頭が混乱している。

 一つ余分に買ったお土産も無駄にならずに済みそうだ、なんて的外れなことを考えて、机の上に置いていたスマホを奪われたことに気が付かなかった。


「どうしてミモザ頼んだのかな〜?」


 俺のスマホにたぷたぷと指を走らせながら彼女の口角は上がっていく。


「それ、俺のスマホなんですけど」


「わかってるわよ」


「返してもらうことは?」


「できると思って?」


 でしょうね。こういう人なのだ。

 やがて俺たちの前に並ぶ二つのグラス。薄い光を受けてオレンジ色がテーブルに落ちる。


 音は鳴らさずにグラスを持ち上げる。


「「乾杯」」


 酸味と辛味が舌を撫でる。ごくごく飲むもんじゃねぇな。


「それで、どうしてこれ頼んだの。いつも違うお酒でしょ?」


「何となくですよ、何となく」


「私が好きなの覚えてたとか?そりゃないか」


 答えは分かっているはずだろう。こうやって揶揄うのは昔からの悪い癖だ。

 彼女だって俺の好きなお酒を覚えているのに。


 少しの間、沈黙がカウンターを支配した。俺たち以外にもお客さんはいるはずなのに、声はどこか無機質に遠く聞こえる。


「更科くんってば別れたらすぐ私の連絡先消すんだもんな〜」


「だって変に残してたらもう来ない連絡に絶望するじゃないですか」


 そう言って彼女の手からスマホを取り上げる。どうやってロック解除したんだ。


「暗証番号変わってないんだね」


 疑問が顔に現れていたのか、千桜さんは楽しげに言葉を口にする。


「え、付き合ってた時から知ってたんですか?」


「そりゃ目の前で何回も開けてたからね〜」


 グラスが傾いて赤い唇にオレンジ色の液体が流れ込んでいくのを眺める。

 手元のスマホには彼女の名前とアイコン、勝手に連絡先を登録されていたらしい。


「1回会うのは偶然だとして、2回目は……必然?」


「これも偶然でしょう。なんでこんなとこにいるんですかほんと」


 小さなお皿に盛られたカシューナッツを摘む。

 なめらかな表面の舌触りにぐっとくる甘さがやみつきになる。


「出張できたのよね〜金曜日だから一泊していこうかなって」


 全く同じだ。だからって飲みに来るバーまで一緒じゃなくてもいいのに。


 不意に彼女の右手が伸びてくる。

 指先が太ももに触れてきゅっとつねられる。


「それで、私の連絡先を消してた更科くんはどうしてこんなところに?」


 緩やかなBGMに乗って彼女の問が揺れている。


「俺も千桜さんと同じで出張ですよ」


「そういえば何の仕事してるんだっけ?」


「しがないライターです、社畜の」


 彼女は「ふーん、いいじゃん」と呟いて再びグラスに口を付けた。興味があるのかないのかどっちなんだ。

 長く見つめるのも不自然かと思い、時計に目配せする。


「そろそろ遅いですし」


 財布からお札を数枚抜き取る。


「今日は連れて帰ってくれないんだ」


 前回の1回しかしてない・・・・のにいつも連れ帰ってるみたいな言い方はやめてほしい、人聞きの悪い。


「またいつか、向こうで会いましょう、ね?」


「いやだ〜!」


 静かなバーで迷惑にならないよう、小さく手足をばたばたする千桜さん。いちいちかわいいな。

 しかしどうしたものか。今は俺に恋人がいないから彼女と会っているが、いつかもし……。不確定な未来を憂うことに意味なんてないけれど。


「とでも言うと思った?スマホ見てみてよ」


 すんっといつもの顔に戻った彼女はコンコン、とカウンターを指で叩いて音を鳴らす。絵の具を混ぜたようなネイルが光る。


 彼女に言われるがままスマホに目を落とす。いつもと変わったところはないけど……ふと右上に見慣れたアラームのマークが。


「明日9時に目覚まし掛けておいたから、10時に駅集合で!」


「何するんですか?」


「それは来てのお楽しみということで」


 いとも簡単にデートの約束ができてしまった。

 というか明日俺に予定があったらどうするんだ。時折千桜さんはこういう強引なことをする。

 まるで未来が見えているかのように手口が鮮やかだ。


 彼女が俺とどうなりたいのか未だに掴めずにいる。そりゃそうだ、まだ2回しか会ってないんだから。

 昔からの地続きの関係を望んでいるのか、新たに友人として求めてくれているのか、理解するまでもう少し時間がかかりそうだ。


 席を立って手を振る。


「それじゃ、おやすみなさい」


「おやすみ、陽くん。会えてよかったよ」


 チリン、と鳴った扉のベルと肌にまとわりつく湿度がやけに頭に残った。

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