以上、元恋人の提供でお送りしました!

七転

第1話

 初夏にしては涼しい夜だった。


 出会いとは突然起こるもので、それが再会ならば尚更。


 では再会とは必ずしも劇的であるべきか。

 同窓会で久しぶりに会った当時仲の良かった異性と2人で抜け出してみたり、夢のような異世界で寝食を共にしたパーティメンバーを現実世界で見つけたり、昔は男だと思っていた幼馴染が美少女になって転校してきたり。

 はたまた、ベランダで酒でも飲もうかと扉を開ければ向かいのベランダには会社の後輩がいたり。


 答えは否である。

 出会いなんて、突然の再会なんてその辺に転がっているのだ、まさに俺が今体験しているこの帰りの通勤電車みたいな場所に。


「あれ、もしかして更科さらしなくんで合ってるかしら」


 吊革になんとか掴まりながら今日の疲労と戦っていたら、聞き馴染みのある声が耳朶に触れる。


 瞬間、フラッシュバックする景色。駅の改札前で確認するように別れを口にしたこと、何気ない日に一緒にスーパーへ買い物に行ったこと、まだ青かった自分が勇気を出して告白したこと。


 時間の遡及は数秒間、思い当たる……というか忘れられない名前を口にする。


「お久しぶりです、千桜……先輩」


 隣を見ると肩口に切りそろえられた茶髪、シンプルなピアス、まるで夜をそのまま持ってきたかのような真っ黒な瞳。


 千桜ちざくら しぐれ。

 彼女は俺の大学時代の1つ上の先輩で、元恋人である。付き合っていたのは彼女が卒業するまでの最後の1年間だけだったが、苦くて甘い大学生活がそこには詰まっていた。


「今こっちに住んでるんだ?」


 鈴を転がしたような綺麗な声は、この湿気た電車には似合わない気がする。


 不意に電車が揺れて彼女の身体がこちらへ迫ってくる。


 ふわっと香る懐かしい香りに思わず顔をしかめる。せっかく忘れていたはずだったのに。


「あ、ごめんね」


 眉をひそめた俺の表情を勘違いしたのか、彼女は手を合わせて謝る。


「全然大丈夫っす」


 何だこの三下みたいな語尾は。昔はどうやって話していたっけ。


 そういえばさっきの問の答えを返していなかったと思い当たる。


「俺、次の駅なんですよ」


 間もなく到着するというアナウンスに被せて言葉を吐く。明日が休日でよかった、かき回された心の中を沈めるには丁度いい。


「私はもう少し先よ」


「そうなんですね……まさかこんな所で会うとは思ってませんでした」


 扉へ近付きつつも話は続ける。どこに終着したものか。


「偶然ってあるものね。何年ぶりだろ」


「さぁ……もうわかんないですね」


 ガタンゴトン、とリズム良く刻まれた音に心臓の鼓動が追いつきそうだ。もう少し話していたい気持ちと、解放されたい気持ちがせめぎ合っている。


 澄ました顔の千桜さんはそんなこと微塵も気にしていないんだろうと、なんだか負けた気になる。


「この後時間ある?最近のこと聞かせてよ」


 なんでもないように彼女は口にする。

 「最近」だなんて。

 別れて数年、大学時代は伸ばしていたはずの彼女の綺麗な黒髪も、今は茶髪で昔と比べて短くなっていて。


 別れてから今まで一度も思い出さなかったと言えば嘘になる。しかしそれは、懐かしい記憶をゆっくりと慈しむものであって、後悔や逼迫感を覚えたが故に思い出すものではなかったのだ。


 有り体に言えば、俺の中で彼女との記憶は楽しいまま終わっている。

 止まった時計の針を敢えて今動かすべきなのか、疲れた頭では判断できなかった。


「……少しだけなら」


 口をついて出たのは肯定。そもそも俺が千桜さんの誘いを断れるわけがないのだ、昔から。


 満足そうに頷くと、彼女は俺の袖を掴むと引っ張った。


◆◇◆


 カラカラ、と音を響かせて扉を開ける。

 付き合っていた時は入りそうになかったガヤガヤとした居酒屋へと足を踏み入れる。高級なイタリアンや堅苦しいフレンチよりは、こういう場末の小さな居酒屋の方が落ち着く。


「こういうとこ来ないでしょ?千桜……さん」


 今更なんて呼べばいいのか分からず、少しまごついてしまう。


「そうでもないわよ。会社入ってからは1人で来たりするし」


 意外だ。

 千桜しぐれと言えば頭脳明晰、才色兼備、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花と名高い、それこそ高嶺の花だった……語弊がある、高嶺の花なのだ。


 それなのになぜ俺と付き合っていたのかは、ついぞわからなかった。

 わからなかったから別れたのだ。


 まぁ昔の話はいい、今は何より喉を潤すのが先だ。


「俺はビールにしますけど」


「じゃあ私も」


 軽く飲むだけ、そう思っていられたのはグラスを合わせるまでだった。


◆ ◇ ◆ ◇


「ねぇ〜〜聞いてよ陽くん!」


 呼び方が昔に戻ってるし。赤い顔に回っていない呂律が彼女のお酒の弱さを物語っている。


「何でもかんでも仕事を私に押し付けすぎなのよ、あいつら……」


 手に持ったグラスを振り回す勢いで話し出す。


「聞いてる!?」


「はいはい聞いてますって」


 このやりとりも懐かしい。あれはゼミ発表の資料作成が終わらない時だっけ。

 どうして後輩の俺が先輩の発表準備を手伝ってるんだって愚痴をこぼしたら怒られたな。


「なんで敬語なの!後輩のくせに!」


「後輩だからですって。飲み過ぎですよ、千桜さん」


「昔みたいにタメ口でいいのに〜」


 その言葉をスルーしながら、俺は箸でお通しを摘んだ。


◆◇◆


 良からぬ方向に話が逸れる前に彼女を連れ出し店を後に。お会計は彼女が見ていない隙に済ませておいた。深酒はしなかったものの、ほんのりと身体が熱を持っている。


 つくづく、涼しい夜でよかった。


「ねぇ〜〜!私払うって言ったじゃん」


「いいですって。ほら、歩けますか?」


 財布を出そうとする千桜さんの手をやんわりと押し戻した。


 駅へと向かって足を進める。歩くテンポは抑えめで。

 時刻は21時、相手が友人なら二次会も視野に入る時間だが……ここは素直に解散だな。


「久しぶりに会えてよかったです、また機会があれば」


 駅の輪郭が見え始めた頃、俺は口を開いた。

 口から煙草の煙を吐き出すように、離れた言葉は元に戻せない。

 あの頃から何も成長していない俺と変わった彼女、一度交わった線は、二度は交わることがないのだ。


 赤信号で足を止める。

 ぬるい風が頬を撫でた。初夏の湿度に混じって甘い香りが鼻を通り抜ける。


「ねぇ」


 さっきまでとは打って変わって真剣な声。揺れる脳。


「はい、どうしました?」


 隣を向くと毛先をくるくると指でもてあそぶ千桜さん。この仕草は知ってる、言いづらいことをなんとか口からこぼそうとする時の彼女だ。

 まさに俺が別れを切り出して、返事をしようとしたあの瞬間もそうで。


「私……酔っちゃってさ」


 彼女は半歩こちらへ身を寄せる。


「明日も休みだし今日はこのまま、ね?」


 頬に触れる柔らかい感触。

 信号が青になっても動かない足。


 夜を泳ぐ魚が2匹、明るいネオン街へと消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る