【第1部完結!】【パイロット版】俺こそが銀河最悪の支配者だ!

RAMネコ

プロローグ「小さな球に奪われた男」

 痛む体を横にしたら口に溜まった血が流れる。


 まだ小さい頃、牛乳が凄く苦手で、めいっぱい含んではトイレに駆け込んだっけ。うっかり同級生にぶつかって、牛乳を廊下にぶちまけてめちゃくちゃ怒られたな……今回は白くない、赤く、嫌な鉄の味、鼻血と同じ味がする。


 そりゃあ……血だしな……そりゃあ、そう。


 半分剥がれた爪が動いて痛んだ。


 血の泡をたてながら流れる鼻血。


 折れた歯が血を吸う畳の上に転がる。


 酷いな、酷いありさまだ、まったく。


 1人暮らしにしても狭いアパートの部屋で、産まれたての子猫よりも下手に立ちあがろうと踏ん張る。足が保たない。柱を背もたれに立ち、雨の中を走っているように濡れた服の感触が張り付いた。


「ひでぇじゃあねぇかよ……」


 すっかり伸びた襟をただす。


 襟を掴む腕は衰え、細枝だ。


 健康な男児の腕ではないだろう。


 アイドルより細いし間違いない。


 敷かれたままの、すっかり潰れている煎餅布団には、俺の血肉が少々、寝小便したみたいに広がっている。


 部屋は強盗に荒らされたようなありさまだ。


 強盗ならば良かった。


「ッ!」


 込み上げる怒りが抑えられない。


 何枚か爪のない拳が、石膏の壁を叩く。ザラザラとした色褪せた草色の壁紙ごと石膏が破壊されて拳の穴が開く。


 今日までの全てに怒りが起こる。


 怒り、怒り、冷めることはない。


 自慢じゃないが犯罪に手を出したのは、自転車で車道を走っていないことくらいだ。けっこう真面目に生きてたんだぜ……なんとか就職して、なんとか結婚できて、子供が産まれた。


 夢のマイホームは……かなわなかったが、それでも、貧乏な家族でもはらいっぱい食わせるだけの稼ぎは命懸けで集めた。


 大変だった。


 だが、家に帰ると、明日も頑張れた。


 妻はたぶんその生活は心底嫌だった。


 たぶんではなく、絶対に、だな。


 妻は息子に、いかに俺がダメな人間であるか、悪魔で、詐欺師であり、嘘吐きかを、教育していたらしい。家庭をおろそかにしたツケだな。気がつけば俺が、両親から引き継いだ家を追い出され、資産は全て売られて換金されていた。


 思い出も、全ては消えたわけだ。


 会社は、いつのまにか俺が不貞を働いているだとかで、職場の風紀を著しく乱すだとかで解雇だ。


 養育費、借金、全てを背負い、アルバイトでは稼ぎは低いんだから切り詰めて生活するしかない。


 酷い体になっても、嫌われていても、産まれてきた息子の血の半分は、俺のものだ。嫌われる父親は珍しくない。ならば、責任を放棄する理由にもならないだろう。


 そう……心から、勝手に思っていた。


 妻が息子を連れ去って会えなくても。


 裁判に負けて接近拒否を命じられた。


 親権も奪われて、会うことも近づくこともできないのに、金蔓としてだけ吸われる、ダニみたいな連中に怒りもわくが……わくが……。


 金が滞ってから、妻と一緒にやってきたのは、妻の再婚相手だった。借金取りも真っ青な勢いで押しかけてきて、今のざまというわけだ。


「どうして、なんて、言えねぇわな。俺の選択と見聞きの結果……」と、言う前に俺は咳をする。血飛沫が散った。


 咳が止まらない。


 何度も、むせる。


 その度に血が散った。


「……おい、おい、おいおい……」


 俺の体を支えていた柱から、背筋で滑るように、どすんと尻をついて、ズルズルと倒れる。力が入らないのに、咳だけは続いた。


 俺はそこでなんとなく察してしまった。


 俺は死につつあるのだ、ということを。


「ざまあねぇぜ……」


 こんなものが……俺の人生の終わりか。


 風前の灯のなか元妻の姿を見た気がした。


 走馬灯というには、今現在の光景だった。


 元妻がドレスや宝石で着飾っている。ここは……レストランか。高級で格式や気品がある。彼女の対面には、元妻と同じように外出用以上に着飾った男だ。


 テーブルには料理と酒が並ぶ。


 見るだけでわかる、料理人の技で生み出された味の芸術として高められた数々だ。


 俺は、料理に目を輝かせる。


 これほどの料理があるのか。


 火入れはどのタイミングなのか、ナイフが滑る肉にはとても、硬さ、ではなくて、柔らかさであらわしたくなるほどの代物だ。野菜の盛り付けやソースはまるで絵を描いているかのようだ。スープの湯気のおおさを見るには、つい、香りと味に魅せられてせっついても飲み干せるような温度管理なのだろう。


 そんな芸術品が無造作に胃袋へ落ちていく。


 元妻とその再婚相手はつまらなそうに食べながら、くつくつと暗い笑みを浮かべる。


「底無しにワルな嫁さんだな。旦那に金まわりは全部押し付けて豪遊ざんまいだ。しかも旦那は自分のガキだと思ってるんだろ? 天才的な上手い女だよ、お前は。滑稽な旦那の顔は今思い出しても笑える」


「ちゃんとあの男と結婚中に孕んだ子供よ? 法律上は托卵だろうと夫の子供。養育費の義務はしてもらわないと。その権利が私にも子供にもあるのよ。頭の悪い男を騙すほど楽な人種だもの」


「悪い女だよ、お前は」


 再婚相手がワインをあおる。


 元妻は、むさぼるように料理を食べていた。


 あぁ、そうか、俺の子供じゃなかったのか。


 男の子、だったよな?


 確かそうだったはず。


 元妻がそう言っていた、俺の子供だと思っていた他人は、元妻が浮気相手の子種で孕んだ子供だったのか。


 カッコウみたいな托卵か。


 良かったと心底から思う。


 死んでからでないと、元気なときに、我が子が托卵だったなどと知ったら、酷い言葉でなじり、俺の子供にも酷いことを言ってしまっていただろう。


 何にせよ俺は死ぬ。


 死んだあとは……。


 俺を死なせてえるものだ。


 せめて幸福であってくれ。


「女はね、優秀な遺伝子を残したいの。優しい旦那と、子供を産みたい男は別腹てね。男は2人は欲しいわ。金を貢ぐ男、子供の親になる男、これがベストね」


「じゃあ、きみは最高を得たわけだ」


「もちろん。元旦那に私は不相応なのよ。あのオタクが結婚して子供を産ませたて気持ち悪い妄想を許しただけ感謝されたいくらいだわ」


 再婚相手がワインを注ぎながら微笑む。


 それは柔らかな笑みとは断じて違った。


 邪悪で、不幸をすするダニのようだ。


「強い女なこった」


「そんな女が、貴方の愛した美女よ」


 元妻と再婚相手が楽しげなひとときを過ごしている。見ていることしかできない俺は、例え、光景が偽物であり幻想であったとしても、冷たい怒りが炎をあげていた。


 だからこそ、死にゆくことを感謝した。


 もはや俺にはどうすることもできない。


 それに俺は妻をまだ愛しているのだ。


 どうしようもない女だと知っていた。


 それでも、愛した。


 怒りを抱き愛する。


 偽りは、無いのだ。


「……ざまあないぜ……」


 真面目に生きるだけでは末路は悲惨だ。


 利用されて、吸い取られて痛みが残る。


 人気者はいつだって嘘吐きで声が大きい。


 俺も割り切って生きるべきだったかな?


 活かすことのできない人生の教訓だな。


 死にかけていても現実逃避してしまう。


 死につつあるのに生きようとしている。


 考えるだけならば、無料だ。


 もし次が許されたならどうしようかな?


 許されたなら別の人生を歩んでみたいな。


 他人を踏み躙ることを恐れない、他者を虐げて、何よりも自分の利益を最大にする……そんな特権を掴みたいもんだぜ……。


 俺の手は何かを掴んだことはなかった。


 焼けたフィルムのように光景が燃える。


 焼ける、失われる、最後のときは近い。


 そして俺は見た。


 楽しそうな二人。


 しかし、男が別れを告げる。


 男には笑みさえも浮かんだ。


 聞いた元妻の顔は凍りつく。


 信じられないと、冗談だと。


「お互い満足したろ? だからおしまい」


「あはは。面白くない冗談じゃないの?」


 元妻の手が震える。


 震えて、ナイフがディッシュを刻む。


「は? ふざけたことをいうんじゃねぇよおばさん。あんたみたいな老け顔のけばい女と今まで遊んでやった慈悲深い俺に、なに? 冗談なわけねぇだろうが」


 元妻と再婚したはずの男は、めんどくさそうに肘をつきながら話を続ける。


「お前の娘と遊べると聞いたから、親子でおもしろそうだと思ったから可愛がってやったのに、どれだけ殴っても遊ばせてくれねぇしな。ババアに本気になるわけねぇだろうが、身の程知らずかよ」


「ふ、ふ、ふざけないで!」


「なに? 訴える? いいぜ。あんたが離婚したときに紹介した腕利きの弁護士は俺の友達だ。もう1回離婚を手続きしてもらおうじゃあないか」


「あ、あんたの子供はどうするの!? 私達……結婚するじゃない! だって、これから……」


「は? しらねぇよ。おろせば? 女はバカだな。ガキがいれば浮気女でも結婚できるなんて世の中の都合が良すぎるだろ? 正義だよな、俺、くそ女に天誅してやるんだから」


「私はあなたの為に夫を捨てたのよ!?」


「ヒステリックに叫ぶなよ、うるさいなぁ。俺のため? 自分のためだろ? 性欲でも金でも楽したい専業主婦の願望でもいいが、自分のためだろ。残念、ゲームオーバーでした」


「待ってよ!」


 再婚男が料理を残してレストランを出る。その去り際の背中には、足取りには、微塵も迷いはない。


 元妻は……捨てられたのだ。


 惨めに……捨てられたのだ。


「あなた……あなた……こんなはずじゃ……こんなはずじゃなかったのに……幸せを望むことは罪なの? 何が間違っていたの、助けてよ、あなた……」


 元妻を走馬灯したのが俺の最後の光景だ。

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