ep.19 秘密塗れ

 その日の昼下がり。褐色肌の修道女がひとり古塔のエレベータに揺られていた。

 どこか思い詰めた表情で電光版を眺めていた彼女は、途中の階で籠が止まるのを見る。鼻腔の奥から息を漏らし、努めて不機嫌そうな顔を作った。

 籠の中へ入ってきたのは彼女と同じ背丈の青年である。彼は「やぁ」と軽く会釈してエレベータの電光盤を一瞥し、同乗者とは真向かいの壁に背を預けた。

「調子はどうだい? つい最近まで寝込んでたって兄さんから聞いたけど」

「良いように見えるか?」

「いいや」

 白い歯を見せながら、スーツの美青年は淑女から視線を逸らす。

「まるで人殺しのような目つきだ」

 彼がそう揶揄った瞬間――、密かに濁る淑女の瞳。動き出していたエレベータは何故かゆるゆると失速を始める。

 だが秘密結社の若幹部たる青年は何ら驚く気配を見せなかった。淑女もまた平然とした顔をしている。――突如停止したエレベータの中でしばし無言の時が流れた。

「さっき円卓会議の招集通知が2通来てね。朝にレムニスカの処刑があったばっかりだってのに……今日はどうも騒がしい」

「片方は俺が出した。hkrを解任させる議案でな。師の脱法行為を裏で幇助していた責任を追求するものだ」

「もう片方は姉さんからの召集だ。内容は君を解任させる議案だった。経歴詐称の責任が問われている。何でも君の正体が人の権利を持たぬゴーレムであるということらしい」

 栗髪の美青年は両肩をすくめてみせる。

「結婚もパァだね」

「零士郎にはずっと前から見抜かれていた」

「兄さんがそう言ったの?」

「いいや、直接は。きっと俺に気を遣っていたんだろう」

「そう。ま、ゴーレムが人の幸せを望むだなんて最初から烏滸がましい話だったんだよ」

 褐色肌の淑女は硬い目つきを崩さずに口元だけで笑った。

「だが人らしくあることが俺の使命だ。気まぐれの選択じゃない」

「大人しくお縄につく気はないわけ?」

「そうだな。話の転び次第では、お前もぶっ潰すことになる」

「止めはしないさ、あくまで兄さんのためだけど」

「奴ならきっと誤解を解ける」

「楽観的なもんだ。今回ばかりは兄さんも殴られるだけじゃ済まないぞ」

 シラユキは眉を顰めて白い歯を見せる。密室で彼女と向き合い、彼は顎を高く上げた。

「僕がおっちゃんから与えられた使命は兄さんを導くことだ。それが絶対だ。姉さんが兄さんを始末してでも人魚に近づこうというのなら、姉さんには死んでもらうしかない」

「主人の弟子を見殺しにするのか?」

「僕はゴーレムだからね、与えられた任務を全うするだけだよ。君と同じだ」

 眠たげな目つきの青年から、淑女は長い黒髪を揺らして顔を背ける。

「……邪魔をするつもりはないんだな?」

「少なくとも姉さんを殺すところまでは黙って見届けてやるさ。だがそのあとは僕と一緒にいったん外についてきてもらう。君がふらふらしてちゃ、兄さんの弱みになるからね」

「足手まといになるつもりはない」

「なるんだよ」

 唇をきつく絞って自分を睨む乙女を、シラユキは鼻笑いで軽くあしらった。彼女が唇の内側を噛みながら視線を上げるとエレベータは再び動き出す。

 その間、美青年は一切顔色を変えなかった。相変わらず眠たげな顔をしたままだ。のらりくらりとした彼の態度を受けて褐色肌の淑女は舌打ちし、エレベータの扉まで歩み寄った。――程なくして扉は開き、密室の緊迫は解かれる。

「じゃあね。朗報を待ってるぜ。人魚姫」

 足早に外へ降りていく彼女の背を、細身の青年は目を細めて眺めていた。

「……」

 エレベータは扉を閉めて再び動き出したが、ひとり籠の中に残されたシラユキは依然として壁に背を預けたまま。新たな乗客のために下の階へ向かい始めた籠の中で、青年は腕組みしながらじっと扉を睨んでいた。

 やがてエレベータは地上階に到着する。――開くホームドアの前に立っていたのは、猫の耳を持つふたりの美少女だった。

「あれ?」「キミは」

 思わぬ出会いに互いを見つめ合う双子姉妹。シラユキはその華奢な四肢にこびりついた返り血から目線を転がし――、彼女らの背後に見えた光景に目尻を引き絞る。

 真っ二つに破壊された什器、血に濡れたカーペットに転がる人体の破片――。虐殺の痕跡が残るエントランスは、彼女らが籠に乗り込んでくると同時に扉が閉まって見えなくなった。籠の中に流れ込んだ血の香りに鼻筋をなぞりながら、彼は顔を傾ける。

「……ウチらの邪魔をしにきたってわけ?」

「邪魔? 君たちみたいな下っ端なんて眼中にないよ」

「下っ端ァ!?」「リナ、乗せられないで」

 珊瑚色の髪をした美少女は立て耳を広げて歯軋りするも、折れ耳をした片割れは至って冷静だ。無表情を保ったまま、静かな声色を青年のゴーレムに向ける。

「余計な気は起こさないほうがいいよ」

「それはこっちの台詞だ。秘密結社の本拠地で暴れるなんて大胆なもんだ」

「ウチらには怖いものなんてないもんね」

 真顔を保つ青年に揃ってほくそ笑み、血まみれの美少女たちはその両脇へと身を寄せた。そして白く艶やかな手足を背の高い彼の胸背に優しくまとわりつける。

「ボクらの邪魔をしないなら悪いようにはしない」

「ウチらと一緒に行こうよ。使命なんて先送りにしてさ」

 シラユキは密室のなかで不快げに鼻を鳴らしたのち、死の香りがする柔い四肢を振り払った。

「遠慮しておくよ。昔から水が嫌いでね。君らと一緒には泳げそうもない」

 ふたりの人魚は緊迫した面持ちで彼の一挙手一投足を見つめている。だが人の心を知らないゴーレムの娘たちには、人を真似て生きる者の本心もまた読み取れはしなかった。

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