ep.15 下っぱメイドの秘密
彼らが古代劇場を後にして数時間後、秘密結社の古塔にて――。
日付が変わる直前の執務室で修道服のギャルがペンを片手に机へ向かっていた。
「あーあ、安請け合いなんてしなかったらよかったわ」
彼女は窮屈な服で凝り固まった背筋を大きく伸ばすと、そのまま革張りの回転椅子に大きく身体を倒す。コンシーラーの浮いた眉間を抑え、脱力すること数秒ほど。
「ん?」
あるとき妙な寒気を感じて彼女は2色の瞳を執務室に泳がせる。――机に置かれていたペンデュラムのオブジェが揺れていた。アルミのチェーンに吊るされた練金鉱石は重力に反してふわりと持ち上がり、磁力に突き上げられるようにしてぴんと天井を指す。
「……何?」
修道服の美女は凛々しい眉を顰めて椅子から立ち上がった。散らかした机をそのままにして石室のドアを慌ただしく押し開ける。フラットシューズが向かうのは振り子が指し示す方向、塔最上階の議場である。
未だ焦げ臭いエレベータホールには立ち入り禁止の立て看板があった。背高の美女は躊躇いなくその脇を通り過ぎ、回廊をぐるりと最奥まで突き進む。ブロンズの西洋扉は外れかけのところを無理やり固定されており、半開きとなっていた。
扉の隙間から漏れ出ている異様な冷気。――二枚扉の隙間を潜った修道女は、その根源を目にすることとなる。
壁掛けのガスランプはことごとく凍結し、部屋を照らすのは月明かりだけ。壊れた円卓には霜が降り、黒焦げのカーテンも風にめくられた状態で氷漬けとなって固まっている。部屋中を厚く覆う氷結晶には満点の星空が映り込み、摩天楼の中心でありながら人類未踏の洞穴のような光景を生み出していた。
――そして割れた窓の前には魔女の巨影がひとつ。月冴ゆる暮秋の夜空に不気味な影を落とすのは、ローブを着た赤毛の中年女性である。
「……なんだ、あんたかい」
太った魔女は部屋に入ってきた人影を見て、だらしなくへの字に垂れ下がった唇を釣り上げた。――修道女は彼女に構わず、無言で薄暗い氷窟に目を凝らす。
氷の渦を辿って視線を転がせば、行きつくのは議場の中心だ。焼け焦げた円卓の内陣でうつ伏せに倒れた人影があった。――ふわりとした体つきをした銀髪の給仕人。議場に巨大な渦を成す氷海は、床に横たわったメイドの腹部から生じている。
「……脱走はもう少しおとなしくやるものじゃないのかしら」
「ちょっと細工をしたら静かに出るつもりだったんだがね、邪魔をされちまった」
幹部ふたりは氷の洞窟へ視線をやった。魔女の向く先を追ったオッドアイは、そこら中に転がっている氷像の破片がどうやら猛獣の身体を象っていたらしいことに気づく。
「……野生のアイスゴーレムが出現した?」
「そう。邪魔をしてきたその娘を攻撃したら現れた」
「アイスゴーレムを使役していたってこと? そんなことってあり得るの?」
「こいつらに関しては未だによく分かっていないことだらけだからね。いずれにせよ、事情を悠長に確かめている余裕はなかった」
深くため息をついて大窓の桟に巨体をもたれかける魔女。メイドの側に爆薬らしき筒が転がっているのを目敏く見つけ、厚化粧の修道女は小さく両肩を回した。
「――会社を爆破しようとしたってわけ」
「ま、そういうことだ。結果的に失敗しちまったが」
「人魚たちに魂を売ったのね」
「終わる世界を見限っただけさ」
中年の婦人は皺を寄せて笑い、星屑の海へ肥えた体を向ける。
「あんた、これからどうするんだい。この後に及んで性懲りも無く人魚を追うのか」
「そうね。犯罪を取り締まるのがあたしたちの仕事だから」
「あれはもう取り返しがつかないよ。単純な犯罪の域を超えている。錬金術師に言わしめれば、
「自分の心配を先にしたらどう? もうおばさんも追われる身よ」
「……おっと、そうだった。すっかり忘れていたよ」
魔女が頬に皺を寄せたところで、窓の外にゴーレムの飛車が現れた。カーテンの隙間を通って婦人が中に乗り込むと、鉄籠は澄んだ星空に向かって力強く発進する。
オッドアイの修道女は黙ってそれを見送ると、砕けた円卓の影へ再び視線を注いだ。
――給仕人の骸は焼け焦げた円卓の側に倒れ伏したままだ。美女は凛々しい眉の溝をひときわ深くすると、シューズを鳴らしてくるりと踵を返す。
彼女が議場を去って、また静寂に戻る大広間――。
あるとき再びそこへ足を踏み入れるものがあった。凍りついたカーテンの波から姿を表したのは黒猫である。猫は首の鈴を鳴らして骸に近寄ると、黄色い目をまん丸にさせてその顔を覗き込んだ。
――骸の身体が脈打ち、腹の傷口から飛び出ていた氷が割れる。彼女の青い瞳が猫の顔を覗いたその瞬間、ちょうどポケットの中に入っていた携帯電話が鳴り出した。
「……」
メイドは身体を震わせ、床を覆う氷に手をついて身体を持ち上げる。しかし長くは身体を支えきれず、彼女はテーブルにもたれかかる形で尻餅をついた。自分を見つめる黒猫に目をやりながら、携帯電話をポケットからそっと取り出す。
『もしもし? ごめん、こんな時間に』
「ううん、会社に……いるよー。休みのうちに準備しておこうと思って出てきてたの」
『えっ。こんな時間まで? 悪いね』
「いいの。コッコ、働くのが楽しくなってきたところだったから」
猫に視線を置いたまま、血まみれの手で携帯を握りしめて彼女は笑った。
『ちょっと霊薬のことで知りたいことがあってさ』
「コッコの知ってることだったらいいんだけど」
『エンパシルって名前の薬、聞いたことないかな』
しばし固まったのち、コッコはゆっくり目を開く。
「ゴーレムの蘇生に使われる薬のひとつだねー。西区の古い薬屋で前に見たっけ」
『それを聞きたかった。過去に事故を起こして新しく作られなくなったらしくて、手に入るところを探してたんだ。ありがとう、助かった。そっちを当たってみる』
「急ぎ? コッコが買ってこなくても大丈夫?」
『うん、いま下町にいるから大丈夫。情報ありがとう。じゃ、電話切るね』
「はーい。……またね。先生」
電話を切ると、彼女はだらんと腕を床に落とした。凍りついた血溜まりが携帯電話の角で薄く削れる。地べたに尻餅をついたメイドは机に背を預け、ばらされた爆弾を足先に寄せて、腹部の切創を押さえながら円卓の残骸をじっと眺めた。
「カルネコ……これからはちゃんと自分で餌を取ってくるんだよ」
彼女の呟きに黒猫は何も答えない。身体をよじって円卓の残骸に飛び乗るのみである。猫はちょうど彼女の頭上あたりで腰を落として、そっと机の下を覗き込む。
「またひもじい思いして死んじゃわないようにね」
『ニー』
コッコは手を伸ばして黒猫の顎を優しく撫でる。その手はすぐに力尽きて地面に転がり落ちていき、それを見て猫はもういちど悲しげに鳴いた。そして、しばらく――。小さな獣は欠けた円卓をそっと飛び降りて、摩天楼の上に輝く星雲へと溶け込んでいく。
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