第四章 忌み火占い➀

 兄の存在は聞かされていた。


 だが、自分とはかけ離れた身柄の人物で、遠い聞人としての認識が関の山だった。

そんな兄が姉の代りとしてやってきた。


 入れ替わるように、姉はジュネクの前から消えてしまう。


 母は当たり前のように受け入れ、姉よりも愛情を注ぐようになる。元々姉に対して、愛情を示していたかと言われると、自分ほどではないと思っていたのだが、母は顕著に慈しんだ。


「私は私なりに、一族を守るわ」


 姉の最期の言葉がそれだった。


 母は姉の姿を集落人に吝嗇さを発揮したが、兄については真逆の対応をした。


 やがてサウエは集落の首長として認められた。


 母が宮廷で得た学識を子どもに授け、得た知識を発揮出来るだろう、誰もがそう考えたからだ。実際サウエはイルㇽの民を、言葉で良いものへと変えていった。


「あなたは御先の申し子〝ラ=オムジュ=サット〟、高潔な神威を持つ戦士なのよ」

一方ジュネクは母にそんなことを言われて育った。


 紅の神威は集落随一を誇る強さを持ち、鎮焔雫で喉を潤さずとも強い身体があった。


 紅焔の夢、預言者としての資質もあった。


 母とおなじ夢を視たときは、その擦り合わせをするのが何よりも楽しみだった。夢は預言よりも、異国の土地を散策しているような、曖昧なものが多かったからだ。


 だが、母は違った。


 やがて毎晩魘されるようになった。


 訊ねてみたが、首を横に振るばかりでこたえてはくれない。ただ一言だけ、身体がばらばらにされて痛いのよ、と軋んだ声でつぶやくだけだった。


 後に窪手衆となったシアハにも相談していたが、前例がないと言った。


 ジュネクはイルㇽの民にも見えないものが視えるようになっていった。金霞の鳥や光る粒のようなものが、舞っているのが視えるのだ。


「————悍ましい、欠けた魂の子」


 気付けばジュネクは息ができなくなっていた。


 母に首を絞められているのだ。

 ジュネクは首をかきむしり、己の首に掛かる手を必死に剥がそうともがいた。日に日におかしくなっていった母だったが、このときばかりはジュネクも恐怖が勝る。


 母が自分を見る目が、恐ろしかった。こんな憎悪の感情をぶつけられたことはない。


(母はやさしい人だった……)


 微笑みかけるカリルゼッナの顔が頭をよぎる。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 ああ、これは夢なのだ。


 過去の繰り返し。再現。


(あんな力がなければ……)


 カリルゼッナが縋るように表情を歪めた。その手には小ぶりの剣が握られている。集落では希少な鉄製の剣が。


 ジュネクは叫びたかった。しかし、硬直した身体は声も動きも奪っていった。


 母の胸から夥しいほど血が流れ出ていて、見ていられずに目を伏せた。


(……ぼくはまた、見殺しにしてしまったのか)


 夢だとわかっていながら、なにもしない自分に嫌悪する。


 頬に暖かな温もりが添えられて、ジュネクは顔を上げた。そして、目を溢れんばかりに見開いた。


(なぜ、そんなに晴れやかに笑うんだ……)


 泣いているのに、その眼差しは穏やかだった。記憶と違う。


「————生き続けて、理を繋ぐのよ」


 穏やかに笑う母が、いた。


 朦朧とする意識のなかで、触れたことのある温もりを感じた。


「————かあ、さん……?」



 冷え冷えとして、湿度のある薄暗い闇。かび臭いにおいが充満した酷い空間。

手足を鎖で繋がれ、宙づりに拘束されているジュネクの頬に、誰かが触れている。


 引き裂かれる痛みに覚醒を促されて、目を開ける。焦点が合わずにいた視界がゆっくりと着実に現実を投影する。


 眼前に妙齢の女人が立っている。煌びやかな衣装を纏う出で立ちからして、高貴な身分の女人だとわかった。


「だれ、だ……」


 ジュネクは掠れた声で訊ねた。窪手衆の里でサウエの襲撃にあってから、吹き矢の毒で麻痺して無抵抗にさせられてから、どこかへ連れて行かれた。殺されるのかと思いきや、兵から暴力を受け、鎖に繋がれた。憂さ晴らしにちょうどいい賤民とみなされたのだ。


 だから、この場に似つかわしくない女人がいることも、憐憫を含めた瞳で見詰められることも疑問でならない。


「副皇の指示を受けた土螢の頭が、幣巓城の地下牢へイルㇽ人を幽閉したとうかがって来ました。この城は神アマラスハルの加護のもと、神威を用いることが出来ぬ唯一の場でございますから、神威を封じるのに適しています」


 女人は問いにはこたえず、言葉を漏らす。そして、少し躊躇って口を開く。


「あなたは……カリルゼッナに似ていますね……」


 ジュネクは驚いて、まじまじと女人を見返した。


「母を、知っているのか」


「はい。彼女に命を救われ、妃となるため共に励んだ仲でございます」


 女人の話しを聞いて、ジュネクは驚きに震える。


「ではあなたが、ムレイ殿なのか……」


 今度はムレイが驚きの色を滲ませた。


「やはり、あなたはカリルゼッナの子なのですね」


 ぱっと顔を輝かせた祝皇妃は、さらに言葉を重ねる。


「カリルゼッナは元気にしているかしら」


 その無邪気な問いに、ジュネクは胸が締め付けられる。


「母は、とうの昔に、死んだ」


 目の前の妃の瞳が絶望の色に染まるのを間近で感じたが、ジュネクは厳しい視線を向けて追求する。


「祝皇妃であるあなたが、こんな場に来てはいけない。ぼくは罪人として拘束されている身です。いいですか、ぼくは罪人です」


「心得ております」


「いいや、あなたはわかっていない。イルㇽ人はあなた方を憎んでいる。憎悪を向ける都合の良い対象が目の前にいるんです。ぼくらがあなたに危害を加えない保証はない」


 ジュネクは苛立たしげに唸ると、ムレイは顔をくしゃくしゃに歪める。まるで、今にも泣き出しそうに。


「そうなったとしたら、それまでです。私に罰が下ったのでしょう」


 ムレイの悲鳴に気付いて、ジュネクは唾を飲み込んだ。彼女は罰を望んでいる。渇望している。


「あなたは、なにがしたいんだ……」


 こんな冷たい牢獄へ来て、制裁を下す立場にある者が逆に制裁を願立てする。


「————なにがしたかったのでしょうね。ただ、いてもたってもいられず、あなたの元まで来てしまった。あえて選ぶとするなら、感情の赴くままに、でしょうか」


「面倒な人だ。母との印影をその子に求め、憎まれ糾弾されれば心が安まるとでも思っている。幸運だったな、囚人がカリルゼッナの息子で」


 ジュネクは不満を吐き捨てる。だが、耐え忍び自戒に翻弄された妃を見て、気持ちの整理がついた。


「そうですね。……本当に、私は愚かな人間です」


「だが、あの人の子だから伝えられる」


 歯を食いしばり譫言のように言葉を発する妃に、ジュネクは言葉を継いだ。


「ぼくはあなたについて何も知らないし、知るつもりもない。それでも母は、あなたのことを親友と言った。その言葉がすべてだと、ぼくは思う」


 ムレイは刹那息を止め、崩れ落ちる。再開した呼吸から転がるように涙が溢れた。熱くなった胸と溢れる涙に顔を覆う。


(————その言葉が欲しかった)


 カリルゼッナは何処までも勝手で。

 勝手なのはムレイもおなじだった。


 ムレイは氷獄で泣き続けた。


 どれくらいの時が経っただろう。やがてムレイは立ち上がり、もう一度ジュネクと向き合った。


「あなたをここから出します」


 ジュネクが反論するより先に、ムレイの手が動いていた。


「なぜあなたが鍵を持っている」


 拘束具が外れた拍子に、ジュネクは膝から崩れ落ちる。


「城全体の建物の鍵の予備は、祝皇が管理しているのです。自由に行き来出来る皇妃が持っていてもおかしくはありません。————立てますか?」


「いいのか」


「私はあなたに、託したいものがある」


 思ったより強かな妃だとジュネクは呻いた。


「今更疑問だけど、牢番は?」


「私が地下牢へ訪れたときにはすでに牢番が慌てて外の様子を見に行っていました。侵入者だどうとかおっしゃっていましたが、それを知るよりも好機を見過ごせなかったので、隙を突いて侵入させていただきました。……急ぎましょう」


 ジュネクはムレイに手を引かれるまま地下牢から抜け出す。どうやら宵の刻らしく、周囲は闇に包まれていた。地下牢へ通じる門番が一人だけ佇んでいたので背後から手刀で気絶させ、護身用にと直刀を拝借させてもらった。


「集落へ戻ってください。副皇は悪神の末裔の一族を弾圧するためにあなた方の集落へ兵を差し向けています。あなたなら、報せに間に合いますね?」


「弾圧?」


 ジュネクが眉をひそめるのと、殺気を知覚したのは同時だった。本能的に跳躍し、皇妃を押し退ける。夜闇から飛苦無が飛んで来るのを、二、三と腕を振って直刀で跳ね返す。


「壁側へ移動してください」


 ジュネクは死角を避け、前衛に集中するためにムレイを誘導する。


 黒い外套の討手が四人躍り出た。


 ジュネクは三歩踏み込み、一人目の脇腹を斬り付け、手首を返して二人目に突きを入れる。防がれた。がら空きになった左側から、討手が横なぎに直刀を振り下ろす。それをしゃがんで躱し、討手の脚を払う。


 視界の外側から矢が飛んできた。避けきれず、ジュネクの左腕を掠めた。斬られた箇所がじんと痛む。


 相変わらず、えげつない戦法を好むものだ。避ければムレイに当たる。ジュネクは高い塀からこちらを狙う討手を睨み付けた。


 すると、塀にいた討手が突如悲鳴を上げて落下した。いや、別方向から矢が飛んできて、討手に当たった。


 ついで雨のごとくジュネクの目の前にいた討手にも命中し、次々と倒れていった。


「こちらです!」


 ジュネクはムレイを引っ張り、闇夜を裂く声主のもとへ一直線に駆け抜ける。


「ジュネクさま、ご無事で何よりです」


「やっぱりあんただったか、ナイニャル」


「お久しゅうございます」


 加勢してくれたのは、オノファト皇子の随身だった。おそらく、外で騒ぎを起こしていたのも、彼だろう。一礼する彼を見て複雑な心情がよぎったが、さっと表情を引き締めた。


「オノファトさまより、ジュネクさまをお救いするよう言付かっていたのですが……ムレイ祝皇妃に先を越されてしまっていたようで」


 ナイニャルの視線に、ムレイは動揺した。


「勇敢なお妃さまじゃないか」


 ジュネクは皇子の随身に洒落のめす。


 ナイニャルは深く追求せず、ため息を吐くだけに留めた。


「承知つかまつりました。————オノファトさまがお待ちです、行きましょう」


 ジュネクは頷いて、かつて武術を仕込んでくれた師のあとを追うのだった。


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