第17話「朝カレーを決めて」
その日も、陽だまりの厨房は静かに気持ちよく始まった。
まだ常連たちがまばらな早朝の時間帯。
開店直後、扉の鈴が小さく鳴ると、ラミスは反射的に顔を上げた。
「おはようございます」
しっかりと挨拶ができるようになってきた彼女は、この生活や世界にどうやら生きる希望を見出し始めているようだ。
朝、そこに姿を現したのは、白銀の髪に白いスカートを揺らす、一人の女性だった。
その背筋は凛と伸び、瞳には王族特有の光が宿っていた。
「いらっしゃいー!…今日もカレーかな」
カウンターにいた絵留が小声で呟く。
本人に聞こえていないつもりだったが――
「聞こえているわよ?もちろんよ」
「ですよねー!」
彼女は口元に笑みを浮かべると、ゆっくりとカウンター席に腰掛けた。
「チキンカレー。激辛でお願いします。ラミスちゃん、あの……例の“おまけ”も、お願いね」
「かしこまりこした。店主、激辛朝カレーを一皿だ。」
ラミスは背筋を正し、不釣り合いな敬語で返事し、すぐに厨房へと駆けていった。
この女性――王女エルヴィーナ。王子ピアウズの母にして、元王妃。
長らく表舞台から姿を消していたが、今では「陽だまりの激辛常連」として、ひそかにその名を刻んでいる。
それは、数週間前のことだった。
一度目の来店は、ピアウズのあとを追っての“王都脱出”だった。
衛兵を撒き、身分を隠し、ただの物見遊山としてやってきた陽だまり。
その時食べたのが、あのシャケの皮定食だった。
「……美味い……」
思わず声が漏れるほどの焼き加減、炊き立ての米、味噌汁の香り。
だが、彼女の心をさらに動かしたのは――その隣の席から香ってきた、スパイスの暴風だった。
「これ……何の匂い?」
その正体を、2度目の来店で彼女に伝えたのが、当時厨房でまかないを食べていたラミスだった。
「えっと、チキンカレーだ。です。辛さ選べるのだが……あの時のは“店主特製ジゴク”でした」
その瞬間、エルヴィーナの目が輝いた。
「それを、私に。今すぐ」
以降、彼女は毎週のように通い続けている。
白いスカートをなびかせながら。
「……なぜカレーなのに、いつも白を?」
とある日、ラミスが勇気を出して尋ねたことがあった。
「白は、どんな染みも一番目立つ。つまり、背負っているものを一番浮かび上がらせる色なの。私には、それが必要なのよ。……火のようなスパイスに、私の心も燃やされるようでね」
冗談めかしてはいたが、その奥にある想いに、ラミスは何も言えなかった。この店はどうして奇妙なこだわりを持つものばかりが集まるのか。
さて、この日のカレーも絶品だった。
焼き色のついたチキンがゴロリと入り、濃いブラウンのルゥから立ち昇るのは、嗅覚を刺すような鋭い香辛料。
店主特製の“追加スパイスオイル”を一筋たらせば、火を通さずとも火が点いたような辛さになる。
「……いただきます」
エルヴィーナはスプーンを手に取り、何の躊躇もなく口に運ぶ。
そして――
「……っ……はあぁあ!!」
魂が飛ぶような表情で、恍惚と溶ける。
口元にはうっすら汗が浮かび、頬は火照っている。
しかし、スカートは白く、汚れひとつない。
「これよ……これなのよ、ラミスちゃん。私が求めていた“朝の目覚め”は。そしておまけのラッキョー。これがまたたまらないっ」
「ソレハヨカッタデスネー」
店内に少しだけ香辛料の香りが強まった。
朝の王都に、誰にも知られず、一人の激辛の女王が、勝利の朝を迎えていた。
閉店。
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