第2話「シャケの皮ってマジうまいよね」

 王都の城で、執事のバウアーと料理長のアンナの若い二人が頭を抱えていた。


「もう一度言うよ。僕はシャケの皮が食べたい。いや、陽だまりという庶民の店で食べられるというシャケの定食が食べたいんだ。」


 自室で優雅に紅茶を飲みながら、金髪の少年は力強く目を輝かせた。彼こそ王都の王子である、ピアウズその人である。若干15歳でありながら、政治学や帝王学のみならず多種多様な才能を持つ天才と言われている。


「王子…。焼き鮭でしたら城でも作れますし…」


 と、アンナは言うがピアウズは首を横に振る。


「衛士達の噂は耳に入っている。外壁の外にいるダークエルフの作る"鮭定食皮トッピングあり"は、皮のそれ1枚で飯3杯いけると。僕は王子として産まれ15年。未だ外壁の外へは行かせてもらえていない。食べ物も毒味の済んだ冷えたものばかり。わかるね?バウアー。」


「分かりません!」


「僕はね、好奇心という人間の性に忠実で生きていくんだ。死んだお母様が言ったことだよ。知りたいことは妥協するな、と。本と教師の知識ばかりで、己が身で体験したことは未だない。それこそ外にいる民の方が体験では上だろう。」


「ですが、もしバレたら国王様に…」


「バウアー、父上のお怒りが怖くて何が王子か。いずれ国を背負って立つ男がそんな情けない者でいいはずがないだろう。それに、君たちも僕より5つ上なだけじゃないか。若気の至りを3人共犯で存分に楽しもうと思わないのかい?」


「「思いません」」


「よし、話はまとまったな。では明日早朝。日の出前に城を抜け出す。ローブの準備を忘れるな?それと、父上に気取られるなよ?」


 その夜、ピアウズは日記をしたためていた。


「明日、いよいよ僕は産まれて初めて王都を抜け出す。そう、シャケの皮を食べるためだけに。きっとここから僕の人生という冒険が始まるのだと思う。天から僕を見守る母上に、いずれ思い出話として聞かせてあげるために。」


 翌朝、日が昇ると同時に3人は王都の門を抜け出した。門番にはバウアーが根回しをして金を掴ませたため、素通りできた。


「おお、王都の周りにあった森はこんなにも大きいのか!いつも城の上から見ていたから、近くで見るとすごいなあ!あ!?あれは蝶か!?標本でしか見たことがない!生きている!生きているんだ!」


 興奮するピアウズの手をなんとか引きながら、グリフラ村の近くにある陽だまりへとやってきた。すでに何人か並んでおり、開店を待っている様子。


「おお、これが噂の店か。外はレンガ製で窓から見える室内は…木造か。シンプルながら、古臭くはない。しっかり手入れが行き届いている証拠だな。」


「王子、正体がバレれば何に巻き込まれるかわかりません。身のためにも決して気づかれないように。」


「うむ、気をつけよう。」


 店が開いたようで、ダークエルフの店主と幼い魔族のハーフと思わしき少女が出迎えた。店内に入ると、皆急いでメニュー表を見たり、すぐに注文したりしている。3人は急ぐこともないため、じっくりメニューを見ることにした。


「おお…ダークエルフは初めて見たな…。さてさて、あった。鮭の定食の"皮トッピングあり"だ。おい、ここは私が持つから好きなもの…を…」


 悠長とメニューを見ている間に、入店と同時にオーダーした物が小さな給仕によって運ばれている。どうやら頼もうとしていた鮭の定食のようだ。それは横のテーブル席に座る、どこか気品のある風来坊のような男に配られた。皮目はちりちりと音を立て、香ばしい香りが漂ってくる。


「「「鮭定食の皮トッピングあり、で」」」


 給仕の少女が少し驚いたように目を丸くする。


「三つ、同じ定食??」


「できるかい?」


「少しお時間いただきますが、大丈夫か?」


「もちろんだとも!」


 敬語がぎこちない少女はとぺこりとお辞儀をし、奥へと戻っていった。その様子を、横の席の風来坊のような男がちらりと見た。褐色の肌に銀の髪。真っ赤な縁のメガネと、地味な旅装を身にまといながらも、所作が妙に洗練されている。


「おいしそうだね」と、目の合ったピアウズがポツリと漏らす。


「これはね、城のご馳走とは違う種類の贅沢なんだよ」と、男が静かに言った。


「おや? あなたも城の料理をご存じで?」


 男はにやりと笑っただけで、それ以上は何も言わなかった。


 そのとき、厨房の奥からパチパチと音が聞こえてきた。火の上で焼かれるシャケの皮が、脂を弾いているのだ。


「あの音…!きっと鮭の皮が弾ける音だ!」


 ピアウズの瞳がキラキラと輝いていた。


 その数分後、ついに三つの定食が運ばれてきた。大きめの白皿の中央に、パリッと焼かれたシャケ。その表面は紅色に輝き、皮の端には絶妙な焦げ目。隣には手加減のない山盛りのライス、そしてミソスープと葉野菜の漬物。追加でトッピングをお願いした鮭の皮は3枚、脂の艶を放っている。


「では、いくぞ?」


 ピアウズは一口、皮を箸で割き──


 パリッ!じゅわ…


「……ッ!」


 本来毒味として、先に食べなければならないはずのバウアーとアンナが固唾をのんで見守る中、ピアウズは目を閉じ、しばらく動かなかった。


「……これは……国宝だ……!」


 その表情は、初恋のようにとろけていた。


 その様子を見ていたバウアーは箸を手に、恐る恐るシャケの皮に齧りついた。パリッと音がして、じわりと脂が舌に広がる。


「え……うま……。いや、なんだこれ……普段食べることができるはずの鮭の皮だぞ……?」


 その横で、アンナも目を細めながら静かに一口。


「……火加減、完璧。香ばしさと脂の残し方、プロの仕事ね。」


「おいアンナ、これ本当に“皮”か?ただのオマケじゃなかったのか、今まで……」


「そう思ってた。けどこれ、メインだわ。皮が主役。中の身が“付け合せ”に感じるくらい。」


 バウアーは無言で白飯を口に運び、咀嚼してから目を閉じた。


「中身も柔らかく塩気と鮭の旨みが……ライスが……止まらん……」


 ピアウズが喜びのあまり席で軽く揺れている。


「皮だけで飯3杯の噂を流した者の気持ち、わかったね…」


「これは仕方ないです…」


 3人はすぐに黙って、シャケの皮を口に運んだ。遠く離れたはずの海と清流の風が、確かにバランスよく彼らの舌にも吹き込んでいた。


「シェフを」


 閉店間際にシェフのダークエルフがやってきた。が、どうやら話を聞くと違う世界からやってきた人間だというのだ。おそらくダークエルフなりのジョークなのだと三人は思ったので受け流した。


「あははっ!!シャケの皮ってマジうまいよね!」


『だからね』:宮城訛りで"同意する"という意味で使われる。


おそらくダークエルフの訛りなのだと三人は思ったので受け流した。


「とても、本当にとても美味しかった。時間を作ってまた食べにくるよ。」


「それはよかった。ありあとーっした♪」


その屈託のない、まるで夏に吹く風のような笑顔に、ピアウズとバウアーの心臓は高鳴った。


「っ!?」


ピアウズはシャケの皮だけでなく、また別の恋に落ちたのだった。


閉店。

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