見えない壁
あちら側からは誰も来られないとは、一体どういうことだろうか。
ティグは可能性を検討してみるが、思い当たらない。
「アイリ―…君は…どれくらいの範囲で動けるんだ?」
「まあ、この場所が見える範囲だな。」
”君”と言う時に、本当は”君たち”だったのだということを感じ、ティグは密かに胸を痛めた。
ほとんど反射的だったとは言え、深く考えもせずに魔物を倒してしまった。
これから、魔物と人間、獣人の仲を取り持とうとしている者がすることではない。
魔王がティグのことをそれほど責めなかったのは、魔王自身がアイリ―の発言に衝撃を受けたことが大きかった。
魔物たちが安心して平和に暮らせる社会を望んできたが、自分の見えないところで、想像もしない不安を抱えていた者がいる。
不満を持つ者や、魔王に対して反感を抱いている魔物もいるだろう。
長年精神体で過ごした為か、時間の感覚もズレているに違いない。
『七十七年は、寿命の短い者にとっては、長いのか?』
不意に魔王がティグに問いかける。
心を探れば答えが出るという問題ではない。
ティグの精神体と魔王の精神体は、同居することで多少なり干渉しあっているが、あくまで個別の意識。
記憶や思考を常に共有するような状態ではない。
『長いね。俺の友達には、七十七年も生きられない寿命の者がいる。世代が変わるよ。』
『そうか…』
魔物の中にも、寿命が短い者はいるだろう。
魔王の存在を知らないままで一生を終える者はどれくらいだろうか。
「魔王様と、頻繁に話すのか?」
「最近は割と多いかな。」
「そうか…」
「アイリ―、僕らと一緒に来る?」
門番としての相棒を失い、自らも深手を負ったいま、本来の役割を果たすことは難しい。
何より、その役割を与えた魔王が提案したことだ。
「…ああ、行ってみたいな…」
意図せず漏れた言葉のようで、アイリ―は言ってからハッとした。
それから、頭の後ろを何回か掻いたあと、ぎこちなく。
「よろしく、おねがいする。」
と、軽く頭を下げた。
「うん、行こう。アルは俺が死なせないから、身代わりにさせることはない。約束する。アモンの分も生きて欲しいから…。」
「ふんっ。そのうち新しい相棒が産まれるさ。」
つっけんどんなようで、アイリ―の言葉からはどこか優しさが滲んでいる。
「産まれる?」
「俺たちロックガーディアンは、分裂して増えていくんだ。」
「アモンは…」
アイリ―とアモンはあるいは親子や兄弟のような間柄だったのだろうか?と、ティグは想像した。
「人間の世界の感覚とは違うから、お前たちが納得できる説明は出来ないと思うけどな…」
アイリーはティグの考えを見透かしたようで、続けて。
「まあ、お前らと似たようなもんじゃないか。同じロックガーディアンから産まれたからな。」
そう言いながらティグの目をまっすぐに見つめた。
正確に言えば、それは瞳ではない。
ロックガーディアンは魔力核を持つ岩の集合体だから、姿形を変えられる。
いまは、まるで人間のような容姿をしているが、岩を砕いた砂の粒子で出来ているから砂の像が動いているようなものだ。
アイリ―が意図的に人間の容姿に近付けた結果で、瞳に見える部分は核の光が透けて見えている状態だ。
「アイリ―、一緒に旅をする上で一つ提案がある。」
「なんだ?」
「いま人間のような形をしているだろう?せっかくだから、このまま人間の振りをしてみないか?」
「…出来るのか?」
アイリ―は、自分の腕や足を見ておおよそ本物の人間には見えないだろうと思ったが、ティグに何か考えがあると気が付き、尋ねた。
「出来るよ。」
嬉しそうな笑顔のティグを見たアイリ―は、反射的に眉間に皺を寄せたように見える。
見えるだけで、実際には起きていない。
能面が、角度によって表情が違って見えるのと同じようなことが起きていた。
ティグはアイリ―の魔力核に自分の細胞の一部を使い、ごく小さな疑似的な魔力核を作り、アイリ―の魔力核の中に融合させた。
即座にアイリ―は衝撃に驚くが、ティグが手を加えて衝撃を和らげると静かにその様子を見守る。
「あったかいな…」
最初は、ほんの一部とはいえティグの膨大な魔力が急激にアイリ―の身体に流れたのを、少しずつ巡るように調整したことで痛みにも似た衝撃を極限までやわらげていた。
ティグの魔力が馴染むにつれ、体表の様子が変わっていく。
「お兄ちゃん、これどういう魔法?」
アルがアイリ―の皮膚をまじまじと見つめる。
その様子を見たアイリ―は、アルの前に腕を差し出し、観やすいようにした。
アイリ―はとても不思議だ。
アモンと二人きりで過ごしていたからこそ、快適に過ごせるよう相手を気遣うようになったのだろうか。
アモンの性格を知らないまま消滅させてしまったことを、ティグは改めて悔やんだ。
「そろそろかな。」
アイリ―は全体的に少し大きくなり、十歳くらいの人間の子供に見えるようになった。
百四十センチほどで、やせ形の男児の風貌だ。
肌の色は白く、もともと見本にしているのがティグとアルだから容姿端麗である。
「ねえ、兄さん僕たちの弟ということにするなら耳としっぽが必要じゃない?」
最初は反対していたアルも、いつの間にか乗り気になっている。
「そうだね。いいかい?」
「なんでもいい。」
アイリ―は、何の含みもなく実に淡々と答えた。
「こんなもんかな…」
アルが鼻息を荒くしている。
「なんか…十歳の頃のお兄ちゃんみたい…」
いまにも抱きつきそうな前傾姿勢のアルを片腕で回収したティグは、アルの頭を首元に寄せて頭をポンポンと叩いた。
「はいはい、落ち着け~。俺はこっちな。」
アルは我に返ったが、そのまま兄に抱きつきその場に収まった。
「…」
アイリ―が無表情で見つめるがアルはお構いなし。
「あ~…もし、望むならすぐに相棒を産むことも出来ると思う…けど…」
アモンの代わりにはならない。
言葉にはしないが、互いにそう思っている事は明らかだった。
「お前らを見ていると、なんだかこの辺りが変な感じだ。」
胸とも腹ともつかないあたりを指して言うアイリ―。
ティグは、きっと羨ましさを感じているのだろうけれど、そうと決めつけるのも違う気がした。
「もし、相棒が欲しくなったらいつでも言って欲しい。」
「ああ、そうするよ。」
アイリ―の服を、ティグとアルが来ている服に近付けて。
「よし、これで良いだろう。」
ティグはそう言ってから、大きな姿見を異空間収納から取り出してアイリ―の前に置いた。
鏡のことを知らないかもしれないと思ったから、わざとアイリ―と鏡の間に立った状態で出し、ティグが鏡に映っているのを見せた。
「これ、俺なのか?」
アイリ―は頭や頬にペタペタと触れ、同時に触れたところに感覚があることを知る。
「いままでは痛みとか感じなかったかもしれないけど、これからは感じるようになる。それが嫌だと思ったら、なくすことも出来る。」
「このままでいい。人間はそういうものなんだろう?」
「うん。あと、俺たちは獣人。人間と獣人はちょっと違うんだ。」
「へぇ。魔物はみんな、魔物だけど、人間は分けるんだな。」
その言葉にティグとアルの胸がチクりと痛んだ。
魔物から見れば、どちらも大差がない。
それを人間と獣人は、わざわざ分けている。
前世は地球の人間であったティグの感覚で言うと、肌の色で人を分けている状態だろうか。
どちらかと言えば、国籍の方が近いのかな?
などと思考を巡らせるが、適切な表現は見当たらない。
「うん。分けてるんだ。俺たちはトラの獣人。人間やほかの獣人からはそう呼ばれるから、覚えておいて欲しい。」
「わかった。」
「それで、アイリ―…向こう側からは人間が来ないって話だけど…」
「ああ、あっちには見えない壁があるからな。」
「結界のこと?」
「さっきあんたが俺を閉じ込めたやつだよな? それなら多分同じような感じだな。」
アイリ―が行動出来る範囲にあるなら、それほど遠くないはずだ。
「どこにあるか教えてもらえる?」
「ああ、すぐそこだぞ。…ああ…この体だと…」
ロックガーディアンの時の大きさ体長三十五メートルくらいだったから、一歩がだいぶ大きいはず。
まして、いまアイリ―は三人の中で一番小柄だ。
「ゆっくり行こう。」
ティグがそう言うと、アイリ―は複雑そうな表情を浮かべている。
「うん、とても表情が豊かになったね。」
首を傾げるアイリ―の頭をティグが撫でると、アイリ―は不思議な感覚に目をぱちくりさせる。
アルは恨めしそうに眺め。
その様子をアイリ―は更に不思議そうに眺めた。
ティグは二人の様子に思わず笑いだしそうになるが、いま笑うとアルが確実に拗ねるので必死に笑いをこらえた。
大小の岩がゴロゴロと転がっているから、まっすぐに歩けないことも多い。
アイリ―は小さくなった不便さを感じて、最初は特に歩きづらかった。
しかし、泣き言や弱音は一切言わない。
これまでは感じなかった痛みも感じている分、辛さは何倍も大きいはずだ。
「アイリ―、無理しないで。」
「壊れたら、またなおしてくれるんだろう?」
その言葉に、ティグはアイリ―の肩を掴んで制止した。
「その考え方はいけない。なおるとしても痛いだろう?」
「痛くてもなおるならいいじゃないか。」
どうすればちゃんと伝わるのか、理解してもらえるのか。
魔物と人間の違いもあるから、悩ましい。
「人間や獣人は、痛い思いをするのを嫌がるんだ。特に子供は疲れたとか痛いとか、まだ生きることに慣れていないこともあって、尚更ね。」
「それらしく振舞えってことか?」
そうではないが、いまは一先ずそういうことにしておくしかなさそうだ。
「そうだね。それらしく振舞ってほしい。」
「わかった。」
「痛いのは、なくせるのか?」
「休めば回復するものだったり、痛くないように工夫したり、痛みの種類によっても色々かな。」
「…人間って、面倒くさいんだな。」
ティグは
「そうだね。」
と、苦笑した。
獣人の身体で歩くことに慣れないアイリ―のペースに合わせて歩いていたら、結局四十分かかった。
ティグとアルが早歩き程度の速度で歩けば、恐らく二十分もかからない距離。
推定千二百メートル程だ。
「ここだよ。」
アイリ―はそう言って手ごろな石を拾って投げた。
見えない壁に当たった石が跳ね返りティグの足元に落ちる。
「物理結界。それに…魔法結界も。それだけじゃないな…向こう側の景色のように見えているのは偽物だね。」
これほどの結界を広範囲に設置できるなど、一体何者か。
確認するまで断言はできないが。
「たぶん、この結界ずっと続いてる。」
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