Ⅲ.

 私は明確に彼女に好意を抱いていた。


 学生時代にはお互いマフラーを交換して陽の沈んだ通学路を歩き、運転免許を取った際にはレンタカーで長野まで旅をし、成人してからは初めての二日酔いを二人で笑い、電話口で涙をこらえながら仕事のミスを話す彼女を慰めた。


 私の日常には常に彼女がいて、積み木のように一つずつ重ねてきたその関係を崩すことは私の日常が崩れることと同義だった。


 交際を申し込むことで破綻することを恐れ、いつまでも浅瀬で水を掛け合うことしかできない小心者の姿は彼女の瞳にどう映っていたのか。


 今にして思えば、彼女の希望で訪れた笛吹の棚山にあるカフェで過ごした夜が転換点だったのだろう。


 眼下には街の灯りで輝く甲府盆地を望み、見上げれば満点の星空に覆われた山頂で、世界が二人だけのものになったかのような静寂に包まれながら身を寄せ合ったあの日、ついにその言葉を伝えることができぬままに冷めきった苦いコーヒーを啜って山を降りた。

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