第2話 さすがにキャラ変が急すぎる。

 気付けば放課後だった。

 今日はあっという間に時間が過ぎていった気がする。


 放課後の教室は二、三グループが談笑しているだけで、がらんとしていた。


 さて、そろそろ帰ろう。

 私はsinとcosのカプ(公式)についてまとめたノートをぱたんと閉じる。


 今日は本屋に寄らないと、百合ンセスの今月号が出るはずだ。

 バッグに荷物を詰めていると、教室の出入り口の方から話し声が聞こえてきた。


「あれ? こころ、カラオケ行かねーの?」

「うん~。今日はあたし用事あるから~」


 また犬塚さんたちだった。

 やっぱり陽キャは存在感が凄まじい。どこにいても会話が聞こえる気がする。


「こころが用事って珍しいな。……当てるわ!! マブって言ってたやつだろ!!」

「ん……ま、そんなとこ~」

「ちょ、何かノリ悪くね……? まぁいいや、早めに終わったら来いよ。いつものとこだからな」


 犬塚さんはまた適当な返事を返して男子たちと別れた。

 

 ……少しばかり、の波動を感じる。

 そもそも、犬塚さんは入学してからほぼ毎日男子たちと遊び歩いていたのだ。


 それが今日は、珍しく放課後に残っている。

 女友達との予定だと言われたときの反応も気になった。


「これはまさか……いや、でも…………」


 でも、あの犬塚さんだ。

 『ビッチ』と呼ばれ、毎日のように男子とカラオケやらカフェやらを巡り、施設に入っていったという噂もある犬塚 こころさんだ。


 彼女の百合適合率はかなり低い。

 たぶん、私の思い違いだろう。最近は選百合眼が鈍っている気がする。


 ……もう帰ろう。


 そう思って私が席を立ったとき。


「わ、わっひゃあ!!」


 やけに可愛い声が聞こえたと思ったら、犬塚さんがスマホを手にしてぴょんぴょん跳ねていた。


 どうしたんだろう。

 跳ねるたびに肩まである茶髪がふわふわ揺れて、子犬みたい。


「やば、やっばい……よーし!!」


 犬塚さんはスマホをポケットにしまうと、胸の前で小さくガッツポーズをとる。


 ……なんだあのカワイイ生命体は。あざと過ぎる。


 私は思ったより犬塚さんを知らなかったみたいだ。

 いつも男子に囲まれているせいで、気付けなかったのだろうか。


「いいなぁ、子犬ギャル。問題は誰と組ませ――あっ……!!」


 新たに摂取したイメージを反芻していると、いつのまにか犬塚さんは廊下に駆け出していってしまっていた。


 犬塚さんは一体これから何をしにいくんだろう。

 何に喜んでいたんだろう。


 ……追いかけろ、と本能が言っていた。




△▼△▼△




「お、お待たせーっ。ひじり……」

「大丈夫。待ってないよ、こころ」


 こっそり犬塚さんの後をつけていると、中庭の噴水広場に着いた。


 そこにはひじりと呼ばれたショートボブの少女が一人で立っていた。

 彼女はやって来た犬塚さんに気付くとゆらゆらと手を振る。

 

 二人が噴水の前で向かい合うと、ふとひじりさんがすんすんと鼻を鳴らした。


「……あれ、こころ香水変えたんだ。ていうか、私のと同じだ」

「そ、そうだよ。その香り、あたしもお気に入りで⋯⋯」


 目を逸らしながら答えた犬塚さん。

 そんな彼女を見て、聖さんはいたずらっぽく笑う。


「ふぅ~ん。そっか。こころ、やっぱり可愛いね」

「あぅ、いやその……ありがと」



 ……ん? なんだこの百合?



 いやはや、つい癖でセリフを補完してしまっていたらしい。

 犬塚さんがあんなに純真そうな話し方をするはずがない。解釈違いにも程がある。


 自分の百合好きにも参ったものだ。やはりクラスメイトナマモノカプ妄想は封印しよう。


 そう決意すると、私は再び草葉の陰からふたりに視線を向けた。


「それでこころ、今日はどうしたの? こんなところに呼び出したりして」


 聖さんはかすかに笑みをたたえて言った。

 

「……その顔、もうわかってるんでしょ」

「ふふ。だとしても、私の口からは言えないよ」


 少し反抗してみた犬塚さんを、聖さんはひらりとかわす。

 妙な雰囲気が、あたりに立ち込めていた。


「ねぇ、ひじり


 犬塚さんはスカートの端をぎゅうっと握りながら、聖さんの方へ一歩踏み出す。

 その表情には、緊張と高揚が入り混じっていた。

 


 ……んん? やっぱ百合だな?


 

 私はもう何も妄想していない。でも目の前の状況は一切変化していないのだ。

 すなわち、これは現実。


 そんなバカな。百合すぎる⋯⋯犬塚さん、百合すぎる⋯⋯!!


 もしかしてあれが素なのだろうか。

 アーシマジギャルチョベリバーみたいな普段とは似ても似つかない、素直で純粋な言葉遣い。


 聖さんの言葉に一喜一憂して、そのたびにふわふわの毛先が尻尾みたいに揺れる。


 あの犬塚さんを『ビッチ』だなんてとてもじゃないが言えない。


「……なぁに、こころ。ずっとぷるぷるしてるけど」


 聖さんは目の前でもじもじし続ける犬塚さんをじっと見つめている。

 いつの間にか耳まで真っ赤になった犬塚さんは、仕切り直すように頷いて、顔を上げた。


ひじり……」

「大丈夫、ちゃんと聞いてるよ」


 二人の視線が交わる。

 犬塚さんは潤んだ目を見開いて、聖さんの手を握った。


 ……き、きたあッ!!

 もうここまで決まれば邪魔は厳禁。黙って行く末を見守ろう。

 咲けど咲かねど百合は百合。



「あたし……ひじりのことが、好き。他の誰よりも好き。だからあたしと――」



 それはきっと犬塚さんが、ずっとためらっていた言葉。

 そのまま握ったひじりさんの手を、ぐいっと自分の胸元に寄せる。


 そして祈るように、ささやくように、言った。



「付き合って、ください」


 

「……ごめん」


 ひじりさんはきゅっと目を瞑って言うと、握られていた手を優しくほどいた。


「えっ」

「その、ごめんねこころ。私、こころとは――っていうか、女の子とは付き合えないや」


 ひじりさんは気まずそうにたはは、と笑う。


「なんで?私じゃ、ダメ……?」


 犬塚さんはさらに聖さんへ歩み寄って、目の端に大粒の涙をためながら言う。


「ダメ、とかじゃないんだけどさ。私、普通……だから、さ」


 ――――。


 犬塚さんはひじりさんの言葉を聞いた途端、地面にへたり込んでしまった。




 それから、しばらくして。


 いつのまにかひじりさんはいなくなっていた。


 犬塚さんはあれからずっとここにいる。


 残酷な現実が、犬塚さんの決死の告白を阻んだ。

 普通だとか、性別だとか。

 そこには、たったひとつの気持ちがあるだけなのに。


 それが、間違いであるはずないのに。


 地面に座り込んで、ただ涙を流し続ける犬塚さんは、どうしようもなく『百合』だった。

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