第1話 あたまのなかが百合すぎる。

 チャイムが鳴って、私は目を覚ました。


 穏やかな風が吹く四月の中頃。窓の外では桜が舞っている。

 そんな春の陽気に誘われたのか、私は居眠りをしていたようだった。


「さて、今日の授業はここまでです。それでは」


 国語教師は無表情のままそう言うと、てきぱきと荷物をまとめて教室を出て行く。


 ……授業、ぜんぜん聞いてなかった。


 新学期の初っ端から失敗してしまった。


 ここ、『北鷲ほくじゅ高校』はいわゆる進学校。

 どの教科も凄まじい早さで進んでいくため、たった五十分でも他と大きな差が開く。

 

 このままでは成績が落ち小遣いを減らされ、に使うお金がなくなる。それは嫌だ。


 私はすぐに黒板の内容をノートに書き写し始めた。

 短歌の授業を行っていたようで、万葉集に収録されている短歌がいくつか挙げられている。


「『夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ』かぁ」


 その中のひとつが私の目に止まった。

 


 ――ひっそりと咲く百合のように、人に知られない想いは苦しいもの。



 切ない恋心を百合の花と重ねて詠んだ歌。



「え、めっちゃ儚エモい……」



 私はそれにの波動を感じて、思わず声を出してしまう。

 先ほどまで眠らせていた衝動が解き放たれ、胸がざわめく。 


 ここでいう百合とは、ユリ目ユリ科ユリ属の植物のことではない。

 女性同士での濃密な関係と、それを描いた物語などの総称。



 そして私、如月きさらぎかのんはそれらを観測することで己を満たす、いわゆる百合女子なのだった。


 

 ……やるじゃん。いいじゃん。

 作者が誰かわからないけど、その人がことはわかる。


 純粋な恋心を性別という壁に阻まれ葛藤する少女。そんな風に悩んでいることさえ想い人には伝わらなくて……。


 ああもう我慢ならない。発散しないと。


 これは入学初日に封印したつもりだったが……禁忌のクラスメイトナマモノカプ妄想。これを行わざるを得ない。

 

 教室を見渡すと、クラスメイト達がめいめいに休み時間を過ごしている。

 

 あ、見つけた。


 私はその中に、ひっそりと咲く『百合』を幻視した。


 バレー部の楠木くすのきさんと美術部の花岡はなおかさん。

 机のそばに立っている楠木さんは、座ったままの花岡さんに熱心に話しかけているようだった。




「頼むよ花岡、一緒にバレーしようよ~」

「わ、私には無理だよ……。それにすぐ部活、辞められないし」


 楠木さんは花岡さんの肩を軽く揺らしながら、子供みたいにねだる。

 花岡さんは困惑しながらも、柔らかい笑みを浮かべていた。

 

「ん~じゃあさ、私が美術部に入るっ!! バレーは今日で引退!!」


 楠木さんは人差し指を立てながら堂々と宣言した。


「本当に? でも、楠木ちゃんすっごいバレー上手で……やめちゃうの?もったいないよ」


 花岡さんは不安そうな顔で楠木さんを見つめている。

 すると楠木さんは一瞬表情を曇らせて――すぐに笑顔を作る。


「いややっぱやめない!! でもその代わり、今度の試合見に来ること。約束ね?」

「うんっ。私、楠木ちゃんがバレーしてるところ、かっこよくて好き。だから、絶対行くよ」


「……うん、ありがと。花岡」




 なんて美しいのだろう。これこそまさに人知れず咲く秘め百合。

 

 なお、距離が離れていて会話の中身はわからなかったので、私が補完しておいた。くす×はな、あります。


 さて次はどうしようか。

 おっ? 花岡さんが楠木さんに何か語っている。ならば、はな×くすを前提とした妄想を――


「きゃははははっ!! 高山、それはっ!! それはないっ!!」

「ちょ、こころお前うるさすぎ、どんだけ笑って……ぎゃははははっ!!」


 私がまた妄想の世界に浸ろうとしていたとき、突然大きな声が教室内に響く。


 この教室の中心。

 一人の女子とそれを取り囲む男達が大声で笑い合っていた。


「まじでさぁ、そんなんだから彼女に振られんだって。わかってないねぇ~オトメゴコロがぁ~」


 彼女は犬塚いぬづかこころ。校則違反だらけのくるくる巻いた茶髪が特徴。

 いわゆるギャルだ。


 彼女は今のようにいつも男子とつるんでいて、教室内で女子と話している姿を見たのは数えるほどしかない。


 それを見た男子の願望と女子の嫉妬が合わさって、ついたあだ名は『ビッチ』。

 ひねりのないただの暴言だ。


 だが正直なところ、私も彼女が苦手。


 陽キャ感マシマシで怖いし、何よりも男子とばかり絡んでいるので彼女に百合を見出せない。


 こういうのがあるから、私は女子高に行きたかった。

 あそこは百合を見出すどころか実際に育んでいる様を見れるんだから。お姉さまとの禁断の恋が始まるんだから。


 国語のユイ×マイ、数学のヒナ×カオ。

 彼女らさえいなければ私は今頃――でも尊かったなぁ。


「いや~マジおもろいわ。ていうかこころ、乙女心とか言ってるけどお前は乙女どころか女かも怪しいっつーの!!」

「それなっ!! お前、女の友達いないんじゃねぇの~?」


 ふと思い出に浸っていると、男たちが犬塚さんをからかうのが聞こえてきた。

 かなり嫌味な内容で、これにはさすがの犬塚さんも黙っていない。



「はぁっ!? 失礼すぎっ!! 友達、いるし!! B組のひじり、知ってるっしょ? あたしあの子とはマブだから。もう姉妹スールレベル行っちゃってるから!! マジあったまきてる!!」



 ……ん?

 今、犬塚さんのルビがちょっとおかしかったような?


 まぁ、気のせいか。


 犬塚さんはかなり怒っているようだったが、またすぐ男子たちにからかわれてしまっていた。


 しばらくしてチャイムが鳴る。


「あ、鳴っちゃった。はぁ…………」


 後半は犬塚さんたちがずっと騒いでいて、妄想に集中できなかった。

 名残惜しいが、はな×くすはまた次の機会にしよう。


 私は気を取り直してノートを広げ、授業の開始を静かに待った。

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