16.滝のような、銀の矢のような

 ジリジリと焼けつく痛みが、腕から全身に走る。私一人なら、きっと耐えられず手を放していたであろう痛みだ。


 でも、カンダチはぐっと奥歯をかむだけで、チヅルの手をますます強く握った。

 そして――低い気合の声と共に、チヅルの体をおりまりから引っ張り上げる。


 おりまりから引き上げられたチヅルと一緒に舞う、漆黒しっこくの水滴。

 宙を舞ったおりの雫と反発して、周囲に散らばる雨粒の銀の光。

 そして、チヅルの神通力じんつうりきが放つ、鋭く赤い光。


 チヅルが引き上げられた一瞬、漆黒と銀と赤の光が交錯こうさくする。

 その光の交錯が、私にはひどくまぶしかった。


「おい、頑固娘がんこむすめ。しっかりしろ」

 カンダチが、チヅルをぬかるんだ地面に無造作むぞうさに横たえる。


 チヅルは返事をしない。どうやら、意識がもうろうとしているらしい。小さなうめき声を上げるだけだ。


(どうしよう、カンダチ! チヅル、動かないよ!)


「悪いが、その頑固娘は後回しだ」


(そんな、なんで――っ!)

 泣きつくような私の叫びは、漆黒の突風に吹き飛ばされた。


 いや、違う。

 これは風じゃない。人の腕の形をまねした、漆黒のおりだ。


 おりまりが、文字通り、十数本の腕を伸ばしてきたんだ。

 おりの腕はしゃべらないけど、要件は分かった。腕の伸びる方向からして、間違いない。狙いは、チヅルだ。


「見ての通り、こっちが、まだ片付いていないからだ!」

 カンダチが、ジンジンと痛む腕で漆黒の腕をまとめて受け止める。


 おりの腕に触れた瞬間に、私は身をもって思い知った。

 カンダチが「これに触れるなよ」と言った理由を。


 まっさきに感じたのは、冷気によく似た痛みだった。刺すような痛みが腕から私の全身に襲いかかってくる。真冬の氷水に腕を突っ込んだみたいだ。


 加えて、重さだ。どろりと重たい見た目に違わず、おりの腕は、私の腕が折れるくらいに重い。カンダチの人外じんがいパワーでも、チヅルに向かおうとするおりの腕を押さえつけるので精いっぱいらしい。

 冷たい痛みに襲われているのに、白ツバメの全身から汗がにじみ出でいた。


 カンダチに動きを封じられたおりの腕は、狙いを変えたらしい。白ツバメの腕にまとわりつくと、おりまりへ向かって、ずるずると引っ張り始めた。

 

(もしかして、私たちをおりまりへ――?)

 泥まみれの私のスニーカーが、ぬかるんだ地面をじりじり引きずられていく。


「愚かモノめ。ツバメこいつに誰が憑いていると思っているのだ」

 カンダチが食いしばった歯の隙間で唸った。


 体の奥から熱いエネルギーが込みあがってくる。全身にむずかゆい感覚が走り、白いうろこか逆立つ。

 視界の端で、白髪のポニーテールが、怒った白蛇のように揺らめいた。


(もしかして、これ。カンダチの、神通力……?)


 カンダチが放つ”力”にひるんだのだろうか。漆黒の腕の力が少し弱まる。

 そのすきをカンダチは逃さなかった。 


「その場しのぎは本意ではないのだが、仕方ないな」


 まとわりつくおりの腕を引きちぎると、カンダチはうろこまみれの右手をバッと天にかかげる。


 一瞬、空中の雨が止まった。そこら中の雨粒が、ぶわっと浮き上がる。カンダチの周囲で、雨粒が銀の光を乱反射させていた。


「しばしの間、ちりになっておけ」

 静かな声でカンダチがつぶやく。

 流れるような動作で、おりまりに向かって右手を振り下ろす。


 滝のような轟音ごうおんが辺りに響いた。

 カンダチが操った無数の雨粒が、おりまりに向かって、猛スピードでたたきつけられる。それはまさしく滝のような雨――というより。もはや、銀の矢のような雨だ。


 雨粒を浮かせて、一斉に落とす。

 脳裏に浮かんだのは、カンダチが笠臣かさおみ神社の石鳥居いしとりいの上でオーケストラの指揮者みたいに手を掲げていた姿だ。

 あの時も、カンダチは雨粒を操っていた。


 でも、威力いりょく桁違けたちがいだ。

 たぶん、あの時のカンダチは、本気じゃなかったんだ。本当に、だたチヅルを驚かせようとしていただけだったのかも。


 滝のような残響が消えたころ。無数の銀の矢に撃ちぬかれたおりまりは、カンダチの言葉通り、塵のように細かくなって、空気に溶けて見えなくなった。

 あとには、いつも通りのゴミ置き場があるだけ。


 雨は止んでいた。

 もしかしたら、雨雲がため込んでいた雨粒を、カンダチが全部おりまりに叩きつけてしまったからかもしれない。


(……あのおりまり……消えたの?)


 肩で息をしているカンダチに、私は恐る恐る問いかけた。


「いや、あんなものでは、おりまりは消えない。細かくして散らせただけだ。じきに集まり、さっきのような形を成す。その前にここから離れるぞ」


 カンダチが、よろよろと背後のチヅルに向かって歩き出す。でも、三歩も歩かないうちに、がくり、とひざをついた。バシャリと、泥水がはねる。


(カンダチ? どうしたの?)


「……さすがに消耗しょうもうした……人間に憑依ひょういしたまま”力”を使うのは、まだ慣れんな」

 荒い息に混じって、カンダチがつぶやく。


(何なに? どういうこと?)


「ツバメ……お前はとりあえず、ここから離れろ。この頑固娘も一緒にな……」

 カンダチの声はだんだん遠くなっていく。


(え、よく聞こえないよ?)


 私が聞き返した次の瞬間。


 ガクリ、と私の全身に衝撃しょうげきが走って、私はチヅルの横に腹ばいに地面に倒れる。

 おかげで水たまりに顔面からダイブする羽目になった。


「ぐえっ」

 がばっと起き上がった私は、口いっぱいの泥水を吐き出す。

 そうして、私はようやく気がついた。


 もしかして今、この体を動かしているのは――カンダチじゃなくて、黒川ツバメわたし? 


 でも、その実感を確認する暇も無く――


「……その声……ツバメ……?」

 かすれた声が、すぐ傍らから聞こえてきた。


「チヅル?!」

 泥を跳ね飛ばしながら、私はチヅルのかたわらに駆け寄った。

「大丈夫? 怪我は? どこか痛い所とか、無い?」


「あぁ……うん。たぶん……?」

 チヅルは、ぼんやりとした瞳で私を見る。


 ぬかるんだ泥の中で上半身を起こしたチヅルの格好は、ひどい有り様だった。

 パリッとした黒髪も、色白で美人と評判の顔も、校則どおりきっちり着こなす制服のブレザーも、全部びしょぬれの泥まみれ。

 疲れたようなぼんやりした瞳のせいで、クールで淡白な真顔がちょっと崩れている。

 こんなぼろぼろのチヅルの姿、見たことがない。ウルトラレアだ。……もっとも、今日何度目か分からないから、レア度は低くなってきたかもしれないけど。


「あなた……黒川、ツバメ……よね?」

 チヅルが震える指で私の髪を指さした。

「それ、何なの? どんどん黒くなってくよ?」


「え? 髪?」

 体をひねって自分のポニーテールをつまんで見た。


 確かに。

 チヅルの言う通り、私の白髪のポニーテールは毛先のほうからじわじわと黒色に変わっている。


 いや、逆か。カンダチに取り憑かれたせいで、白蛇みたいな白髪ポニーテールになってたわけだから。

 白ツバメから、黒川ツバメに戻っているのだ。


「あなた……ホントに黒川ツバメなの?」


「わ、私は――!」


 私が答える前に、チヅルの体がぐらりと傾いた。


 私は慌ててチヅルを受け止める。

 うろこの消えた、びしょぬれの私の腕の中で、チヅルは目を閉じていた。


「今の私は……黒川ツバメなんだよね?」

 ポツリとつぶやいた問いに答えてくれるものは、誰もいなかった。






(第一部 了)


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