第26話守護者の対峙
月が都市を冷たく照らす頃、私はルカとシグベルを連れて遺跡の前に立っていた。封鎖されているはずなのだが、クレイヴの手が回っているのか人の出入りを拒む柵は外されている。闇に沈んだ入口が、まるで口を開けて獲物を待つ獣のようだ。
私は足を踏み入れる前に一度振り返る。ルカは私を安心させるように微笑み、シグベルは静かに祈りを捧げていた。
「さあ、行きましょう」
気持ちを引き締め、私は遺跡への一歩を踏み出した。
暗く、湿った空気が肺を満たす。ランプと木箱を手に持ち遺跡の奥へと進むと、苔むした石壁と古びた鉄格子が並んでいるのが見えた。
(ここは……牢屋だったのね)
鉄格子の向こうには、崩れ果てた木製の寝台。枷の痕が残る壁。幾世代にもわたり、ここで絶望の中を過ごした者たちの存在が感じられる。呪いの木箱が共鳴するように震え、私は思わず寒気を覚えた。
「……この先にあるのが、処刑場です」
シグベルの言葉に私は小さく頷く。そうして足を踏み入れた瞬間——。
「遅かったな」
不意に、闇の中から声が響いた。
崩れかけた石柱が影を落とす処刑場跡。クレイヴは、処刑台のすぐそばに立っていた。黒い外套と仮面を纏い、余裕のある微笑を浮かべている。まるでここが自分の居場所であるかのように。横には同じ仮面を付けた男女がいる。影の市で会った女性と、手紙を渡してきた男性だ。武器を持った二人をそばに置き、クレイヴはゆっくりと口を開いた。
「ようこそ、お嬢さん。ダイダリーの新しい領主殿が、その呪いの木箱まで持ってこんな不気味な場所に来てくださるとは光栄だ」
私は警戒を解かず、一歩距離を取った。ルカが横に控え、シグベルは静かに様子をうかがっている。
「単刀直入に聞くわ、クレイヴ。なぜルーディックを裏切ったの?」
セイラー・ロスはルーディックに信頼された商人だった。彼を信じていたからこそ薬を飲んでいたのは、書斎で見た手紙からも分かる。しかしそれはセイラー……いや、クレイヴによって仕組まれた罠だった。いつから仕込まれていたのか、どうしてそんなことをしたのか。私には全く分からなかった。
その問いに対してクレイヴはただ笑い、ゆっくりと肩をすくめる。
「誤解しないでくれ。私はあくまで『薬を手配した』だけさ。飲むかどうかは、彼の判断だった」
「でも、あなたは知っていたはずよ。ソルミナがどんな効果を持つのか、どんな危険を孕んでいるのかも。ルーディックへの説明の中に嘘を混ぜたのは、あなたよね」
ソルミナの与える一時的な活力はルーディックを錯覚させただろう。飲み続ければ牙を剥くとも知らずに騙された。効果を、そして商人を疑い始めた頃には、もう致命的だったはずだ。
「商人の言葉が常に真実だなんて、思ってないだろう? お前も商人と付き合うなら、少しは学ぶべきだな。『信頼』なんて言葉を簡単に使うのは、子供のすることだ」
その一言で言葉に詰まる。チラリと一瞬だけルカを見た。視線は、合わない。私は、彼の言葉を信じきれない。
クレイヴはそんな反応を楽しむように、わざとゆっくりと続けた。
「ルーディックは焦っていた。ただの商人に騙されるほどにな。……よほど信頼できる跡継ぎが欲しかったんだろうさ」
胸がざわつく。ルーディックがどれほどの想いでソルミナに手を出したのか——彼の目的は跡継ぎだけだったのか、私には分からない。
「彼は何を知っていたの?」
「さてな。俺はあいつの書斎の管理人じゃない。だが、『少なくとも俺の商売にとって邪魔なことを調べていた』とは言えるな」
クレイヴの目が冷たく光る。
「それが面倒なことでなければ、今頃ここで話す必要もなかったんだが」
「……あなたはヴィオラ様の死にも関与している。あなたとヴィオラ様の間に、何があったの?」
ヴィオラ様に呪いの首飾りを売り、命を奪ったのはクレイヴだ。それも身に着ける判断をしたのはヴィオラ様だ、と言い張るつもりだろうか。そんな予想に反して、クレイヴはしばらく沈黙した。そして、口元に薄い笑みを浮かべる。
「お嬢さん。俺を何でも知っている悪党みたいに思ってくれるのは嬉しいが、それは買いかぶりすぎだ」
言葉では否定している。しかし、その態度が、むしろ肯定を匂わせているように思えた。
「じゃあ、あなたの目的は何?」
「簡単な話さ。ダイダリーに、このまま『都合のいい場所』であり続けてほしい。それだけだ」
彼は処刑台の上に片足を乗せ、静かに言った。
「だが、お前はそれを変えようとしている。俺の商売にとって迷惑なことに、だ。ただこれ以上邪魔しないって約束するなら、俺はお前に手を出さないさ」
私は静かに息を吐いた。クレイヴはルーディックの調査について何かを知っている。ヴィオラ様の死にも、彼の目的が関わっている。その目的は、ダイダリーを腐敗したままにすること——。
「あなたの都合なんかのために、この都市を腐らせ続ける訳にはいかない。私が変えてみせる!」
考えることは多いが、言いたいことはそれだけだった。ダイダリーの領主として、この都市を守りより良いものにする。クーゼルやダリルのような人をこれ以上生むわけにはいかない。
私は、この都市を変えると誓ったのだ。
「どうやらお前と相容れることはないようだ。……残念だよ。もう少し頭が悪ければ、使ってやっても良かったんだがな」
クレイヴが嘲るように低く笑った。その直後、私たちの足元に何かが投げ込まれる。シュウシュウと音を立て、白い煙が一気に広がった。視界が霞む。ただの目眩ましか、それとも毒か。息を吸い込むのは危険かもしれない。
「ッ、ルカ!」
「分かってるよ、ロゼリア様!」
ルカが軽やかに煙の中へ踏み込んだ。直後、何かを蹴り飛ばす音。煙の発生源が遠ざかり、視界が少しだけ開けた。
しかし、その隙を突くように、何かが鋭く空を裂く。
——鞭だ!
「危ない!」
狙いはルカか、私か? 分からないままスクロールを開き、どちらも守れるよう広い防壁を展開した。
バチンッ! という激しい衝撃とともに鞭が弾かれる。目の前には仮面の女。しなやかな動きで後方へ跳び、再び鞭を構えていた。その動きに無駄はない。遊びではなく、本気の攻撃だ。
「へぇ……魔術師か、やるじゃない」
女が不気味に笑う。しかし余裕を見せたのも束の間、彼女の後ろを鋭い銀の閃きが通り過ぎた。
「神は、罪を見逃さない」
低く冷静な声が響く。
シグベルが静かにローブを払った。そこから現れたのは、一振りの美しい銀の剣。彼はそれをまるで儀式でもするかのように持ち上げ、仮面の男に向き直った。男が剣を構え、シグベルに襲いかかる。
ガキンッ!
一瞬の閃光。剣と剣が激しくぶつかり合う。しかし、シグベルの表情は微動だにしない。仮面の男が力を込めても、シグベルは優雅な足運びでそれを受け流していた。
「……その剣は罪そのもの」
シグベルが淡々と告げる。そして、一歩踏み込んだ。次の瞬間、仮面の男の剣が弾かれ無防備な空間が生まれる。
「罪には罰を」
シグベルの剣が青く冷たい光を帯びる。その一撃は、まるで神の宣告のようだった。私はそれを横目に、再び鞭を振り上げる仮面の女に意識を向ける。
「おっと、君の相手は僕だよ」
ルカの軽い声が響き、彼の足が素早く地を蹴った。仮面の女が鞭を振るう前に、ルカは素早く間合いを詰めた。彼女の手首を狙うように短剣を投げつける。
「……チッ!」
仮面の女は舌打ちし、咄嗟に身を翻す。ナイフはかすめるように彼女の袖を裂き、床に突き刺さった。
「あぁ、惜しい。あとちょっとだったのに」
ルカがそう言いながら肩をすくめる。しかし、その口元には余裕の笑みが浮かんでいた。仮面の男がシグベルの剣を受け止めながら、微かに視線をルカへ向ける。
それがどういう意味か考える間もなく、女が距離を詰めてきた。私は咄嗟に扇に偽装した剣を抜く。ルカの売り物が役に立つなんて――そう思いながらブローチに込めた身体強化の術を発動した。全身を駆け巡る魔力が一瞬で熱を帯びる。血が沸き立ち、筋肉が覚醒する感覚。動きが速くなる。視界が鮮明になる。
私は、そのまま迷わず踏み込んだ。
「素人が! 舐めんじゃないよ!」
しかし狙いは外れ、鋭い刃が女の肩を掠る。パッと辺りに血が飛び散った時だった。
「なかなかやるな……だが、君たちはここで終わる。その木箱を持ってきたのが運の尽きだな」
クレイヴの囁きと同時に遺跡全体が低く唸り、カタカタと床が小さく振動を始める。嫌な予感がして私は咄嗟に持っていた呪いの木箱を手放した。これも、恐らくこの遺跡から持ち出された物。『開けて』『開けて』と昨夜と同じように幻聴が響きだすが、シグベルがその剣で迷いなく木箱を貫いた。
パキン、と鋭い音が響いた直後、世界が凍りついたように感じた。
木箱が砕ける瞬間、まるで見えない何かが弾け飛んだ。破片が宙を舞い、その隙間から黒い霧が噴き出す。空気が一気に重くなり、まるでこの場に存在するだけで 体が蝕まれていく ような感覚が襲う。
「っ……くっ……!」
視界が揺れる。遺跡の奥底から不気味な呻き声が響き、地面が震えた。足元に黒い亀裂が走り、そこから影の手のようなものが這い出してくる。
「呪いが強まっています、私の傍から離れないように」
シグベルが幾つか祈りの言葉を唱えると、青い光が彼の足元から広がった。吹き出す影がそれに照らされては薄れていく。その間にも振動は強まり、外にも届かんばかりに広がった。これ以上ここにいるのは不味い。遺跡から抜け出さなければ。でも、一刻も早くクレイヴを捕まえないと。焦る私の腕を引いたのはルカだった。
「今は逃げましょう、ロゼリア様!」
ルカの言うことが正しい。それでも悔しくて一度クレイヴの方を振り返ると、視界の端で何かが光った。シグベルが砕いた木箱の辺りだ。咄嗟にそれを拾いあげる。
(何か刻まれている……?)
指先に伝わるのは冷たい金属の感触。砕けた破片のようだ。絵のような線を詳しく確かめている暇はない。まずはここから出るべく、来た道を戻ろうと顔を上げる。すると遠くで松明の光が見えた。足音が響く。
「衛兵か……ここまでだな」
その一言と共に、クレイヴは部下を連れて闇へと消えた。「ククッ……まぁいい。次で終わりだ、お嬢さん」……そんな、不気味な言葉を残して。
「走れますか」
「もちろんです」
シグベルの言葉に応え、私は入口に向かって走り出した。揺れる遺跡、割れた床、足を捕らえ引きずりこもうとする影……時に捕まりそうになりながらも必死で駆け抜ける。息が切れそうになる頃、ようやく遺跡から脱出することができた。
「また無茶をしやがって……怪我は?」
一番に駆け付けたのは衛兵長のライルだった。言伝はきちんと伝わっていたようだ。安堵のあまり崩れ落ちそうになる足を叱咤し、今なお揺れる遺跡から離れる。
「怪我はありません。ありがとう、ライル」
「無事で何より。もっと俺らを頼りにしてくれると助かるんですがね、ロゼリア様」
「ごめんなさい、次からはちゃんとお願いするわ」
荒い呼吸を整えながら、私は震える指先で握りしめていた破片を見つめた。黒ずんだ金属の表面に見覚えのない紋章が刻まれている。ライルに松明で照らしてもらうと、王冠をくわえた鴉をシンボルにしていることが分かった。王冠が描かれているのは、地位のある貴族の証かもしれない。
「それ、何かの紋章か?」
「ええ……恐らく、クレイヴはこの貴族と繋がっている」
手元を覗き込むライルの質問に答えながら、私は考える。クレイヴを捕まえることこそできなかったが、得る物はあった。彼の目的、それにこの貴族の紋章――ただの犯罪者の暗躍ではない。クレイヴの動きは、もっと大きなものと繋がっている。
「それにクレイヴは『次で終わりだ』と言いました。つまり、また仕掛けてくるつもりです」
「その前にクレイヴと繋がっている貴族を調べたいところですね」
冷静なシグベルの声に私は深く頷いた。
「そうね……この紋章の持ち主を突き止める。次はそこから始めましょう」
遺跡の方を振り返ると、遠くで微かな崩落の音が響いた。まだ終わりではない。だが、一歩ずつでも進めば、必ず真実に辿り着ける。
「帰りましょう。まだやるべきことがあるわ」
私は金属片を握りしめ、静かに歩き出した。
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