第27話貴族の影を追って(1)

 衛兵に付き添われ、ようやく屋敷へ戻る。ヒルダの出迎えに、張り詰めていた肩の力がふっと抜けた。遺跡の湿った空気を吸った服を着替えて身を清める。さっぱりした体で自室の窓から遺跡の方を眺めながら、小さくため息をついた。手には冷たい金属の破片――王冠をくわえた鴉の紋章が、燭台の明かりに鈍く光る。


「クレイヴは、貴族と繋がっている……」


 その事実が胸に重くのしかかった。ダイダリーに住む貴族は他の都市と比べれば圧倒的に少ない。その中に、腐敗をよしとする者がいるのだ。いくら領主の肩書があっても厳しい調査になるだろう。それでも、ダイダリーを変えるという覚悟を投げ捨てる気はない。私は紋章を握りしめ静かに目を閉じた。明日から、この鴉の主を追う。クレイヴに先を越される前に、私が仕掛ける番だ。


―――――――――――


 朝の冷たい空気が、昨夜の疲れをかすかに引きずる身体を引き締める。私は執務室の机に向かい、ダイダリーに住む貴族たちの名を整理していた。


「ダイダリーに住む貴族は、全部で七家」


 紙の上に並ぶ名前を指でなぞる。ロゼリア・ケイ・ライオネル、つまり私を除けば、ダイダリーの貴族は限られた数しか存在しない。その中に、クレイヴと繋がっている者がいるはずだ。


 ヴェルナー家 ……代々財務に関与し、都市の税収管理を担う。かつてあったという汚職疑惑が完全に晴れたわけではないが、都市の運営に深く関与している。果たして本当に潔白なのか……?


 モンタギュー家 ……警備を司る家系で、衛兵との関わりが強い。


 ドレイク家 ……古い名門貴族。今の当主は派手好きで、家の財産を浪費しているという噂がある。


 アルヴィン家 ……貿易と商業を生業とし、商人であるクレイヴと繋がりがあってもおかしくない。


 グラウベン家 ……教会との関係が深く、慈善活動で知られる。シグベルから何か聞けるかもしれない。


 エルンスト家 ……ライオネル家と深い関係にある、ヴィオラ様の実家。ルーディックの死後一度貰った手紙には寄り添うような文言があったが、どこまで本心なのだろう。


 ディートリヒ家 ……かつての革命の流れを汲む家。都市改革を掲げるが、その裏に何があるのか。


「どこも怪しく見えてくるわね……」


 ヒルダが静かに紅茶を置いた。湯気がふわりと立ちのぼる。彼女は、少し迷うようにしてから口を開いた。


「考えすぎると、余計にわからなくなりますよ」

「……ええ、まずは動かなくちゃね」


 ゆっくりとカップを口に運び、紙を折りたたんだ。いくつかの家は領地経営に専念しており、直接ダイダリーの腐敗に関わる可能性は低い。だが、残りの貴族たちは領主の死後も沈黙を守っている。まるで、何かを隠すように。


 七家……これがダイダリーを支配する者たち。そして、その中に――


「クレイヴと繋がる者がいる」


 私は静かに椅子から立ち上がった。まずは情報を集める必要がある。貴族同士の付き合いがなかった今、彼らを直接尋ねるよりも、周囲の評判や動向を探るのが先決だ。


「ルカに協力を頼むのも一つの手かもしれないわね」


 商人ならば、貴族たちの出入りや交友関係を把握している可能性がある。だが、彼に頼めば当然対価を要求されるだろう。それに……彼の笑顔の裏に何があるのか、私にはまだ見えないのだ。慎重に動かなくてはならない。


 私は深く息を吐き、書斎の扉を開けた。貴族の調査が、いよいよ始まる。


 遠くで、鴉が鳴いた。何かの予兆のように、鋭く、低く。


―――――――


 少し悩んだが、まずはルカにアルヴィン家について聞いてみることにした。もうすっかり自分の部屋だと言わんばかりに客室を占領しているルカを執務室へ呼び出す。きっとルーディックもこの調子で懐に入り込まれたのね。不意にそんなことを思った。するりとすり寄って、でも自分を掴ませない。しなやかな猫のような男だ。何度も頼りになったとはいえ油断は禁物。傍にヒルダを控えさせ、私はルカと向き合った。


「ルカ、あなたアルヴィン家の最近の取引について何か知らないかしら? 商人なら耳に入ることもあるでしょう?」

「へぇ、アルヴィン家。まぁダイダリーで商売するなら無視できない名前ですね。しかし最近の取引か……近頃はロゼリア様のことで忙しくてとてもとても」

「ここ一年くらいの動きでいいのだけれど」

「……特に変わった話は聞いてませんね。そもそも僕みたいな小さな商人には、アルヴィン家が携わるようなご立派な交易のことなんて回ってきませんよ」


 紅茶を飲んだルカの指がカップの縁を軽くなぞる。その目が一瞬泳いだのは気のせいだろうか? 私の視線に気付いて手を止める彼は、きっと何かを隠している。しかしそれを今追及してもはぐらかされるだけだろう。


「そう、ならいいの。また何か思い出したら教えてくださいね」


 にこりと笑いかけながら私は心の中で次の手を考えた。執務に戻るという理由でルカを退室させ、机の上の資料を広げる。彼の態度を思い出しながらアルヴィン家の資料を再度見直したが、やはり決定的なものはない。いたって常識的な商売だ。……私は商売の専門家ではないので分からないが、財務に詳しいテオドアが言うのでそうなのだろう。ただ、彼はこうも言っていた。


『ダイダリーのような都市では、多少不自然なくらいが丁度いいのですよ』


 確かに不正の余地はいくらでもある都市だ。そこで極めて綺麗な商売しかしていない、というのは逆に怪しいのかもしれない。アルヴィン家の取引に不自然な点があるかどうか、もう少し別の視点で見てみる必要がある。テオドアなら、表には出ない取引の裏側に何か気づいているかもしれない。彼は今ヴェルナー家について調べてくれているので、後でまた話を聞いてみよう。


「次はドレイク家を調べるわ。そうね……ギフティオの手は空いてるかしら?」

「すぐにお呼びいたします」


 ヒルダに連れられてギフティオがやってきた。こうしてみるとどこにでもいそうな青年なのよね。貴族の晩餐会で参加者を皆殺しにした毒殺犯とはとてもじゃないが思えない。どうしてルーディックは彼を雇ったのだろう。毒があることを除けば、料理はどれも一級品だけれど。……もしかして、彼の持つ知識がほしかったのかしら。


「おはようございます、領主様! 自分に一体何の御用でしょう?」

「ええ、最近の仕入れ状況について聞きたくて。何か変わったことはない? 市場の動きや、他の家……そうね、ドレイク家のことで」


 上機嫌でお茶菓子をつまむギフティオは、少し考え込むようにしてから答えた。


「そうですねぇ、ドレイク家と言えば、食材の注文が妙に豪勢でしてね。面白いですよ!」

「そうなの?」

「あの家の懐事情を考えれば、少し派手すぎるんじゃないかと。特にルシエールの月光茸にグリフォンサフラン! 普通は王都の宮廷くらいでしか扱えませんよ。いやぁ自分も使ってみたいですね、月光茸。……他の食材と組み合わせると、フフッ、ちょっと面白いことになりますし」


 ドレイク家の経済状況はあまり良いものではないと聞いている。それがそんなに高級な食材を? 資金はどこから捻出しているのだろうか。それに、ギフティオが口にした食材も気にかかる。ルシエールの月光茸は食べ過ぎると毒になり、グリフォンサフランは薬としても扱われるものだ。……正直に言って、怪しい。毒や薬はクレイヴの扱う分野でもある。私は手帳にいくつかメモをしながらギフティオの話を聞いた。


「それはどういう料理になるのかしら?」

「使われるのは共和国系の料理ですね! 産地もそっちの方ですし、それに効果も……」

「効果?」


 私が聞き返すと、ギフティオは辺りをきょろきょろと見渡してから声を潜めた。それでも目の輝きが隠せていない。内緒の話にワクワクしているようだ。


「まぁ、その、あれですね! ……領主様に言うのもなんですが、精力や活力の増強とか、媚薬とか、そういう系です。誰かを元気にしたいか……あるいは逆に衰弱させたいかのどちらかでしょう」


 ドレイク家は一体何を企んでいるのだろう。もう少し力を入れて調べる必要がありそうだ。……ギフティオがそういう料理に手を出したら、恐ろしいことになるでしょうね。少しゾッとしながら笑顔を作る。


「ありがとう、ギフティオ。勉強になったわ。他の家についても気になることがあったら教えてちょうだい」

「分かりました!」


 ギフティオが軽い足取りで去った後、私は手帳を閉じた。ドレイク家を調べる必要がある――その思いが強まる一方で、窓の外から聞こえた鴉の鳴き声が妙に耳に残った。まるで、誰かが私の動きを知らせる合図のように。

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