第24話選択の日(1)
目を覚ますと、すでに陽は高く昇っていた。昨夜の疲れがまだ残っているのか、体は重く、思考もぼんやりとしている。
「ようやくお目覚めですね、ロゼリア様」
穏やかな声とともに、ヒルダがカーテンを開けた。差し込む光に目を細めながら身を起こすと、枕元に小さな手紙が置かれていることに気が付いた。誰からだろう。疑問に思いながら封を開けると、そこに並んでいたのは簡潔な文章。筆跡に見覚えはないものの、書かれていた内容で誰のものかすぐに察した。
『あなたの選択、見届けました。今後の試練も乗り越えられることを祈ります』
シグベル……。今後の試練、と言う言葉に気持ちが引き締まる。恐ろしい夜は去ったが、本番はこれからだ。身嗜みを整え廊下に出ると、そこには見知った顔が待っていた。
「ロゼリア様」
ルカが軽く片手を挙げ、歩み寄る。その手には、封がされた手紙が握られていた。
「クレイヴから、手紙が来ました」
クレイヴ――その名に緊張が走った。ヒルダと目を合わせこくりと頷く。もうすぐ真実に手が届くのだ。クレイヴの企みに近付くためのものが、手紙には記されているかもしれない。
「中で話しましょう」
ルカとともにすぐ側の別室へと向かう。
その部屋は来客を迎えるための空間であり、応接室のような落ち着いた雰囲気を持っている。壁際の棚には銀の盆と茶器が並び、中央には小さなテーブルと二脚の椅子。
ヒルダがさりげなく立ち位置を調整し、すぐにお茶を用意できるように整えてくれた。
ルカは椅子に座ると、わざとらしく部屋を見回しながら口を開く。
「格式ばった部屋ですね。もう少し飾りつけてもいいんじゃないですか?」
「派手な装飾は好きじゃないの」
ルカの軽口を適当に流しながら手紙を受け取る。
「これが、クレイヴからの……」
「ちょっと朝の散歩に出てたら渡されましたよ。必ずロゼリア様が開けるように、と」
「分かりました。ありがとう、ルカ」
「……どういたしまして」
ルカは微笑んだが、その目にはわずかな躊躇が見えた。後で彼が屋敷を自由に出入りすることに許可を出すとしよう。昨日も助けてもらったし、もう少し警戒を解いても良いのかもしれない。そんなことを考えつつ封を開けると、中には一枚の紙が入っているだけだった。ゆっくりと、一文字ずつ内容を追っていく。
『試練に挑む覚悟があるのなら、夜、月が天の頂に昇る頃、北東にある古き遺跡へ。
必ず貴女自身が木箱を持って来ることが条件だ。また、同行者は二名までとする。
それ以上の余計な手は必要ない。また、そうすべきではないことは、貴女もよく理解しているはずだ。
選択の機会は今一度、貴女の手の中にある。さて、貴女はどちらの道を選ぶのだろうか。――クレイヴ』
「……試練、ね」
シグベルの手紙とクレイヴの言葉が奇妙に重なり、胸の奥がざわつく。私は手紙を握りしめ、ゆっくり息を吐いた。
「どうしますか?」
ヒルダが問いかける。彼女の声は落ち着いていたが、その瞳は鋭く、慎重にロゼリアの決断を待っていた。
「行くしかないわ。問題は同行者だけど……」
「僕を連れてってくださいよ、結構役に立つのはもうお分かりでしょ?」
言葉は軽薄だが、その口元にはいつもと異なる真剣さが滲んでいた。商人としての口の上手さ、短剣を扱う手捌き、咄嗟の魔術。確かに彼は頼りになるだろう。ただ――
『アレのことは信じるなよ』
そう警告したレインの声が忘れられない。ルカを信じきることは、まだできなかった。
「ええ、そうね。お願いするわ」
それでも私は唇の端だけを持ち上げるように笑った。自分でも、それが笑顔というより仮面のように思えた。疑っていると悟られたくない。その気持ちがどこから来るのかには目を逸らしながら、私は一人目の同行者をルカに決める。
「もう一人はどうしようかしら、流石に衛兵は駄目よね……」
「そんなことしたら、せっかくの交渉が台無しですよ」
ふふ、と柔らかく笑う彼に先程までの緊張感はないようだ。不思議な人、と思いながら見ていると、不意にヒルダが口を開いた。
「他の準備をしながら考えましょう、お手伝いいたします」
「それもそうね」
彼女の言うことは正しい。時間も限られているのだから、できることはしておかなければ。まずは護身用のスクロールの用意だ。
「ルカも必要なものがあれば用意しておいて」
「そうさせていただきます、女性の身支度を覗くわけにもいきませんしね」
ルカが退室し足音が小さくなっていくのを見計らい、私はヒルダに伝言を頼む。
「ブレントを通じてライル達に今夜のことを伝えてもらえる?」
「直接お会いになられないのですか?」
「昨日の影の市で確信したのだけれど……私の動きは見られているわ」
本当なら私が直接頼みに行きたいが、衛兵への接触はリスクだ。もし彼らに護衛を頼んだことが知られれば、クレイヴは衛兵を警戒して出てこない可能性がある。何かあれば動けるように、人伝に頼むことが精一杯だろう。
しっかりと頷くヒルダに後を任せ、私も準備に取りかかる。ライル達を控えさせることしかできないのは残念だが仕方ない。気持ちを切り替え、やれることをやらなければ。
「防壁のスクロールは必須として……身体強化はブローチの方が良いかしら」
一度私室に戻り、スクロール作成用の道具を出す。魔術式を書き込みながら必要なものを洗い出していった。短距離転移に幻惑、魔術封じ……どれも役に立つが、流石にすべては持っていけない。言伝を終えたヒルダにも相談しつつ装備を選ぶ。
「大体こんなところね」
「少し物足りない気もしますが……」
「あまり多くても重くて動けないわ」
二人でああでもないこうでもないと話していると、テオドアが扉をノックした。
「失礼いたします、ロゼリア様。ルカ・フィッツ様が準備のことでお話があると」
「すぐに行きます」
用意できた物を持ち応接室に移ると、テーブルの上には所狭しと怪しげな物品が並べられていた。椅子に腰かけたルカはにこにこしながらこちらを見てくる。
「……これは?」
「ロゼリア様の護身用に、色々と良いものをお持ちしましたよ」
一見すると何に使うか分からないものもあるけれど、まずは話を聞いてみることにしよう。私はとりあえず近くにあった扇を手に取る。落ち着いた色味で品の良いものだ。これが護身用?
「お目が高いですね、それは短剣が仕込んであるんですよ。いざという時には敵をザクっと!」
ルカのジェスチャーに合わせて扇の上半分を引き抜くとギラリと輝く刃が現れた。驚いてすぐに戻す。もしかしてここにあるものはそういう油断ならない品ばかりなのかしら。
「さて、他にもお勧めの品がございますよ。ぜひご覧ください」
ルカは得意げに両手を広げると、テーブルの上の品々を指で弾きながら説明を始めた。次に手に取ったのはしっかりとした作りの指輪だ。
「こちらの指輪、ただの装飾品に見えますでしょう? ですが、ここを押すと——」
ルカが指輪の小さな宝石を押し込むと、細い針が飛び出した。
「扱いにはご注意を。先端にはほんの少しですが、麻痺毒が塗られておりますのでね。しつこい男にはこれで軽くお仕置きを!」
「そんな使い方はしません」
私はそう言いながらも、針の細さには少し感心した。油断した相手に一撃与えるには十分だろう。もっとも、今から行く場所にそんな油断した人間がいるかという話だ。
私の視線が冷たいことに気付いたのか、指輪を置いたルカは急いで次の商品を手に取った。
「次に、こちらの煙玉。緊急時の撤退に大変便利です」
小さな玉をひとつ取り上げて見せる。このサイズなら持ち運びにも困らないし、敵の視界を防ぐのには便利そうだ。
「普通の煙玉との違いは……香り付きという点ですね。ローズ、ラベンダー、ミントと三種類ございます。逃げる際も優雅に、というのがコンセプトでして」
「……いらない機能だわ」
私はため息をついたが、ルカは気にした様子もなく話を続ける。
「そしてこちらが、最新作の手袋です」
そう言って柔らかい革の手袋をロゼリアに差し出した。次は何が出てくるのかしら?
「この手袋、指先に鉤爪を仕込んでありまして。いざという時には相手の肌にひっかき傷をつけることができます。さらにこの部分を引っ張ると——」
シュルルッと、手のひらから細いワイヤーが伸びた。
「落下時の命綱になりますよ。例えば、屋根から落ちそうになった時に上手く引っかければ助かるかもしれません」
便利かもしれないが、私には扱えるだろうか。屋根から落ちる時があるとは思えないし、そんな時に初めて手にするこれを使いこなせるかも分からない。ルカなら使いこなしそうだけど。
「そんな事態にならないようにしたいものね」
その後も次々と奇妙な商品の説明を受ける。彼の語り口は巧妙で、一瞬必要なのかもと思わせられるのは流石商人と言ったところだろう。
「…………いくつかいただくわ」
「ありがとうございます」
その中から私でも簡単に使えて役に立ちそうな物を購入することにした。上手く乗せられてる気がしなくもないけれど、便利そうなのは確かだ。「まとめてご購入いただいたので少しお安くしておきますね」とにっこり笑うルカに、私は小さく溜息をついた。
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