第16話毒と秘密と前領主(4)

「倉庫は二か所あるんですけど、ルーディック様が入られたことがあるのはこっちだけですね。食堂で皆さんに聞いたら教えてくれました」


 いつの間にか情報収集がされている。変わってるけど、意外と優秀な人なのかもしれない――そんな風に考えていると、ガチャリと倉庫の鍵が開き扉が開かれる。その瞬間、ひんやりとした空気が頬を撫でた。食材を保管する関係上一定の温度に保たれているようだ。天井に刻んだ低温維持魔術の効果だろう。


 一歩足を踏み入れると、湿気を抑えるために床に敷かれた干草がわずかな音を立てた。棚には整然と並べられた小麦粉や乾燥果物、塩の袋が目に入る。使用人たちが気を使って掃除をしているため埃ひとつもない。匂いもなく、むしろハーブの香りがほのかに漂っていた。屋敷の他の場所とは違って、この空間には静けさがある。……静かすぎて、まるで何かが隠れているような見えない気配が漂っていた。


「倉庫のほとんどが普通の食料なんですけど、ほら、この辺り! この辺りは自分が管理させてもらってるんで、毒ですよ!」


 緑や紫などの鮮やかな色をした野菜、一見すると塩や小麦粉のように見える白い粉、深い赤色の綺麗な液体。よく見ようと伸ばした手を引っ込め、慌てて服の端で拭う。うっかり毒に触れて倒れたりしたくはない。ギフティオは「本当はキノコも自分で育てたりしたいんですけどねぇ」と愛おしそうな目で毒物たちを眺めている。多分、彼がこの屋敷で一番まともじゃない。


「ひ……ヒルダ、その、何かおかしなところはない? 私、倉庫は初めてだから……」

「そうですね……毒の周りは料理長以外が触れることはないですから、他のところを見た方が良いかもしれません」

「怪しいのはこういった木箱や樽でしょうか。あまり使われない物もあるでしょう」


 シグベルが躊躇いなく木箱を開ける。中には藁に包まれたガラス瓶が見えた。赤みを帯びた液体が揺れ、木箱の蓋には先ほども見たダイダリーにある商会の印が押されている。私が開けた別の箱には、蜜蝋で封じられたチーズの塊が並び、熟成された芳醇な香りが鼻をくすぐった。


「あ! その辺りはルーディック様用の高級品ですね! 余程お気に入りだったのか、商人の方と一緒に入られるのを見たことがあります」

「その商人の名前は……流石に、知らないわよね」

「いえ、覚えてますよ。セイラー・ロス様、なんとちょっと毒を盛っても平気な方だったので印象に残ってます」


(……え、普通に受け流していい話? いや、ダメよね?)


 重要な情報と恐ろしい情報を一緒に伝えてこないでほしい。セイラーとルーディックが倉庫に出入りしていたということは、間違いなくここには何かがある。次の箱を開けてみながら私は思った。


(頼むからお客様には毒を盛らないで……!)


 頭痛と胃痛を堪えつつ開けた今度はヒルダが開けた箱を見る。これまでの木箱と違い、そこには食料品が入っていなかった。ハーブだろうか? 草がいっぱいに詰め込まれ、少し薬っぽい香りが辺りに広がる。


「これは何かしら」

「えっ……なんですかね? ハーブ? でも自分見たことないですけど……」


 そう言うとギフティオは指先で少し揉んで匂いを嗅ぎ、それから興味深げに少しだけ口に含んだ。


「うーん、毒のような薬のような……食べ過ぎると体に悪そうですね。つまり美味しくなるものです!」


 草を噛みしめながら満足気にするギフティオの言葉に絶句していると、シグベルが冷静に箱の中を見つめ、指先で一房つまみ上げた。


「……これは珍しいものですね。魔術や薬の材料になる草のようですが、通常の流通にはほとんど出回らないはず」

「つまり?」

「ここにあるのは不自然だということです」


 シグベルの指摘に私も箱を覗き込もうと体を伸ばすが、ギフティオが邪魔をして届かなかった。


「ちょっとどいてもらえるかしら。その箱を見たいのだけれど」

「あ、はいはい! じゃあ一回これをそっちに――ん?」


 ギフティオが箱の位置を変えようとした瞬間、彼の動きが止まる。その手元を覗き込むと、床に不自然な隙間があることに気づいた。倉庫の床材と微妙に色合いが違い、そこだけが新しい。試しに指をかけると、少し浮くような感触があった。


「……この下に、何かあるわね」

「おおっ、隠し床ですか!? こういうのワクワクしますね!」


 楽しそうなギフティオを横目に、私は慎重に板の縁をなぞった。やっぱりそうだ。単なる床板に見えるが、かすかに動く。シグベルも気づいたのか、無言で箱をどけていく。木箱を全て移動させると、床板の一部が外せるようになっていた。私は息を呑みながら手をかける。冷たい空気が指先に触れ、思わず身震いした。


「開けますよ」


 ゆっくりと板を持ち上げると、そこには暗がりへと続く階段が隠されていた。空気の流れが下の空間の存在を確かに感じさせる。


「……やっぱり何かあったわね」

「さて、何が出てくるんでしょうねぇ!」


 無邪気な声とは裏腹に、私は確信する。ここには、ルーディックの秘密が眠っている――。


 わくわくしているギフティオには悪いが、彼をこの先に連れて行く気はない。前領主の隠し事が何か、それがどのように影響するのか読めないからだ。秘密を知る人間は最小限にしておきたい。


「ギフティオ、倉庫の案内ありがとう。そろそろあなたは戻ってください」

「え〜! 自分も行きたいです! こういうところには絶対美味しいものがあるんですよぉ……」


 間違っても食材はないと思う。食い下がられて困っていると、ヒルダが助け舟を出してくれた。


「料理長、ロゼリア様にお食事を作っておいていただけますか?」

「…………分かりました。あ、そうだシグベル様は!? シグベル様、屋敷でお食事されたことありませんよね? このギフティオ、腕を振るいますのでぜひ食べていってください!」

 

 渋々、と言った体で引き下がるギフティオだったが、すぐシグベルに関心が移ったようだ。感情の動きが本当に読めないわね……。唐突に話を振られたシグベルはわずかに眉をひそめている。


「いえ、私は……」


 シグベルは料理長の悪癖を知って避けようとしている。逃がしてたまるか、とばかりに私はにっこりと微笑んだ。


「もちろん食べていかれますわよね?」

「自分、気合入れて作りますね!」


 ギフティオが追い打ちをかけるとシグベルの顔に薄く困惑と焦りが浮かぶ。いつもは真っすぐ相手を見る瞳も、気まずそうに逸らされた。

 普段ならすぐ「結構です」と断りそうなものだが、今なら押せばいけそうだ。


「シグベル様が残されるような料理なんて作らせませんわ。ぜひご一緒に」

「…………え、ええ。ではご相伴にあずかりましょう」

「よっしゃ! 一度食べてみてほしかったんですよ!」


 ギフティオは彼の管理している棚に近付き、いくつか瓶を手にした後上機嫌で倉庫から出ていった。……ただのスパイスだと良いのだけれど。


 賑やかだった空間に静けさが戻り、下からくる冷気がいやでもこの先のことを想像させる。


「では、行きましょうか」


 普段の冷静さを取り戻したシグベルが先頭を買って出る。私はその後ろに続き、背後を警戒しながらヒルダが最後尾についた。カツン、と階段を降りる硬い足音が響く。この先に何が待っているのか……ごくりと唾を飲み込み、ジグベルの手で開かれた秘密の部屋へと足を踏み入れた。


 薄暗い空間には、整然とした書類棚と実験器具が並ぶ机があり、壁には何かの資料らしき紙が貼られていた。ルーディックが亡くなってから出入りする人はいなかっただろうに、あまり埃っぽくはなかった。


(研究資料、かしら……?)


 魔術学校の教授がこういう部屋を持っていたことを思い出す。ルーディックはこの隠し部屋で何かを調べていたようだ。


「これがルーディック氏の秘密、ですか」


 シグベルが机の上にあったノートを開く。それをのぞき込むと、彼の研究成果とでも呼ぶべき物が記されていた。細かいところはよく分からなかったが、不妊の原因とソルミナについて調べていたようだ。


「ルーディック様は、やはり後継者について気にしておられたんですね」

「でも、それならどうして養子を取らなかったのかしら……」


 その理由は死んだ本人に聞かなければ分からない。モヤモヤとしたものを抱えながらページを読み進める。そこには「しばらく服用を続けたが効果が見られない」 という記述があった。これは恐らくソルミナのことだろう。


 ルーディックは、薬の効果を疑い始めていたのだ。また、「ある種の毒物が不妊の原因になる可能性」 についての考察も書いてあった。それが何を指すのかは不明だが、言葉の端々に商人が提供したものへの不信感が見て取れた。


「ルーディック氏と商人の関係には複雑なものがありそうですね」

「ええ。書斎の手紙とは全く違うわ……」


 書斎で見た親しげな手紙よりこちらに書かれている日付の方が新しい。当初は信頼していた商人を次第に疑うようになった――そんな想像が浮かび上がる。


「ロゼリア様、奥にこんなものが」


 ノートを読む私達にヒルダがそう言って差し出したのは、日記の一部のようだった。そこには、ルーディックが商人を疑い始めた経緯が書かれていた。


『ヴィオラの体調不良は、商人から買った首飾りを身につけた後に始まった』

『ソルミナの効果は証明されていない。それどころか、何かが隠されている可能性がある』


 ……ルーディックは気付いていたのだ。ヴィオラが持っていた首飾りの怪しさに。しかし確証はなかったのだろう、すべては疑問の範囲に留まっていた。徐々に力を失っていく字は、彼が精神的に弱っていったことをうかがわせた。私が初めて見て、そして最後になったルーディックの姿とはあまり結びつかない。彼が生きていれば、深く知る機会もあったのかもしれないけれど。


「ルーディック氏は疑心暗鬼になっていたのでしょうね。信頼していた商人が敵だったかもしれない……その心労は、察するに余りあります」


 口ではそう言いながらもシグベルは淡々と隠し部屋の調査を進めていく。壁の棚から取り出したのは、黒い表紙の帳簿だった。


「裏帳簿、というものでしょうか……いかにも貴族の方の好みそうなことです」


 ヒルダの口調には若干の含みがある。貴族に関してはまだ思うところがあるらしい。否定はできない、と私は苦笑いを浮かべながら帳簿を開く。


 そこには、闇市での取引について記されていた。『呪いの首飾り』『情報取引 』といった文字と金額が端的に書かれている。特に呪いに関しては細かな取引を何度も重ねているようだった。


 ルーディックは呪いの品の出どころを探っていた、ということだろうか? 帳簿の一部には、闇市での取引相手の名前も記されている。これは何かの手がかりになるかもしれない。


 私は帳簿を指でなぞる。商人とルーディックのやり取りが詳細に記されており、重要な手がかりになりそうだったが……半端な文章で途切れた次のページが、存在しない。ここにはいったい何が書かれていたのかしら?


「このページだけ、破られているわ」

「それも気になりますが、今は分かることだけをまとめましょう」


 机の上に得たものを広げ、三人で情報を仕分けする。調べれば調べるほど謎が増えるばかりだが、確かになったこともある。


「……つまり、ルーディック様は首飾りが呪われているかもしれないと思い、それを調べるために闇市で情報を集めていたということでしょうか」

「商人は彼に疑われ、姿を消した。まるで、何かを隠すように……」


 二人の話を受け、私の中で一つの線がつながりかける。しかし、決定的な証拠はまだない。これからさらに調査を進める必要があるのだった。


 その手がかりは『セイラー・ロス』。そして『ソルミナ』……。私は次の行動を決めた。


「まずは商人としてのセイラーを調べましょう。彼が関わってるのは間違いないわ」

「今のところ最も重要な人物でしょうね」


 シグベルの言葉に大きく頷いた。一連の事件には彼の影がある。調べる先は商会だろうか。他の商人にも話を聞けたら……と思ったところで私のお腹が鳴った。そう言えば今朝から何も食べていない。


「その前に、食事にしましょうか。もちろん、シグベル様もご一緒に」

「…………そう、ですね」


 若干嫌そうな顔をしたシグベルと、少し機嫌の良いヒルダを連れて屋敷に戻る。食事の準備が整っているのか屋敷の中には食欲をそそる良い匂いが漂っていた。


「お帰りなさいませ、領主様!」


 食堂ではギフティオが待ちかねたと言わんばかりに顔を出す。料理は完璧なタイミングで用意されていた。本当に優秀な料理長だ。スープを口に含むと、優しい味わいが広がった。思わず目を閉じてしまうほど、身体に染みる温かさだった。


「滋養強壮に効くものをご用意いたしました。少々毒があって、美味しく元気になれますよ!」

(客人がいてもやめる気はないのね。本当にこれさえなければ……)


 私は内心呆れながらも、向かいに座るシグベルの何とも言えない表情が見られたので良しとすることにした。


「まさか私がここで食事をすることになるとは思いませんでした」

「これも神の導きかもしれませんよ?」


 茶化すヒルダにシグベルは溜息をつく。それでもちゃんと食べてくれる姿には好感が持てた。


「これからも忙しくなるわ、しっかり食べてまた動きましょう」

「ええ、そうですね」

「もちろんです、ロゼリア様」


 二人の返事を聞きながら、私は柔らかなパンを口に運んだ。

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