第15話毒と秘密と前領主(3)
しかしそれはまだ後の話だ。先に屋敷内を調べなければ。私は書斎からルーディックの私室へ繋がる扉に視線を向ける。
「ここに入るのは久しぶりです……」
テオドアが少し躊躇うような素振りを見せた。私も流石に一日とはいえ夫だった人間の部屋に入るのは緊張する。数々の本を興味深そうに見ていたヒルダを引っぱり恐る恐るルーディックの私室へ向かった。シグベルはここで遠慮する人間ではないので当然のような顔をしてついてくる。別に構わないけれど、一言くらいあってもいいんじゃないかしら?
「こちらが領主の私室ですか。……あぁ、元、領主でしたね」
入った瞬間、彼は手際良く戸棚を調べ始めた。ヒルダはベッド脇のデスク、私は少し迷ってから衣装棚を見てみることにした。ベッドには近付くのが少し嫌だったのだ。かといって衣装棚に何かあるとは思えないけれど。
(ん? これは随分地味な……というか、まるで平民みたいな服ね)
領主に相応しい上質な布で作られた服ばかりの中、その粗末な衣装は酷く目立った。汚れこそないが、どうにも作りが荒い。サイズは他の物と変わらない分、その違和感は強く残る。変装用かしら、なんて昔読んだ物語を思い出す。位の高い貴族が庶民に変装してこっそり町中を歩くのだ。
「ルーディック様がこのような物をお持ちとは知りませんでした」
微かに震えたテオドアの言葉で空想から戻ってくる。執事でも知らないのなら、これはルーディックが死ぬまで隠し通した秘密の一端なのだ。少し寒気を感じながら、一通り衣装棚を確認して扉を閉める。その間に戸棚を調べていたシグベルが静かに近付いてきていた。気付かず振り向いた瞬間、視界を覆う真っ白な服に腰を抜かしそうになる。
「きゃっ!」
「失礼しました。それよりもロゼリア様、こちらをご覧ください」
私の悲鳴を一言でさっと流さないでほしい。しかしシグベルの情報は気にかかる、と彼の手元を見ると、そこには小ぶりな瓶があった。中身は錠剤で、まだ半分ほど残っている。
「戸棚の中にしまわれていました。……これが、ソルミナのようです」
(この薬が……!)
思わず息を呑む。茶色の瓶には確かに『ソルミナ』と書かれたラベルが貼られていた。小ぶりなガラス瓶はひんやりとした光沢を帯び、手に取れば、指先から不気味な重みが伝わってくるようだった。
「ルーディック様は、これを飲んでいたのね……」
でも、何のために? 胸の内に冷たいものが広がる。思わず息を吐くと、ヒルダがそっと私の隣に寄ってきた。
「薬、ですか……? どんな効果のものなのか、ご存じで?」
「いえ、まだ分からないわ。ただ……」
瓶を見つめながら、私は違和感を覚えた。こうして見る限り、普通の薬と変わらない。しかし、なぜか直感が警鐘を鳴らしている。
ルーディックはこの薬を何のために服用していたのか。本当に『悩みを軽くする』だけのものなのか。
「もう少し見せてもらえますか?」
シグベルが瓶を受け取り、ラベルの細部までじっくりと確認する。その青い瞳には冷静な光が宿っていた。
「成分表の記載はありませんね。処方箋の類も見当たりませんでしたが……」
彼の言葉に、胸がざわめく。普通の薬なら、成分表や服用の注意書きがあるはずだ。それがないということは――
(やはり、ただの薬ではない?)
私はシグベルの手の中の瓶を凝視した。『ソルミナ』と記された茶色の瓶。ルーディックはこれを何のために飲んでいたのだろう。
「他に何か手がかりがないか、もう少し調べてみましょう」
今度は戸棚の引き出しを開けてみる。書類や筆記具が整然と収められているが、その中に紛れるようにして小さな紙片が挟まっていた。
(何かのメモ……?)
紙をそっと広げる。そこには短い文字が、走り書きのように記されていた。
――用法用量を守ること。服用後、眠気やふらつきが出る場合あり。過剰摂取は不可。冷暗所に保管。最後に、違う筆跡で掠れるように『倉庫』とだけ書き込まれている。
「……眠気? ふらつき?」
これだけでは詳細は分からないが、薬の性質が少しだけ見えてきた。ルーディックはこれを何のために服用していたのか。私はメモを手帳に挟み込み、次の手がかりを探す。
ふと部屋の隅に目を向けると、棚の下に何かが突っ込まれているのが見えた。屈んで取り出してみると、それは古びた靴だった。
「……これは?」
とてもじゃないが地位のある者が履く靴とは思えない。革の質も縫製も粗末で、貴族どころか普通の商人ですら履かないようなものだった。サイズは彼のものと一致するが、どうしてこんなものが?
まさか、彼はこれを履いてどこかに出かけていたのだろうか。
衣装棚の中にあった平民のような服、そしてこの靴。組み合わせれば、ルーディックが身分を偽ってどこかに赴いていた可能性が浮かび上がる。
「ルーディック氏は、何を隠していたのでしょうね」
シグベルが戸棚を閉じながら呟く。私は靴を見つめたまま、広がる疑念を振り払えずにいた。
「ロゼリア様、次はどこを探しましょう」
ヒルダに問われ、ハッと我に返る。そうだ、まだ調べないといけないことはあるのだ。気になるのは、倉庫。ひとつだけ違う筆跡は、他の書類で見たルーディックのものに似ている。もしあれが本当に彼のメモなら、倉庫にはソルミナか、それに関わる何かが保管されているかもしれない。
「倉庫に行きたいわ。誰か詳しい人はいる?」
「倉庫となると他の使用人か……そうだ、料理長はどうでしょう。物資の管理でよく出入りしておりますし」
料理長のギフティオか……彼、美味しくするためと言って料理に毒を盛るし、何を考えているか分からなくて少し苦手なのよね。でもヒルダ達は特に違和感を覚えていないようだから、私がまだ慣れていないだけなのかしら。彼もこの屋敷の一員なのだから、上手く付き合いたいものだ。
そう思いながらルーディックの私室を出ると、なぜかギフティオが待ち構えていた。
「そろそろ自分をお呼びになるかと思いまして!」
「なんで!?」
「そういう匂いがしたんですよ。あ、あと何かを探しているご様子だったので。そろそろ倉庫の話題が出る頃合いかな~と思いまして! 倉庫と言えばこのギフティオです!」
…………やっぱり無理かも。ちょっと諦めそうになる。テオドアは「私は一旦仕事に戻ります」と言ってそそくさと去ってしまうし、残り二人は気にしていない。ヒルダはこれまでのことをメモにまとめていて、シグベルはただ静かに頷くだけだ。私だけか、ついていけてないのは。
「よ、よろしくお願いしますね」
「はい!」
結局、妙に元気のいいギフティオの案内で倉庫に向かうことになった。
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