第13話毒と秘密と前領主(1)
空の赤が、ゆっくりと黒へ溶けていく。街の灯りがぽつぽつと灯りはじめ、街には夜の気配が忍び寄っていた。
シグベルは窓の方を向いたまま、静かに目を伏せる。
「……少し、奇妙なことがあります」
「奇妙なこと?」
思わず問いかけると、彼は一呼吸置いてから私の方へ向き直った。
「ロゼリア様がいらっしゃってから……いえ、その少し前からでしょうか。この都市では以前なら起きなかったようなことが続いています。不自然に増える死者、出回るはずのない物資。先日起こったスクロールの横流しなども、その一件です」
私は衛兵の訴えた物資不足の件を思い返す。横領したスクロールを買い取る者がいたこと、その行く先の謎。そして、事件の時のシグベルの焦りを。
彼があの時普段より感情を見せたのは、前から追っていることと地続きだったからなのか。
「私に話してしまって、本当に良かったのですか?」
「……そうですね」
彼はゆっくり息を吐くと視線を外した。その手が一瞬、聖衣を強く握りしめる。
「本来なら、あなたに深く関わらせるつもりはありませんでした。ロゼリア様がここまで踏み込まれる方だとは、思っていなかったので」
甘く見られたものだ。確かにかつての私は貴族として普通に過ごしてきた人間だった。しかし、今は領主なのだ。この都市と、この都市に住むすべての住民を守る義務がある。
それに――私は後悔しているのだ。ルーディックが死んだ日、その理由を曖昧にしたことを。周りが怖くて戦うことから逃げ、賢い振りをして目を瞑ったことを。そんな自分が、許せなかった。
だからもう目を逸らしたくない。私は真っすぐにシグベルを見つめる。
「この都市に問題が隠れているというのなら、私は必ずそれを暴き解決します。領主としての、責任です。シグベル様が私を利用なさると言うなら、それでも結構」
ルーディックの葬式の後に言われた言葉は今でも覚えていた。『責務を果たせぬなら、次のライオネルが来る』。
……私が駒として使えないなら、挿げ替える気だったのだろう。あの日の私はシグベルの手の上で踊るしかなかった。
今は、違う。彼の手を飛び出してでも、ダイダリーを守ると決めた。私が信じた人達のために、この都市の敵と戦う覚悟はできている。
シグベルは「恐ろしい人だ」と軽く微笑んだ。表情に含みは感じなかった。そして、彼がもう一度口を開く。
「あなたを駒として使うつもりでしたが、どうやらそれでは足りないようです」
シグベルは静かに手を差し出した。
「ロゼリア様。私と共に、真実を追っていただけますか?」
その手を取らないという選択肢は、存在しなかった。差し出された手に自らの手を重ねる。ひんやりとした手だ――そんなことを思っていると、彼は少し考え込むような顔をしながら提案した。
「では今夜にでも……そうですね、まずは屋敷から調べましょうか」
「お待ちください、シグベル様」
私より先に言葉を返したのはヒルダだ。その声にはいつになく棘があった。
「ロゼリア様は今朝倒れられてるんですよ? その後も十分お休みになられることなく……今すぐ動けと言うのは無理があるのでは?」
シグベルはヒルダを一瞥する。彼の青い瞳は何の感情も見せることなく、ただ事実だけを口にした。
「無理を承知で申し上げています。時間が経てば証拠は消える。あなたもそれは理解できるでしょう?」
「ですが、ロゼリア様の身を案じるのも私の役目です!」
珍しく声を荒げるヒルダに、私は苦笑した。そこまで心配されるのはありがたいが、今は休んでいる暇などない。一刻を争う事態なのは分かっていた。……けれど、私の体が万全でないのも、事実だ。また倒れてしまっては迷惑をかけることになるだろう。
「ヒルダ、ありがとう。今夜は休ませてもらうわね。明日の朝には、動けるようになるわ」
そう言うと、ヒルダはまだ不満げに眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。
シグベルも小さくため息をつく。
「……では、そのように準備をしておいてください」
そう言って彼は去っていった。ヒルダはまだシグベルへの怒りを顕にしながらも、「あの方のことは気にせず休まれてくださいね」と頭を下げて退室する。
ああ言ったため、身体活性魔法を使ってでも明日には元気にならなくては。私はベッドに体を横たえ、これからのことを考えながら眠りに落ちていった。
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