第3話侍女ヒルダの沈黙(2)
外に出ると、既に太陽は高い位置に昇っていた。午後からの公務のため急いで帰ることにする。行き交う人達や衛兵がちらちらとこちらを見ていた。領主一人で歩いているのが珍しいのか、それとも何か噂でも流れているのか。心当たりは山のようにあるが、気にしている場合ではない。
屋敷に戻ると、玄関でヒルダが腕を組んで待っていた。口元はへの字に結ばれている。どこか不機嫌そうに見えるのは気のせいだろうか。
「領主様」
「はい」
かけられた声は硬い。子どもの頃の家庭教師を思い出し体が強張る。さ、流石は元教師と言ったところね。でも私はもう大人で、領主だ。先生を怖がっていた頃の小さな私ではない。
「お出かけの際は目的地を必ずお教えくださいね。皆領主様のお顔が見えないと不安がっておりましたよ」
「す、少し外の空気を吸いに行くと言いました」
「教会は少しの距離ではございません。てっきりお庭辺りにいらっしゃるのかと……」
何故か教会に行ったことまで知られている。私の動きは誰か――ヒルダの関係者に、見られていたようだ。まさか内容までは聞かれてないわよね? 犯罪歴を調べられるなど気分のいい話ではないだろう。それが許される関係でないのはよく分かっていた。
ある程度は監視されている、と思って動いた方がいい。本当は衛兵の詰め所にも行きたかったが、止めた方が良さそうだ。しばらくは屋敷内で大人しくしていよう。
けれど調査を止める気はない。外に行きにくいのなら中で調べるまでだ。私は侍女を下げ、執務室に執事のテオドアを呼び出した。彼にいくつか公務について確認した後、本題……ヒルダのことを聞いてみる。
「ヒルダは元々教師をしていたと聞いたのだけれど、何故この屋敷に?」
「ルーディック様の意向にございます。当初は戸惑っておりましたが、今は屋敷で一番の侍女でしょう」
「そうね。ダイダリーでなくてもやっていけるのではなくて?」
私がそう口に出すと、執事は重々しく首を振った。白髪の混ざった髪がはらりと落ちる。老齢の彼に負担をかけているようで心苦しい。それでも、私は彼女のことが知りたかった。
「……貴族嫌いの元革命家に、ここ以外の居場所はありませんよ。領主様の庇護が必要です」
革命家という時点で薄々察してはいたが、『貴族嫌い』か……。これまで一切それを感じさせなかったのは流石だ。テオドアの言う通り、一流の侍女なのだろう。仕事ぶりに不満はないが、問題なのは彼女の本心だ。
「他の使用人や衛兵とも上手くやっているようです。今は考えを改めたようですし、領主様が心配されるようなことはないかと」
(ヒルダは一体何を考えているのかしら。……まさか、衛兵と何か企んでいる? でも怪しいのはあの密会だけだし、飛躍しすぎね)
ただ、領主が交代したばかりのダイダリーはまだ不安定だ。もし反乱が起こるようなことがあれば、私の立場はあっさりと崩れ落ちるだろう。嫌な想像に背筋が粟立つ。
「それもそうね。もういいわ、下がってちょうだい」
冷めてしまった紅茶は味がしなかった。膨らんでいく疑念に振り回されながら仕事に戻る。えっと、次は教会への寄付についてか。
『過去の罪が、未来を決めるわけではありません』
『教会』の文字でふとシグベルの言葉を思い出した。過去は過去、と割り切れたら良いのだけれど。そう思うにはまだ彼女と過ごした時間は短く、知らないことも多い。もう少し信じられるようなものがあれば……。
(衛兵にも話を聞いてみたいわ)
詰所まで行かなくても衛兵はいる。屋敷を警備する誰かを捕まえてみよう。それがあの日の衛兵だと良いが、きっとそう上手くはいかない。そんなことを考えながら仕事を終えて屋敷を歩いていると、「領主様」と声をかけられた。年若い衛兵だった。まだ入って日が浅いのか、装備は新品のように輝いている。
「何かしら?」
「先生の……ヒルダさんのことですが。もう手を引いていただけませんか」
「手を引く、ね……」
「あの方は自分にとって大切な人で……お願いです、これ以上の深入りは、」
この様子……ヒルダの教え子? そうなると私を監視していたのは彼の可能性が高い。なんにせよ、そちらからやってきてくれるとは都合が良かった。どうやら私は随分と核心に迫っていたようだ。もう少し話を聞こう、と思っていると悲鳴のような声が割って入る。
「ブレント、あなた何をしているの!」
ツカツカと近付いてくるのはヒルダだ。その顔は真っ青で、握りしめた手はわなわなと震えている。怒っている? いや、これは違う。
「何もしないように言ったでしょう! せっかく衛兵になれたというのに……!」
心配だ。この衛兵――ブレントのことを心配して語気が荒くなっている。珍しい、と思った。私の傍に控えるヒルダはいつも落ち着いている。こうして取り乱す姿など初めて見た。よほどこの衛兵のことが大事らしい。
「少し落ち着いて話しましょう。執務室で良いかしら?」
「こんな話をする必要はありません!」
「立ち話でも構わないけれど」
「それは……」
動揺しているヒルダに構わず歩き出す。すると金属が擦れる音を立ててブレントがついてきた。彼が来るならヒルダも追いかけない訳にはいかない。私たちは三人並んで執務室に入った。近くにいた他の侍女に、しばらく誰も近付けないよう言いつける。
「やっと話ができるわね」
「そのことですが、領主様。全て忘れていただくことはできませんか? 私は、あなたに害をなすつもりはありません」
「それを判断するのは私です」
「そんな!」と声を上げたのはブレントだった。この世の終わりだと言わんばかりの悲痛な顔をしている。まるで私が悪者みたいじゃない。少し面白くないけど、仕方ないわ。
「ヒルダ、私はあなたの罪を知っています。ですがそのうえで、今のあなたを信じたいとも思っています。…………あなたの話を、聞かせてください」
「…………そこまでおっしゃるのなら。ですが一つだけ約束してください。私の話は構いませんが、ブレントのことは……彼のことは、どうかここだけの秘密にしていただけませんか」
それは内容による、と言いたいのをぐっと堪える。ここは彼女の条件を飲むべきだ。ずっと知りたかったことを教えてくれるというのだから、秘密のひとつやふたつ抱える覚悟はある。目を合わせて頷くと、ヒルダは震える口で語りだした。
「私はかつて、教師でありながら革命活動に参加していました。憤り、があったのだと思います。算術も語学も、魔術すら丁寧に教えてもらえる貴族達と、文字を読むことすらままならない貧しい子ども達との差に」
「自分も貧しい家の出で、先生に会うまでは数を数えるのもやっとでした」
教育は未だに都市の格差が大きい分野とされている。ダイダリーなどその最たる例で、子ども自体が少ないからと教会の孤児院に任せきりだ。
私は目を伏せ、彼女とブレントの見てきた世界を想像する。家庭教師もおらず、本も読めず……そんな環境であったなら、私はどんな風に育っていただろう。きっと、こんな風に落ち着いて話を聞ける人間にはなっていない。私の貧しい想像力でも、それが幸福に繋がらないことは分かった。
「隣国のように貴族を廃し、皆が平等になればと――心の底からそう願っていました。ですが今思えば、手段を誤ったのでしょうね。暴力に頼る革命では、誰も幸せになれない。貴族もまた人の子……それを、この屋敷に来て初めて知りました」
剣を取った革命家達は危険視され、連合都市王国全土の敵となった。一部の地域では武力衝突となり大きな被害を出したとされている。リーダーが捕まって勢いが衰えなければ、今もまだ火種は燻っていたかもしれない。
「私が教師であったのは教え子達の災難です。教育を通して子ども達に革命の意義を説いたせいで、彼らも革命家として疑われ多くが罪人として扱われました。一度そうなってしまえば、住める場所も就ける職も限られます」
「自分は幸運にも『革命家狩り』から逃れることができましたが……結局こうしてダイダリーに来ることになったのは、運命なのでしょうね」
そういうことか。私の中で話が繋がった。犯罪者は、衛兵になることができない。衛兵になった後に罪人であったことが明らかになれば職を追われる。彼女は秘密を抱えることでブレントを、かつての教え子を守ろうとしたのだ。
あの密会はそのためのものだった。罪人の街に配属された彼を、過去の罪から守るための。
「……教えてくれてありがとう。私はあなたが子ども達を想って行動したことを、間違いだとは思いません。しかし、手段を誤れば成し遂げられないことも分かります」
過去の罪が未来を決めるわけではない。彼女は過ちを悔い、償いながら生きている。それはきっと、この贖罪都市ダイダリーの本来のあり方なのだ。であれば私は領主として、相応しい態度を示そう。
「貴族として生きてきた私が本当の意味であなたを理解することはできないでしょう。でも……理解できなくても、信じることはできます。初めて会った日から今日に至るまでの短い時間ですが、あなたは私にとって良い侍女でした」
そもそも私は、彼女を信用したくて調べ始めたのだ。色々な情報に振り回されてしまったが、最初を思い出せば続く言葉はすんなりと出てきた。
「ヒルダ。これからもそうだと……信じていいですか?」
彼女が小さく頷く。ブレントはその目に薄らと涙を浮かべていた。え、そっちが泣くの? 若干の戸惑いはひた隠し、堂々とヒルダに向かい合う。右手を差し出すと、ヒルダの震えた両手が私の手を掴んだ。互いの手を握り、見つめあう。最早余計な言葉は必要なかった。
「ブレントのことは秘密にします。彼も私が守るべきダイダリーの市民ですもの」
「領主様……!」
信じるか、疑うか。結局は私の心次第だ。私は、今まで見てきたヒルダを信じることにした。どんな過去があっても、彼女が私の侍女として働いてくれた時間はなかったことにはならないから。
部屋の空気が少し緩んだ瞬間、コンコンと執務室の扉を叩く音がする。ヒルダはともかく、ブレントがこの部屋にいるのは不自然だろう。
「テオドアです。領主様、少し確認したいことがあるのですが……」
「それは急ぎですか?」
「いえ、そういう訳ではありません」
「では後で時間を作るわ。また呼ぶから、それまで別の仕事をしておいて」
「かしこまりました」
扉の向こうの足音が消え、再び室内に静寂が戻る。私たちは三人そろって息を吐いた。これでひとまずは大丈夫だ。深く頭を下げたブレントが立ち去り、執務室には私とヒルダが残される。
「領主様……いえ、ロゼリア様。あなたのような方がいるなら、少しはこの国も変わるのかもしれませんね」
微笑む彼女の目は、とても優しい色をしていた。そう期待してくれるというなら、私は――領主として彼女達の未来を守ろう。この優しい人が、前を向いて人生を歩めるように。
そしてこの都市を、本当の意味で贖罪のための場所に変えるのだ。夕日が差し込む執務室で、私は決意を新たにした。
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